珠景姫 Mikage Hime ~百年越しの夏に見た夢~


 深夜二時。
「……ふわぁぁあ……」
 大きな欠伸をして、眠たげな目を擦る。

 この時間まで起きていることは、滅多にない。
 普段は早寝遅起きで、夜更かしとは無縁の生活を送ってきた。
 それでも今日は、寝る訳にはいかない。

 部屋の明かりを消し、廊下に出て夜空を見上げる。
 夏の星座が、綺麗に輝いていた。

「…… (つむぎ)? こんな時間まで、何してんだよ?」
 弱々しい声。(なぎ)の姿が目に映る。

 今にも、泣き出しそうだった。
 (なぎ)は感情を抑えながら、(つむぎ)に歩み寄る。

 試合終了後。直接話すのは、これが初めてだ。
 澄んだ水面に、労いの花を浮かべる。

「『おかえり。頑張ったね』って、まだ言えてなかったから――」

「……それだけの為に、無理して起きてたのか……?」

 こんな時でも、(つむぎ)の心配をしてくれる。
 その優しさが嬉しくて、今はただ切なくて。
 本音が漏れた。

「いつも、一人で抱えて無理しちゃうもん。流石に、今日は心配だよ」
 困り顔で微笑むと、(なぎ)(つむぎ)を抱き寄せた。

「……今日くらい、泣いても良い、かな……?」
「うん。今日くらい、泣いた方が良い」
 小さく頷いて、(なぎ)は心と向き合う。

「……正直、一回戦で負けるとは思わなかった…… (らい)と野球出来るのも、これが最後だったのに……それなのに、俺は……」

 静かに涙を流す(なぎ)の背中を、(つむぎ)は優しくさすってあげる。
 本当は頭を撫でてあげたいが、手が届かなかった。

「……今日だけは、本当に悔しい……」
 (つむぎ)は何も言わずに、(なぎ)をぎゅっと抱きしめた。
 もう、言葉は出て来ない。

 夜の静寂。寂しげな月明かり。
 雨降る心に、そっと傘を差した。

 ❀.*゚
 
 夜明けを迎えに行こう。
 きっと、私達は光を探している。

 (つむぎ)(なぎ)の手を引いて、民宿を抜け出した。
 世界は寝静まり、二つの足音が響く。

 御神体に続く道の途中、海が見える場所がある。
 夏草に囲まれた岩に座り、同じ景色を眺めた。
 虫の音と夜風が心地良い。

「終わりじゃないよ」
 ただ一言。想いを伝えてみる。
 繋いだ手が少しだけ緩み、(なぎ)は視線を上げた。
「……」

(なぎ)も、らいらいも、本気で頑張ってた。諦めないで、夢を信じてた。だから、私も悔しい。二人が努力する姿をずっと見て来たから、沢山笑って欲しかったし、活躍する姿をもっと見ていたかった」

 勝負の世界は甘くない。
 相手も努力を重ねて、迎えた一戦。
 積み上げてきたものだけでは、掴めない夢がある。

(なぎ)は、大学で野球を続けるんでしょ?」
「……俺も、高校で終わりにしようかなって」
 淡々と喋っているのに、瞳は揺れていた。

 (なぎ)を見つめた後、(つむぎ)は前を向く。
 月明かりを揺らす波。

「好きだよ」
 海の美しさに、想いを添えて。
 二人の恋も夏めく。

彩美(あやみ) (なぎ)を、心から愛してます」

 自分でも不思議なくらい、優しい声だった。
 ずっと追い続けていた太陽を見つめ、向日葵は笑顔の花になる。

「頼りないかもしれないけど、私は(なぎ)の力になりたい。辛い時には寄り添って、頑張る時は背中を押して。一緒に笑い合ったり、悩んだり。同じ道を歩んでいきたい」
 だからね。と言葉を繋ぐ。

(なぎ)は一人じゃないから――」

 パステルカラーに染まる空。
 もうすぐ、夜が明ける。

「ありがとな。ずっと、傍に居てくれ」
 清々しく、爽やかな笑顔。

 初めて見る表情だった。
 見惚れてしまい、頬が緩む。

「俺も、(つむぎ)を愛してる」
 夏の太陽が、顔を出した。
 眩しい光に照らされて、二人の瞳が輝く。

 新しい一日を迎え、動き出した物語。

 明け方の海を眺めて過ごす朝。 
 二人の心も晴れ渡る。
 心地良い静寂の末、(なぎ)は空を見上げた。

「大学に進学して、野球を続けるよ」
 迷いの雲は、一つも無い。

「一瞬躊躇ったけど、気持ちは変わらない。上手くいく保証は無いけど、自分が納得するまで挑み続けようと思う。ここで終わりたくはない」

 クールな表情の奥に、隠れていた情熱。
 消えかけた炎が、再び燃え上がった。

(つむぎ)は、島に残るんだろ?」
「うん。らいらいから聞いた?」
「聞かなくても分かるよ。あの時もそうだったし」

 小学校に入学するタイミングで、(つむぎ)は人生の岐路に立った。
 本州で働く両親と暮らすか、島に残って弥栄(やえ)と暮らすか。

 あの頃の記憶は、ほとんどない。
 どんな思いで決断したのかも、忘れてしまった。
 それでも、この道を選んで良かったと思っている。

「俺は島を出るよ。でも、(つむぎ)はここに居て良い」
 希望と寂しさを瞳に宿して、(なぎ)は想いを語る。

「傍に居て欲しいけど、それは老後でも良いというか……夢を追うために、(つむぎ)の人生を制限したくないんだよ。ちゃんと帰ってくるから、ここで待っててくれ」

「うん! いつでも帰ってきて。ちゃんと待ってるから」
 笑顔の花を風に揺らして。
 二人は手を繋いだまま、立ち上がった。

「そろそろ戻ろっか」
「おう。朝まで付き合ってくれて、ありがとな。本当に助かった」
「どういたしまして。……ふわあぁぁ……帰ったら寝ようね」
 大きな欠伸を残して、(つむぎ)(なぎ)と歩き出す。

 中庭へと続く緩やかな坂道。
 少し前を歩く(なぎ)に、『あのさ』と声をかける。

「らいらいも、同じ大学に誘ってみたら?」
 (なぎ)は足を止めて、(つむぎ)の方を振り返る。

「野球を続けるかは分からないけど、一緒に大学生活を楽しむのも良いんじゃないかなぁって。らいらいが一緒なら、色々と安心だし」

「落ち着いた頃に話してみるよ。逆に、(つむぎ)は良いのか?」

「私は大丈夫。珠景(みかげ)が居るから――」

 また、八月が来る。
 二人の想いが結ばれた日。
 夏の太陽は、燦々と輝いていた。