はしたないのはオレの前だけ


 ●〇●〇


(んん……なんか体の右側だけあったけー……?)

 伝わってくる温もりと人の気配に、真っ白だった意識が段々と形を持ち始める。

(誰かいる……あ……てか俺、寝てた……?)
(猫動画見てたら眠くなって……そうだ、鷹谷を待ってて……)

 パチッと目を開け、右隣を見た。
 壁にもたれ、座って寝ていた俺にピタリと体をくっつけて、同じように鷹谷が座っている。

「うえっ!? 鷹谷!」
「おはよ」
「はよ、じゃなくて……! 帰ってきてたんなら起こせよ!」
「気持ちよさそうに寝てたし」
「ちょっとうたた寝してただけだろ! えぁっと、今何時……」

 持っていたはずのスマホを探すと床に転がっていた。取り上げて時間を確認すると、18時30分。

(あ、2時間以上寝てるわ。うたた寝ってレベルじゃねーな……)

「い、いつ帰ってきてたんだよ?」

 バツの悪さからもごもごと聞くと、鷹谷はおかしそうに眉尻を下げて答えた。

「少し前だよ。10分くらい」

(10分か。よかった、あんまり待たせたわけじゃなくて)

「よかったのか、おばあさん?」
「あっちも18時から晩飯って決まってるから。食ってる間に面会時間終わるし」
「そっか。その、ケガの具合は?」
「痛いとは言ってたけど、捻挫だけで軽傷。1週間くらいで完治するだろうって。そんなにまいってる様子もなくて元気だった」
「あぁ~、そかそか。よかったな!」

 ほっとして頬が緩む。弾んだ声を出す俺に、鷹谷も目元を和らげた。

「桧並サン、ちょっと」

 壁から背中を離した鷹谷が、俺に腕を伸ばしてくる。どうしたのかと思う間もなく、がしっと腰を掴まれた。

「ふえっ!? おい!?」
「いいからいいから」

 うろたえる俺の腰を抱き、自分は背後に回る。脚の間にすとんと着地させられて──後ろから抱き込まれて座る体勢になった。

「へ……な、なんだよこれっ」

 首をひねってわめくが、鷹谷は動きを封じるようにぎゅうっと腕を回してくる。

「寝顔可愛かったし、もうしばらく離れたくねー」
「可愛っ……知らねーし! 離せよ!」

(これはくっつきすぎだろ……!)

 押し倒されたり、頬を舐められたり、手を繋がれたり。これまでにも色々あったけれど、ここまでべったりくっついたことはない。

「やだ」
「やだじゃねー!」

(息が、息が首にかかるし……!)

 我慢しようと思っても、心臓が激しく飛び跳ねる。内側から左のろっ骨を叩いて、突き破って飛び出してきそうだ。

「じたばたすんな。おとなしく抱っこされとけよ」
「……っ!」

 また腕が強まって息をのんだ。すっぽり俺を包み込んで、どうあっても離す気はないらしい。

(あー、もう……あっつ……)

 俺の周りだけ秋の夜がどこかに飛んでいった。ポカポカどころじゃないレベルで熱い、けど……。

「……はぁ」

 観念して嘆息すると、勝ち誇ったように鷹谷が「よしよし」と俺の頭を撫でた。そしてその手で、正面のローテーブルを指差す。

「それ、デート中断したお詫び。施設の近くにある店なんだけど、けっこう人気らしい」
「え?」

 言われて初めて、半透明の洒落た袋に入った荷物が置いてあるのに気づいた。中身はさらに紙袋に包まれていて、何かわからないけれど。

(そういえばほのかに甘い匂いする……?)

