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そして週末、土曜日。浅草駅で待っていると、バイト終わりの鷹谷も駅から姿を現した。
「お待たせ。こっちな」
観光名所になっている浅草寺やらとは逆方向、蔵前の方向にしばらく歩いたところ。やや築古だが、小綺麗に手入れされたマンションの前で鷹谷は足を止める。
(そうだろうと思ってちゃんとは聞いてなかったけど、一人暮らしだよな)
「そういやおまえ、実家どこなん?」
「埼玉の深谷市。わかる?」
「おー、ふ〇かちゃんのとこか」
「そ。桧並サンは?」
「俺は八王子」
「へー」
最上階の5階でエレベーターを降りた。通された部屋はあまり家具がなく、非常にシンプルだ。
(1DKか? 俺んちより広いかも)
(お、キッチン割と使ってる感じ。自炊とかすんだな……)
(なんだろあれ……筋トレの道具? 鍛えてんだ……)
前を進む鷹谷についていきつつ、つい周囲を見回してしまう。奥の洋室に入った時、その目が壁の一点に引き寄せられた。
(うわ、デカい絵!)
ベッド脇の白い壁面に、デデンと額入りの絵が飾られている。横長の長方形で、長辺は1m近くありそうだ。様々な青を使った海の絵で、シンプルな室内でそこだけ色彩が鮮やかだった。
(絵が好きなのかな。なんか意外、かも……?)
吸い込まれるようにそちら側へ足を踏み出しかけて、ふと横顔に視線を感じた。鷹谷がどこかもの言いたげな顔でこちらを見ている。
「あ、わりぃ。部屋ジロジロ見て……嫌だった?」
「ああ、違う違う。嫌なら呼ばねーだろ。俺のこと知ってほしくて呼んでんだから、見たいだけどうぞ」
「そ、そうか」
『知ってほしい』という言葉に心臓が軽くバウンドしたが、表情には出さないように意識した。
「それ興味あんのかなって思っただけ」
鷹谷も絵に目を向ける。「んー」と曖昧な返事をしながら壁に近づいて、俺は新たな驚きに目を瞬いた。
「あっ……てかこれ、ジグソーパズルか?」
距離が縮まってようやく、表面に細かな凹凸があることに気づいた。間違いない、パズルだ。
(え、だとしたらとんでもないピース数じゃね?)
「そう。ちまちまやってて1カ月かかった」
「そんなかけて? すげーな! つか、好きなんだ?」
「暇つぶし程度にだけどな。今も新しいの作りかけ」
「そうなのか? どこに……」
「ここ」
スッと腰を落とした鷹谷が、ベッド下の空間から何かを引き出す。専用のボードらしきものに載った、制作途中のパズルだった。四隅はできているが、まだまだこれからという感じだ。
「おお……!」
「興味あんならやってみる?」
「や、興味っつーか……俺はこういうのやったことねーから、すごいなってだけなんだけど」
「いいよ。試しにやってみたら?」
さぁさぁと、肩を押して座るよう促される。鷹谷も嬉しそうに横へ座るので、お言葉に甘えることにした。
「じゃあちょっとだけ……っていっても、何からやればいいのかって状態だけど」
壁にかかっているものと同じく海の絵のようで、全体的に青い。完成している部分も、その周りに散らばっているピースも。
「こことかこことか、色味で俺が大体分けてるから。そこから、今できてる部分と繋がりそうなのを探してけばいい」
完成部分の近くにあるピースの小山を指差して、鷹谷がアドバイスをくれる。
「……わかった、やってみる」
「うん。その間にコーヒー淹れるわ」
鷹谷は立ち上がり、キッチンへと歩いていった。漂ってくるコーヒーの香りを嗅ぎながら、俺はさっそく初めてのパズル制作に取りかかり──
「お待たせ。コーヒー」
「えっ、もう? うわぁ、3ピースしかはめてねーよ」
「そんなもんだって。むしろ上出来じゃね」
カップに続いて砂糖とミルクをローテーブルへ置くと、鷹谷は再び俺の隣に腰を下ろした。
「他にもできそうなのある?」
「んー、これとこれがどこかにはまんじゃって感じなんだけど。てか、こんな青一色なの難しくね? もっとわかりやすいデザインにしろよー」
「難しいから面白いんだろが。このピースは……ここじゃねーか?」
「いや、そこは合わなかった。色のグラデ的に絶対ここらだと思うんだけどな~」
「んじゃ間にもう1ピースあんだろ。よく探して──あ、これじゃね」
小山から探し出した新たなピースを、鷹谷がはめる。パチパチッと、2つのピースは綺麗に納まった。
「ビンゴ! さすが慣れてんな!」
思わず声を弾ませ、勢いよく頭を上げる。と、10㎝もない距離にある鷹谷の目と視線がぶつかった。
(うお、近っ)
バイト時の髪型なので、あらわになっているお顔のインパクトが強くていらっしゃる。ドクンと心音が大きくなるのを感じながら、俺は慌てて身を引いた。
「わ、わり」
「いいけど」
俺の動揺に気づいたのか、鷹谷はそのままの姿勢でふっと意味深な笑みをこぼす。その表情にまた、俺の鼓動は速さを増して……。
(って、何ドキドキしてんだ俺は……!)
