はしたないのはオレの前だけ


(……あ、これ盛られたな)

 朦朧(もうろう)とする意識の中で、唐突に悟った。
 たいして飲んでないのに強烈な眠気。薄れゆく視界。

(明らかにおかしいだろ。気づくの遅すぎ、俺)

「だいじょ~ぶ~? 歩ける~?」

 すぐ近くで聞こえる男の声は、妙に明るい。

(こいつ、いつ仕込みやがった……人よさそうな顔して……)

 違う、人よさそうなんて思ってた俺がバカだったのか。
 しょせんマチアプでマッチングして、今日初めて会った男なんだし。

「フラフラだね~。いいよいいよ、休めるとこ行こーね~」

 楽しくて仕方ないって感じの口調で、男は俺を支えてどこかに歩いていってる。

(クッソ、しくった……何する気だよ……)

 桧並(ひなみ)冬真(とうま)、大学3年、ゲイ。
 成人してからはもっぱら、アプリやバーで一夜の相手を探してきた。

(今まで特にトラブルなかったからって、油断してたか……)
(もしかして社会的に死ぬ案件? あー……せっかく早期内定出たのに、数週間後にこれかよ……)

「もしもしー? おう、バッチリよ。あれ効くの早ぇな。そっち揃ってる? うん、今から行くぜー」

(……? 誰かに電話してる……?)

 その間足を止めていた男が再び歩き出した。抱えられている俺も自動的に足を動かすしかない。ぼやけた視界の両端に、派手な色彩が瞬いている。
 飲んでいたバーは、バ先がある秋葉原の駅近だった。多分今は、その近くのラブホ街……。

「……や、め……」
「ん~? 大丈夫大丈夫、ちゃんと介抱するから。ほら、ここのホテル入るよー」

(何が介抱だよ。テメーが変なもん飲ませたんだろうが……!)
(なんかツレいるっぽいし、マジでヤバいのに当たったかも……)
(せめて五体満足で帰し、て…………、あ……ダメだ……もう、起きてらんな……)

「おい」
「うおっ!?」

 ドスのきいた低い声と、裏返った叫び声。あと、ガシッと掴むような音。
 直後に強く体が引かれて、脳みそがぐわんと揺れる。

「てめぇっ、何すんだよっ!?」
「それこっちのセリフ。店出たとこから動画撮ってるし、さっきの電話も録音したから」
「はっ!? な、なんのっ……」
「しらばっくれんならすぐにでも拡散するけど? もちろんアンタにはモザイクなしで」
「なっ……」

(え……なに……誰が、話して……)

 今、体に振動が伝わってくるのは俺を拉致ったヤツじゃない、別の男の声だ。

(もしかして……誰か、助けて……?)

「ほら、これ動画。──行けよ。行ったら消してやる」
「チッ……ぜ、絶対消せよっ!」

 バタバタと走り去る足音。それが少し遠のいてからポンという操作音と、はぁっと短いため息が続いた。

「──で。どう、まだ意識ある?」

(……助かった……?)

 もう眠気が限界で体は動かないし、今にもまぶたが閉じそうだ。
 でも最後の気力を振り絞って、俺は自分を抱きかかえる男の顔を見上げた。

「もう見てらんねーわ、桧並サン」
「ぇ……」

(あれ、この顔……知ってる。そういや声も……)

 そうだ。このやたら整った無表情は、同じバイトの……

「おま……タ、カ……?」

 そこで、俺の意識はぷっつりと途絶えた。


 ●〇●〇


「──はっ!?」

 ガバッと体を起こすと、薄暗い部屋の中にいた。

(うっ、頭いてぇ)
(どこだここ? って、これはどう見ても……)

 目の前にガラス張りのバスルーム。寝ているのはヘッド部分に操作ボタンが並ぶキングサイズのベッド。

(ラブホ……。ええと、たしか、俺……)

「ああ、起きた?」
「っ!」

 後ろから声がして、俺はビクッと震えながら振り返った。
 壁際のソファに男が座っている。

「タカ……!」

 そうだった、思い出した。

(マッチングした男にバーで盛られて、連れ込まれそうになったところにこいつが……)

 こいつ──同じバイト先で働く、同僚のタカだ。

 身長172㎝の俺より10㎝近く高くて、容姿もめちゃくちゃ整っている。
 気の強そうな切れ長の目に、まっすぐの眉。薄い唇。一言で言うと、きりっとした顔立ち。艶のある黒髪はセットでざっくりと上げ、形のいい額を出している。そこに少しだけ落ちている前髪がセクシーな、クール系のイケメンで。

 その良ルックスから、店でも一番人気の男。だから正直ちょっとライバル意識もあって、あまり仲よくはない。外見の通り愛想のないやつで、話が弾むタイプでもないし。
 今日も数時間前まで一緒に働いてたけど、話した記憶はなかった。挨拶と仕事の会話くらいしかしたことないやつ──なのに。

「おまえ……なんで……?」
「なんでって。助けたんだけど」

 低めの少しハスキーな声で言い、タカは目を細めた。呆れているような眼差しだ。
 眉もスッと寄り、元の顔面が整っているだけにそれだけで凄みが増す。

「他に何人か、このホテルに待たせてたみたいだな。よくてヤバめの複数プレイ。ひどいのだと撮られて売り物にされるコースか」
「っ……」
「眠らされるとかバカ? 隙ありすぎ」
「うっ、うるせー!」

 とっさに顔を背けて吐き捨てた。

(な、なにマジで怒ってんだよ)
(ていうか……こいつ、こんな顔もすんのか……)

 俺は今まで、こいつの無表情か笑顔しか見たことがなかった。だから初めて見る不機嫌丸出しの顔に、つい委縮してしまっても仕方ないってものだろう。

(しかも男にホテル連れ込まれそうになってるの見られて、助けてもらってって……俺、この状況どう回収すれば……)

 だんだん事態のヤバさがのみ込めてきて、余計に喉が渇いてひりつく。
 最大の問題は──

(ゲイバレ、した……?)
(……いや、まだ大丈夫だろ。アプリで待ち合わせた相手なんてこと、タカは知らないんだし。偶然はめられたってことにすれば……)

 黙ってる場合じゃない、ごまかせ。内心で自分の尻を叩いて、息を吸った時──

「ゲイなのもアプリやゲイバーで男漁ってんのも知ってる」
「はえっ!?」

(ななななんでっ!?)