「お菓子?」
「うん」

 俺を抱き込んだままずるずると尻で前進して、鷹谷は袋を手に取る。外袋から中身を出し、それも開くと、洋酒の香りがしっかり漂ってきた。

「生菓子はもうほとんど売り切れてたから……ブランデーケーキ、だったかな」
「おおっ」

 テーブルに出されたのは、カットして透明なフィルムで個包装されたパウンドケーキだ。ドライフルーツがふんだんに入っていて、ブランデーの香りと混じって鼻をくすぐる。

「ケーキ屋の焼き菓子! 絶対うまいやつじゃん!」
「だといいけど。あげる」
「食う!」

 相変わらず現金だと思うが、目の前にあっては誘惑に勝てない。差し出されたひとつを受け取り、ウキウキで包装を剥いてパクッと頬張った。

「んまっ!」
「すげー酒の匂い」
「香りほどきつくないぞ。ドライフルーツの酸味と合わさって絶妙!」
「そか。はは、アンタほんと、甘いもん嬉しそうに食うよな」
「う……いいだろ、好きなんだから」

 超甘党の自負はある。抱っこの恥ずかしさも一瞬吹き飛ぶくらいには。あとはまぁ……これに免じて、もうしばらく付き合ってやってもいいかと機嫌が上向くくらいには。

「そういえばさ……このエリアに住んでるのって、おばあさんが近くにいるからなのか?」

 ふたつめのケーキにかぶりつきつつ、待っている間に考えたことを尋ねてみた。

「あー、うん、それもある。大学と施設、両方行きやすいとこ選んだ」

(やっぱそうなんだ)

「俺んち、母子家庭で。小さい時は祖父母と母親と俺、一緒にこの辺りに住んでたんだ。中学の時に仕事の都合で母親と俺は深谷に引っ越して、数年後にじいちゃんが死んで。ばあちゃんを深谷に呼ぼうとしたけど、俺らの世話になる気はないし、住み慣れた場所を離れたくないって言うから」

 こちらで施設に入ったおばあさんに、今は自分がちょくちょく面会に行っているのだと鷹谷は話した。

「……そうなのか」

(さっきもすげー心配そうだったしな。んだよ……めっちゃ家族思いじゃん……)

 うるっと目頭が熱くなってきて、俺は慌てて内心で「いかんいかん」と唱えた。

(涙腺ガバには弱い話! でも我慢しろ、俺……!)

「おまえ、ちゃんと自炊してるみたいだし……バイトの仕事覚えも早かったし、しっかりしてんだろうな」
「どうだろな。まぁ、昔からやってたから料理は普通にする。あ、でも誤解すんな。別に苦労したとか、そんなのはないから。不幸話と思って聞くなよ」
「いや、思ってねーけど……そうなのか?」
「全然。母ちゃん、すげーたくましい女だから。離婚の原因、父親の浮気だったらしいけどしっかり闘って慰謝料勝ち取って、結婚でやめた看護師に復職した。これが性に合ってるって、今も楽しそうに仕事してる」
「へぇ、かっこいいな」
「うん。俺を父親のいない子にしたのは申し訳ないと思ってるみたいだけど、そんなの気にならねーくらいちゃんと育ててもらったし。後悔しながら生きてる親見んのより、ずっといい」

(後悔しながら生きる……そうだよな。誰より身近な親がそんなだったら、嫌だよな)

「母ちゃん見てたら、俺も自分の思うように堂々と生きたらいいって、自然と思うようになった」
「自分の思うように……」

(堂々と、か……)

 数日前の帰り道を思い出す。ゲイだということを、頑なに隠しはしないと話していた鷹谷。

『やりたいことやってて、そのせいでバレんならそれでいい』
『悪いことしてるわけじゃねーんだし、ビクビクする必要なくね?』

(ああいうのも、お母さんを見てたからなのかも)
(……ほんと、ちゃんと育ててもらったんだな、こいつ)

「桧並サン? どした?」

 無言になった俺を、鷹谷が後ろから覗き込んでくる。頬に唇が触れそうな距離感に、俺はハッと我に返った。

「な、なんでもねー。ていうか近いっ」
「何を今さら。気に入ったんじゃねーの」

 フッと頬に息を吹きかけられ、思わずビクゥッと首をすくめてしまう。

「気に入ってはねーわ! 調子乗んなっ」

(ったく、家族思いのいいやつじゃんって思ったらさっそくこれかよ!)

