紬の故郷は、本州近くの離島だ。
昔は、姫奥島と呼ばれていたらしい。
長姫制度の廃止に伴い、島の名前も『夢奥島』に変更。
本州の文化と技術を取り入れるようになり、港の整備や中心街の開発が進められた。
暮らしやすい街づくりが進む一方で、かつての面影は姿を消していく。
民宿や御神体がある岬は『長姫地区』と呼ばれ、神島家が管理する特別区になった。
島の歴史を地名に残しつつ、島に根付いた長姫制度を風化させる。
そんな目的もあったらしいが、当時を知る人々はもう居ない。
つまり、真相は墓の中。
かくして、紬が暮らす長姫地区を除き、島は大きな発展を遂げてきた。
「という訳です」
島の歴史を語り終え、紬はミルクティーを一口飲む。
今朝は、珠景の質問攻めから始まった。
「後で教えるから」と眠たげな声で伝え、紬は朝食を優先。
珠景の顔を眺めながら食事を楽しみ、約束を果たして今に至る。
「別世界なんだろうなぁ」
珠景は困ったように呟くと、紬に期待の眼差しを向けた。
綺麗な瞳を輝かせ、『現代の世界を見たい』と訴えている。
「えっと……リンさんに服借りて、お散歩しに行く?」
「絶対、行く!」
満面の笑みを浮かべ、珠景は身を乗り出す。
「わ、分かった。リンさん叩き起こしに行こ」
早速、二人は厨房を後にした。
奥から三番目の和室がリンの部屋であり、その隣にはリンの弟・凪の部屋がある。
厨房から紬、 珠景、リン、凪の順で並んでいて、一本の長い廊下が全ての部屋を繋いでいる。その廊下を歩いていくと、目的地に辿り着いた。
「たのもー」
部屋に突入した紬は、心地良さそうに眠るリンの頬を、小さな手でぺちぺちと叩いた。
リンは顔をしかめながら、渋々目を開く。
「何……?」
「事件です」
「ほう。申してみよ……ふわぁ、ねみぃ」
ゆっくりと身体を起こしたリンは、眠たげな表情で目を擦る。
「『婚約確定・イケメン十連ガチャ』を引くコインが足りません」
「あちゃー、ついに底尽きた? 課金するわ」
「なんと今だけ、十連ガチャ、百万円!」
「おっけ、じゃあ私のカードから……っておいおい。流石に高すぎん? あ、でもさ、ガチャ一回十万って事は、相当レアなイケメンが当たる感じ?」
「今なら『社畜の鑑・中年太りを極めし、ブサイク課長(55)』が十体当たります」
「ハズレ確定十連ガチャを引ける程、経済的に余裕ないっちゅーの」
「ですよね。そんなガチャがリンさんの人生に実装される前に、早く起きてください」
紬とリンのやり取りを見ていた珠景は、困った様に呟く。
「会話の意味が、全く分からないんだけど……」
「あ、姫ちゃんもおったん? これはソシャゲの例え話」
「そしゃげ……?」
「現代の必需品スマホ。光と闇が集うSNS。課金大国ニッポン。その温床ソシャゲ」
「……はい?」
顔をしかめる珠景を見て、リンは丁寧に説明していく。
「現代にはね、スマートフォンという便利な道具がございまして……知りたい情報を調べたり、SNSで知らない人と繋がったり出来る時代なんですよ。ここまで良き?」
難しい顔をしつつも、珠景は相槌を入れる。
「んで、そのスマホで遊べるゲーム『通称・ソシャゲ』ってのがあるわけ。基本的に無料なんだけど、お金を払うことで、より強いキャラや装備をゲット出来るのさ。これが所謂、課金。一度ハマったら抜け出せないからね。課金沼、恐ろしや……」
「左様ですか……」
「左様なんです。まあ、現代はこんな感じよ、姫ちゃん」
リンは立ち上がると、慣れた手つきで髪を結んだ。
「それで、朝早くにどしたん?」
「一緒にお散歩行くんだけど、珠景に貸せる服無いから、リンさん服貸してぇ」