「なっ、やっ、違っ……!」
「ごまかせねーよ」

 容赦なく言い切り、タカは立ち上がった。ベッドに乗り上げると、片手を突いてこちらに体を近づけてくる。

「アンタのことずっと見てたから知ってる」
「は……」

 もう片方の手も突いて、覆い被さられそうになった俺は後ろへ倒れた。
 後頭部が再び枕とこんにちは。真上に、タカのアップ。

「見てた、って……」
「アンタのこと好きで、見てた」
「好っ……!?」

(はぁ? 能面みたいな顔でいきなり何言って……)

「じょ、冗談やめ──」
「冗談で言うか、こんなこと」

 最後まで言う前にぴしゃりと遮られる。

(いや、照れも興奮もゼロの無表情で言われても、まったく本気に聞こえないんだけど……)
(つーか、マジでこれどういう状況? 目まぐるしすぎて頭ついていかねーって!)

 完全に硬直して、タカを見上げることしかできない。
 と、その整った顔面にまた苛立ちが浮かんだ。

「だからムカつくんだよ。アンタが毎度毎度その夜だけの相手探して、毎回違う相手に抱かれてんのも、挙句の果てにヘマしてこんな目に遭ってんのも」

 一瞬、黒い瞳が揺れたように見えた。悔しそうに、切なそうに。気のせいかと思うくらい、ごくわずかだけれど。

「今まで黙って見てたけどもう無理。俺がアンタを矯正させる」
「……え?」

(……なんて? 矯正?)

「アンタの、おかしくなってる貞操観念と倫理観と価値観を矯正させるっつってんの。今日から男断ちしろ」
「は……おと……?」

(──男断ちっ!?)

「ふっ、ざけんなっ!」

 両掌で思いっきりタカの胸を突き飛ばした。やつの体が起き上がった瞬間、転がるようにベッドから下りる。

「勝手に話進めてんじゃねー! なんでおまえにンなこと言われなきゃなんねーんだよ!」

 仁王立ちになって叫んだ。なんの権利があって偉そうにこんなこと言ってくんだよ、こいつは。

「はぁ? だから──」

 タカもベッドを下りてじりじりとこちらに歩いてくる。
 うわ、また怒ってやがる。眼光から威圧感がほとばしっていて、思わず迫られた分後ずさってしまう。

「俺が、もう我慢できないからだっつってんだろ」

 低く言いながら、タカはジャケットのポケットからスマホを取り出した。
 その間にも俺は近づかれただけ後退し、壁際に追いやられていく。
 背中が壁にぶつかった。タカが真正面に迫る。
 片手を壁に突いて俺を追い詰めた男は、もう一方の手で俺にスマホの画面を見せた。

「こればらまかれたくなかったら言うこと聞いて」
「──!?」

 そこにあるものを把握した俺は、目を真ん丸に見開く。
 見せられたのは画像フォルダで、いくつもの画像が並んでいた。
 全部、俺だ。街中とか店で、別の男と会っている……。中には腰を抱かれていたり、寄り添っていたり……。

「なんっ、なんっ、でっ……こんな……」
「アキバで見かけた時のと、あと俺、浅草住みなんだよな」
「!」

(マジか……)

 俺の大学は上野、バイト先はアキバ。家は日暮里。
 新宿とかにも行くけど、浅草にもゲイバーが数店舗あって、たまに行って……。

「おま……ストーカー……?」
「ストーキングはしてねー。見かけたのを撮っただけ」
「なんで撮るんだよっ」
「あったら役立つかと思って念のため。実際役に立ったわ」

 いけしゃあしゃあと言って、タカはスマホをポケットに戻した。

「わかった? アンタが清く健全で真っ当な恋愛できるように、俺が変えるから」
「言ってることが真っ当じゃねー……脅しじゃねーかよ……」
「脅しでもメリットあんだろ。普通に好きんなる気持ちを思い出させるって言ってんだから」
「っ……そんなもん……」

(そんなもん、もうとっくに手放してんだよ)

 のみ込んで、うつむいた。唇を噛む。
 と、視界ににゅっとタカの手が入ってきた。

「てなわけでスマホ出して」
「え?」
「スマホ。俺の連絡先登録する。あとマチアプの退会」
「いやもう決定!?」
「断ってゲイバレの選択肢でいいなら帰れば」
「くっ……!」

(なんだよこいつ! 俺のこと好きとか絶対嘘だろ! いじめだろ!)

 プルプル肩を震わせながらも、俺はロック解除したスマホをタカに差し出す。

「契約成立だな」

 スマホを受け取り、タカはニヤリと口角を上げた。バイト中に見せるのとはまったく違う、意地の悪い笑み。

「っ……おまえ、わけわかんねー……っ」

(こいつに矯正されるって……これからどうなるんだ、俺……?)