「……ところでさ、桧並サン」
俺が退いた分を詰めるように、鷹谷が体を寄せてきた。
声音がさっきまでと違う。艶を含んだからかうような、探るような声。床に置いていた手に、鷹谷の手が重なった。
「ちゃんと、男断ち継続してる?」
「はっ……いきなり何……」
「目逸らすな。答えろ」
静かだが逃げ道を封じるような圧のこもった語調に、体が縫い留められる。まっすぐ射貫いてくる、黒い瞳から目が逸らせない。
「……か、顔見りゃわかるんじゃなかったのかよ」
苦しまぎれの声を、かろうじて絞り出した。
「まぁわかるけど。一応確認。未遂がないとは限らねーし?」
(未遂どころか……)
「……ねーよ。何もしてねー」
(おまえに振り回されてばっかで、んなこと考える余裕もなかったっての)
鷹谷は真偽を確かめるようにじいっと俺を見続けていたが、やがて納得したのか「そっか」とつぶやいた。
だがそれでは終わらず、さらに顔を近づけてくる。
「体はどうしてんの? 禁欲……ってことはねーよな」
「なっ……!?」
ぎょっと目を剝いた。何を言ってるんだこいつは。
しかしそんな俺の反応を楽しむかのように、鷹谷はもう一方の手で太ももに触れてきた。
「桧並サン我慢きかなそうだからな。自己処理でどうにかなってる?」
ジーンズ越しに、掌を脚の付け根へと這わせながら。息がかかりそうな距離で、ハスキーボイスが囁きかけてくる。
「今日で10日くらいか……その間に何回した?」
(撫でんな、クソッ……こんなんっ……)
ゾクゾクしたものが背骨を駆け上がって、震えそうになるのを懸命に抑える。
「おまっ、触んなっ……! 健全なんじゃなかったのかよ……!?」
(チクショ……声、上ずるっ……)
「服の上からなんて充分健全だろ。隠すなよ。そうだな……2,3日おきとして、3,4回くらい?」
「バッ、そんなにして──あっ……」
うっかり口走ってから慌てて唇を引き結んだが、遅い。目の前で、鷹谷は満足げに口角を上げる。
「なるほど、2回以下、と」
「~~~~っ……」
(チョロすぎか、俺……)
顔も体も熱い。耐え切れなくて、俺は強引に立ち上がった。
「てっ、てかコーヒー! 冷めるだろっ!」
ローテーブルまでの数歩をズンズンと歩き、ドカッと座り直して片方のカップに砂糖とミルクをぶち込む。
「はいはい。ま、こんなもんにしておいてやるよ」
笑い混じりに言いながら鷹谷も移動してきた。
「あ、混ぜるもんねーか」
テーブルを見てつぶやくとキッチンへ向かい、スプーンを手に戻ってくる。それを「ほい」と俺に手渡しながら、
「でも案外少ないな。もうちょい多いかと思ってた」
「いやまだ続けんのかよその話……つーか、おまえの中の俺はどんなエロ男なんだ……」
「だって週1くらいのペースで男漁ってたし。その間は自分で慰めてんだとしたらまぁ──」
「してねーわっ。俺は──!」
(待て待て俺、とんでもないこと言いそうになってる!)