「すっぽり腕ん中納まっといてアンタこそよく言う」
「!! 頬ずりすんなっ! クソッ、もう離せ!」

 全身で暴れると、しばらく抵抗していた鷹谷も諦めたように腕をほどいた。

「はいはい、わかったよ。……いい時間だし晩飯にするか」
「え、飯?」
「うん。作るから食ってけよ。ケーキじゃ足りねーだろ?」

 よいせ、と立ち上がりながらテーブルに目をやる。
 もちろんこの程度で満腹にはなっていないし、言われてみればけっこうお腹が空いているけれど……。

「いいの?」
「そのつもりで材料買ってある。酒も」

(鷹谷の手料理か……正直興味はあるな……)

「じゃ、じゃあ食ってくかな」
「おう。ま、大したもんじゃねーけど」

 さっそく料理に取りかかる鷹谷を、俺も待っているだけは申し訳ないので手伝うことにした。といってもあまり料理はしないし勝手もわからないので、野菜を洗ったりがせいぜいだけれど。

「何作んの?」
「鶏肉の梅味噌焼き、豚汁、卵サラダと炊き込みご飯」
「おお、さすが和食派……!」

 時間がかかりそうだと思ったが、昔からやっているという腕前は伊達じゃなかった。炊き込みご飯が炊き上がる時にはもう、テーブルにずらっと料理が並んでいるという要領のよさに舌を巻く。

「すげー、おまえすげー!」
「どうも」

 ご飯をよそった茶碗を受け取りながら連呼する俺に、鷹谷は困ったような顔で笑った。

「ツンツンしてんのにリアクション可愛いのホントずるいよな、アンタ」
「は? ほ、褒めてんだろが」
「それは嬉しいけどね。あ、冷蔵庫からビール出して。チューハイもある」
「お、おう」

 酒も用意して、とりあえずの乾杯をして夕食が始まる。鷹谷お手製のメニューはどれもあっさりめの味付けだったけれど、素材と出汁の風味がよく出ていてむちゃくちゃうまかった。
 俺は「うまい」と「すげー」を繰り返しながらご飯のお代わりまでして、チューハイでほろ酔いになって……。

「顔赤いぞ、飲みすぎてね?」
「平気、顔に出やすいだけ。鷹谷は全然だな」
「たまにしか飲まねーけど、酔っても顔には出ないな」
「つか、いつハタチなったんだ? 学生証見たけど忘れたわ」
「6月」

 そんな会話をしながら片付けを終える頃には、時計は21時を回っていた。

(はは、結局長々と居座ってんな、俺)

 時間を確認して上げた目線が、鷹谷とぶつかる。

「……泊まってってもいいけど?」
「……!」

 一瞬、トクッと脈が波打った。
 ラブホに運び込まれた夜にも同じような言葉は聞いている。だけどあの時とは、瞳に滲んだ熱量も声音も、全然違ったから。

「……アホ。『健全なおうちデート』に泊まりはアウトだろ!」

 肌に絡みついてくる空気を散らすように明るい声で返すと、鷹谷もふいっと視線を外した。

「へーへー」
「帰るわ。飯、ごちそうさん」

 床に置いたバッグを手にして玄関に向かう。鷹谷は黙ってついてきた。
 以前ならただの無表情だと感じたに違いない顔が、今はどことなく拗ねているようにも見える。……それくらいには鷹谷のことを知って、近づいてしまっている。

(……知らなかった頃より、いいやつだと思う。だけど……だからこそ、このままずるずるなんてのは絶対にダメだ……)

 もしそんなことになったら、俺はまた同じことを繰り返して──。

「桧並サン」

 靴を履き終えて「じゃあ」と背を向けようとしたタイミングで、鷹谷が引き留めた。

「……何?」
「来週、学祭だろ。一緒に回らね」
「学祭……」

(そういえばそうだったな。特になんもしないし、気にしてなかったけど)

「アンタと二人で回りたい」

(このままずるずるは……)

 よくない、わかってる。
 けれど、まっすぐ見つめてくる強い眼差しに、やっぱり俺はどうしても弱い……らしい。

(学祭回るくらいなら……)

「まぁ、別にいいけど」

 ぼそっと答えると、鷹谷はどこか安心したように微笑んだ。

「約束な」