夢奥島の景色を見に行こう。
民宿を出ると、海まで続く長い下り坂が待っていた。
木漏れ日の道から、コンクリートで舗装された公道へ。
信号の無い横断歩道を渡り、二人は商店街に足を踏み入れる。
「ここが、松浦坂商店街」
島民の暮らしを支え、観光地の役割も担う島のメインストリート。
石畳が敷かれた道の両脇には、多種多様な店が立ち並んでいる。
商店街が整備された頃から続く店も多くあり、八百屋や精肉店、食堂がその代表だ。
コンビニやカフェなど、新規参入の店舗も増えつつある。
「これが現代の景色……壮観だね」
眼下に広がる街並みを眺め、珠景は子供のように目を輝かせた。
「ねぇ、海の方まで行っても良い?」
「良いよ」
石畳の上を並んで歩く。
鮮魚店の店主と談笑するお年寄り。
記念写真を撮るカップル。
犬の散歩をする親子。
話題の店に並ぶ女子高生。
楽しそうに駆け回る男の子。
パンフレットを見つめる外国人。
今日も商店街は、多くの島民と観光客で賑わっている。
「見た事ないものばっかり……百年って怖いね」
ゆっくりと歩く珠景は、困惑の笑みを浮かべた。
紬の目に映る景色も、少しずつ変わっていく。
かき氷の暖簾。
和菓子屋の新作ポスター。
観光客が食べているフルーツサンド。
自動販売機で少年が買うジュース。
精肉店のショーケースに身を置くコロッケ。
歩けば歩くほど、美味しそうなものが視界に飛び込んで来る。
「あのさ……お腹空いてたりしない?」
「美味しいご飯も良いけど、今は景色を楽しみたい!」
期待に満ちた声を聞き、紬は食欲を抑え込むように頷く。
「分かった。帰りに食べる!」
「食べる事は確定なんだ」
「美味しい物を見逃してたら、きっと人生損するから」
「確かに」
「タカアシガニ」
「さっきも言ってたけど……それは現代の言葉なの?」
「私とリンさんのオリジナル言語で、『タシカニ』の進化系。珠景も使って良いよ」
「……どういう時に使えば良い?」
「大いに納得した時。あとは、誰かが『確かに』って言った後に、間髪入れずに『タカアシガニ』って言う時もある。今みたいに」
「じゃあ、覚えておくね。多分、良く使うでしょ?」
「うん! でも、私とリンさん以外の人には使わないでね。変な子だと思われるから」
「大丈夫。私も思ってた」
「変な子だと思われた!?」
驚く紬を見て、珠景は『冗談冗談』と笑みを溢した。
食の誘惑に耐える紬と、景色を楽しむ珠景。
別々の心境で坂を下っていると、商店街の終わりが見えて来た。
海まで続いているように見えた道は、屋根が水色の駅舎によって遮られている。
「ここは?」
「夢奥島駅。海に行く前に、飲み物買おうと思って」
夢奥島には『夢波海岸鉄道』という、第三セクター鉄道が走っている。
若者や高齢者に欠かせない移動手段であり、日々多くの島民が利用している。
松浦坂商店街と隣接している『夢奥島駅』は、全五駅の中で唯一の有人駅だ。始発駅でもあり、券売機やコンビニも設置されている。
駅に入った二人は、自動販売機の前で足を止めた。
「これで飲み物が買えるの?」
「うん。お金を入れてボタンを押すと、選んだ物が出てくる」
「凄いね。紬は何にするの?」
「サイダー」
「なら、私もそれにしようかな」
紬は自動販売機に小銭を流し込み、サイダーのボタンを押した。ガタンっ。
出てきたペットボトルを珠景に渡し、もう一度ボタンを押す。ガタンっ。
「よいっしょと…… 珠景?」
振り返ると、珠景は改札の先に広がる景色を見つめていた。
朱色の気動車と、奥に広がる青の世界。
静寂に包まれた箱の中で、夏の暑さは眠りにつく。
駅のホームは日陰を楽しみ、穏やかな波は光を揺らして遊んでいた。
瞳が輝き、表情に花が咲く。
「ここ、隠れた名所じゃない?」
「タカアシガニ」
「また出たな、カニめ」
「いつも見てるけど、気づかなかった」
「日常の景色も、誰かにとっては非日常的な景色だからね」
海辺の雰囲気に合う発車メロディーが流れ、気動車が走り去る。
淡い空色と、深い海色。
青を結ぶ水平線が美しい。
「行こっか」
海へ誘われて。
駅舎を出た二人は、夏空の下を歩き出した。