気づいて続きをのみ込んだ。けれど、斜め前に座った鷹谷が『見逃さないよ』とばかりに覗き込んでくる。
「俺は? 何?」
「や、えと……」
(……はぁ。もういいか)
こんな話を誰かにするのは初めてだけれど。なんだかもう開き直って、強張っていた肩の力を抜いた。
「……自分でするのは、あんま気持ちくないから」
(イけないわけじゃないけど。セックスのよさとは全然違うし、しても余計に不完全燃焼って感じになっちゃうんだよな……)
「へー……」
なかなかの覚悟で白状した割に、鷹谷のリアクションは薄い。淡白な目で俺を眺めながらコーヒーを口に運んでいた。もう一口飲んで、カップをテーブルに戻すと、
「じゃあアンタが男を漁るのは、性欲以上に人肌が恋しいからか。思ってた以上に寂しがりなんだな」
「寂し……!? べ、別にそんなことは──」
「ある。抱かれて、よしよしされるのが好きなんだろ。人一倍寂しがり屋で甘えんぼってことじゃん」
「……! よしよしって、ガキみたいな言い方すんな」
頬に熱がのぼる。それを散らすように吐き捨て、俺はガチャガチャと混ぜたぬるいコーヒーを喉へ流し込んだ。
(そりゃ……誰かに抱かれたいって気持ちは、人肌恋しいってのと大体イコールかもしんねーけど……)
否定しきれない本音は、見抜かれていたのかもしれない。鷹谷はやや気だるげに頬杖を突いた。
「馬鹿にしてるわけじゃねーよ、俺だって寂しくなる時はあるし。……誰でもいいって感覚は理解できねーけどな。その場限りの相手に好きとか可愛いとか言われたって意味なくね?」
「っ……」
「虚しくなんねーの?」
息を詰まらせた俺に、平板な声ながらも畳みかけてくる。ここで黙り込んだら負けな気がするという意識だけで、俺は鷹谷を睨みつけた。
「なんねーよ。俺はそれでいいし、それ以上も求めてねーから」
「求めない、ねぇ。やっぱ理解できねー。俺だったら──」
ブーッ、ブーッ。突然の振動音が声を遮った。ピクッと肩を震わせて、鷹谷がポケットからスマホを取り出す。
一瞬驚きを浮かべ、「ちょっとごめん」と言ってすぐに画面を耳に当てた。
「もしもし、鷹谷です。──えっ?」
先ほどの比ではない大きさで目を見張る。ただならぬ緊張感に、俺もつい背筋を伸ばした。
「大丈夫なんですか!? ……そうですか……はい……」
(大丈夫? 誰かになんかあったのか……? 相手、目上の人みたいだけど……どこからの電話だ……?)
「どうだろ……すぐにはわからないんで、行けるようだったら後で連絡していいですか? はい、はい……すみません」
そこで通話を終え、硬い表情のまま腕を下ろした。
「どうしたんだ?」
すぐに問いかけると、鷹谷はぎこちない動きでこちらを見て、
「ばあちゃんが、転んでケガしたらしくて」
「ばあちゃん?」
「あ、えと、ばあちゃんがこの近くの施設に入ってんだ。つってもチャリで10分以上かかんだけど。足ケガして、治療は済んでるし大したことはないけど、って施設の人が電話くれて……」
(はぁっ!? 何じっとしてんだよ、だったら──)
「行けよ、心配なんだろ」
これ以上聞く必要はないと、話を切って俺から告げる。鷹谷はそれでもまだ戸惑うように目線を彷徨わせて、
「や、でも……」
「アホか。俺のことはいい。おばあさんも気落ちしてるだろうし、さっさと行ってやれ」
ぐ、と鷹谷の喉が鳴る。俺をとらえた眼差しから見る間に迷いが消え、コクリとうなずいた。
「わかった。わりーけど待ってて。パズルしててもいいし、テレビとか見てていいし。あ、冷蔵庫も勝手に開けて──」
「はいはい、適当にやるから。てか帰ったほうがいいなら帰るぞ」
「それは駄目。待たせるけど、戻ってくるから」
「んじゃ待ってる。チャリっつってたけど、焦っておまえまで転ぶなよ」
「んなドジじゃねー」
最後に少しだけ口の端を上げて、バッグと鍵を引っつかむと部屋を出ていく。俺も玄関まで見送り、ドアを閉めた。
(おばあさんか……ここに住んでんのも、それが関係あんのかな……)
「……もうちょい進めといてやるか」
すっかり冷めたコーヒーを飲み干すと、作りかけのパズルに再挑戦してみる。けれど30分もやっていると飽きてしまい、スマホで動画を見始めた。
(やっぱ猫動画は癒しだわ~)
「んー……」
(……鷹谷があんなに動揺してんの、初めて見たな。おばあさんのこと大好きなんだろうな)
(ゆっくり話してこいよ、鷹谷──……)