「お洒落な服あったかなぁ? あ、でもでも、こんな美人なら、何でも似合いそう!」
リンは表情を緩めると、押入れの戸を開く。
押入れの中は、小さな洋服屋さんだった。
多種多様な服が綺麗に並べられていて、中に置かれた棚にはアクセサリーや小物も可愛く飾られている。
「無難にTシャツとスカートとか、テンプレの白ワンピ? パーカー系もあるけど」
リンは何着か服を手に取ると、分かりやすい様に広げて見せてくれた。
珠景は手で肌触りを確かめながら、リンと一緒に服を選び始める。
「私も着替えてくる」
服を選ぶ二人に声をかけて、紬は自室へ向かった。
「んぅ、可愛いやつあったかな……」
箪笥の中から服を見繕い、畳の上に広げてみる。
チョコレートカラーのボーダー柄Tシャツに、白のオーバーオール。
そして、お気に入りのブラウンのキャスケット。
以前、リンから貰った誕生日プレゼントであり、唯一の勝負服だ。
これしかない、と確信した紬は、すぐに着替えを済ませた。
慣れない服を身に纏い、リンの部屋へ戻る。
「着替えてきたぁ」
「あ、それ誕プレのやつ! 着てくれたのは嬉しいんだけど、流石に暑くない?」
「お洒落は我慢だから」
「わお、哲学的」
「午前中は涼しいし、珠景の隣を歩くなら、可愛い服着ないとヤバい」
「タカアシガニ」
確かに。という言葉は『タシカニ』という蟹の一種なのではないかという、紬の独特な発想から始まり、『タシカニ』の進化系として『タカアシガニ』という言葉が生まれた。
タカアシガニは実在する巨大な蟹で、紬のぬいぐるみのモデルにもなっている。
「つむっちも気合十分だけど、姫ちゃんも負けてないよ?」
ニヤリと笑みを浮かべ、リンは部屋の隅を指差す。
誘導された視線の先、着替えを済ませた珠景と目が合った。
「どうかな?」
不安そうに首を傾げ、珠景は着慣れない洋服に視線を落とす。
珠景が選んだのは、若葉色のTシャツワンピースだった。
発色が綺麗で、ウエストリボンが大人っぽさの中に可愛さを添えている。
すらっと長く綺麗な足を活かしたファッションであり、セレブのようなオーラを放っている。一瞬で、目を奪われた。
「めっちゃ可愛い……これはずるいよ、リンさん」
「分かるか、つむっち。素材が良すぎて、着せ替えが楽し過ぎたよ」
二人に見つめられ、珠景は照れくさそうに視線を逸らす。
「うわっ。仕草で破壊力を増しやがった。男いなくて良かったねぇ」
「本当ですよ。今から散歩行くのに……変な人に声かけられないかな?」
同じ女性としても、羨ましいくらいに可愛いのだ。
街を歩けば、知らない男性が声をかけてくる可能性だってある。
「あぁ、ナンパって事? そんときは、つむっちが撃退しちゃってよ」
「無理でしょ」
紬は弱々しい右腕をポンと叩いて、非戦闘民族をアピールする。
「ナンパ男はさ、壊れかけの船に詰め込んで嵐の海に送り出すのが一番。これが俗に言う……難破船」
リンの声が畳に落ちると、遠くから蝉の鳴き声が聞こえてきた。
瞬きを二回。紬は珠景に視線を戻す。
「暑くなる前に行こっ!」
珠景の手を取り、紬はリンの部屋を飛び出した。
熱を帯びた廊下を踏みつけて、楽しげな足音を響かせる。
「ちょ、つむっち……こら、逃げるなぁ!」
リンの声に追いかけられながら、二人は玄関へ向かう。
「いってきまーす!」
お気に入りの靴を履いて、玄関に立つ珠景を見つめた。
夏空に映える若葉色のワンピース。
希望に満ちた表情の珠景は、光を揺らす海のように美しい。
鮮やかな夏の世界に、珠景という名の華を添えよう。
最後の姫になってから百回目の夏。
最高の青春を描くために。
引き戸を開けると、空を制する入道雲と目が合った。
