球児の夏が始まった。
夏の高校野球地方大会が、ついに開幕。
今日の第一試合。
奥島高校は初戦を迎える。
始発のフェリーに乗って、紬とリンは本州にある地方球場へ。
島を出ることが出来ない珠景は、インターネット中継で観戦する予定だ。
球場に辿り着いた二人は、三塁側のスタンドへ向かう。奥島高校は三塁側のベンチで、後攻となったらしい。
階段の先、視界が開けた。
眼下に広がる夏の青春風景。
息を呑む。
首筋を汗が流れた。
辺りを見渡すと、異様に目立つ大柄な男性が一人。
逞しい腕を組み、グラウンドを眺めていた。
「あっ、ルークさーん!」
「ツムギ? 久しぶりデスネ」
紬が駆け寄ると、ルークは笑顔で迎えてくれた。
遅れて、リンも合流する。
「お久しぶりです。今日は、凪の応援ですか?」
「イエス。ナギの成長を見にキマシタ」
凪がルークに変化球を教わったのは、一ヶ月という僅かな期間だった。
それでも、互いにとって価値のある時間だったのだろう。
「あの、一緒に応援しても良いですか?」
「もちろんデス」
ルークの隣に座り、前を向く。
間も無くして、両校のラインナップ紹介が始まった。
ウグイス嬢のアナウンスに耳を傾け、電光掲示板に目を向ける。
『引き続きまして、後攻・奥島高校』
一番から五番までの紹介が終わり、ようやく知っている名前が呼ばれた。
『六番 キャッチャー 山岡君』
紬は笑みを浮かべて、パチパチと拍手を送る。
七番と八番の選手も呼ばれ、残すは先発投手だけとなった。
『九番 ピッチャー 大山君』
聞き間違いを疑ったが、電光掲示板には
『9 1大山』と表示されている。
「…… 凪じゃない……」
「あちゃー。凪を温存で来たか。この作戦が裏目に出ないと良いけど」
ショックを隠せない紬に対し、リンは冷静な口調で話す。ルークは何も言わず、グラウンドを見つめていた。
ラインナップ紹介が終わったタイミングで、珠景からメッセージが届く。
『凪君は、後から出る感じ?』
『そうみたい……ちょっと残念』
スマホを膝の上に置き、紬は溜息をつく。
すると、ルークがある物を差し出してきた。
「ツムギ。おにぎり食べマスカ?」
「えっ、食べます!」
「ツムギが好きな、ツナマヨと昆布もアリマスヨ」
「絶対食べます!」
定刻。試合が始まった。
先発の大山が一球目を投げると同時に、紬もおにぎりを頬張る。
独特な空気を割くように、打球が外野へ飛んだ。
ボールの落下地点に向かって、外野手は全力で走っていく。そして、芝生に落ちる寸前で、見事に捕球した。
開始早々。生まれたファインプレー。
スタンドからは、大きな拍手が送られる。
好守で魅せた外野手と、おにぎりの美味しさに敬意を表して。
「うまー!」
夏空に声を響かせた。
味方に助けられた大山だったが、その後も制球が定まらず、二者連続のフォアボールでピンチを招いてしまう。
頼がマウンドに声をかけにいくと、ブルペンで凪も投球練習を再開した。
試合に注目しなければいけないのに、紬の視線は凪へと向いてしまう。
カキーンッ!
金属バットの打球音が鳴り響くと、一塁側のスタンドから歓声が上がった。
慌てて、グラウンドの中央に視線を戻す。
二塁ベース上で、相手の選手がガッツポーズをしていた。
電光掲示板に、『2』の文字が刻まれる。
次の打者にもヒットを打たれ、ワンアウト一、三塁のピンチ。
すると、ブルペンに居た背番号1が、マウンドに向かって走り出す。
『奥島高校のピッチャー、大山君に代わりまして、彩美君。九番、ピッチャー彩美君』
エースの名が呼ばれ、三塁側のスタンドは大いに盛り上がる。
「凪ぃ!」
笑顔の花を咲かせ、歓喜の拍手を送った。
凪がマウンドに立つと、近くに居た観客達がざわめき出す。
「あの彩美 凪?」
「あぁ……一年の頃に、三年生の夏を台無しにした奴な」
「でも、今プロ注目の選手なんでしょ?」
「無理無理。あいつろくに三振取れねぇもん。この試合は初回で決まったな」
「お手並み拝見といきますかね」
嫌でも聞こえてくる会話に、リンはチッと舌打ちした。
「何様だよ、あいつら」
「大丈夫ですよ、リンさん。今日の凪は絶好調なので」
リンの膝に手をおいて、紬は自信に満ちた声で告げる。
「あの人達、言葉を失いますから」
「……つむっち。そうだねっ。大活躍であいつらを黙らせよう」
リンはニヤリと笑うと、グラウンドに向けて声を張る。
「凪、頼むよ! カッコいい所見せな!」
球審の合図で試合が再開。
凪の夏が始まった。
初球はスロースライダーで空振りを奪い、二球目はインコースにストレート。
そして、三球目。凪が投げたボールは、ストライクゾーンの真ん中へ。
失投を狙うフルスイング。
白球が、打者の手元で消えた。
バットは空を切り、ボールは頼のミットに収まる。
空振り三振。
凪の変化球に、スタンドがどよめく。
そして、次の打者からも三振を奪い、仲間が作ったピンチを脱した。
ベンチへと戻る凪に、三塁側スタンドからは、割れんばかりの拍手が送られる。
攻守交代のタイミングで、珠景からメッセージが届いた。
『凪君、凄いね! 実況の人も驚いてたよ』
『カッコ良すぎた』
珠景からカニのスタンプが送られて来たので、一応返信しておく。
『タカアシガニ』
ここで、会話が途切れた。
