高校生活も、残り一年。
卒業までのカウントダウンが始まった。
新入生を迎えた日の放課後。
オレンジ色の教室には、数名の生徒が残っていた。
去年のクラスメイトと共に、紬も三年生の肩書きを背負う。
その重圧に押し潰されるように、机に身体を預けていた。
光が射し込む窓の下、前に座る生徒の背中に触れる。
「ねぇ、らいらい」
何気ない表情で振り返る頼を、真っ直ぐな目で見つめた。
「付き合ってよ」
甘い声。ふわりと春が香る。
生徒達の視線を集め、頼は天井を見上げた。
「……仕方ない。他ならぬ、可愛い幼馴染の頼みだ。この山岡頼、紬の――」
「進路相談」
「相手になってあげようじゃないか」
仏のような笑みを浮かべる頼を見て、紬は控えめに両手を上げる。
「やったぁ」
「もっと喜べ、赤子のつむごろう。そして、勘違いした奴。正直に手を挙げなさい」
教室に点在する男女五名。挙手。
「正直でよろしい。安心したまえ。誤解を招く悪い子は、私が成敗しておく」
「きゃー、やられるぅ」
棒読みの言葉を、子供のような笑い声が追いかけていく。
沈黙を数秒。困惑の笑みを添えて。
「……おい、凪。出番だ。助けに来い」
頼は小声で、少し離れた席の凪に話しかける。
「ちょ、無視すんな。『俺の女に手を出すな』って、割り込んでこい。じゃないと、俺の立場が危ういって、おい。もしもーし」
必死に問いかけても、凪は無反応を貫く。
頼はスマホを手に取り、ある番号に電話をかけた。
『あ、もしもし。斜め後ろで騒ぎを起こしている者ですけども。彩美 凪さんでお間違いなかったです? お宅のゆるキャラつむたんに関するクレームなんですけどね。もしもし、聞こえてますか?』
通話が終了。
「まだ内容伝えてませんけど!?」
「……相変わらずうるせぇ。今日は頼んだ」
「騒音トラブルメーカー・頼神にお任せ下さい! ぴかぴか、ごろごろ」
「ぴかぴか、ごろごろ〜」
呑気な声で真似する紬を見て、頼は神妙な顔で呟く。
「……もしかして、俺は今からお守りをするのか……?」
「だから言ったんだよ。今日は頼んだって」
微笑を浮かべる凪を見て、頼は唇を吊り上げる。
茶番を繰り広げている間に、他の生徒はそれぞれ帰路についていた。
気がつけば、幼馴染トリオしか残っていない。
「あとは任せた」
一言残して、凪も颯爽と去っていく。
静かな教室。窓際の席。
机に張り付く紬と、壁に背を預ける頼。
時計の針だけが、前に進んでいく。
「んで……本当に進路相談すんの?」
「うん。本当に相談がある」
紬は体を起こし、緩んだ表情を引き締めた。
「らいらいは、もう進路決めてる?」
「特に夢がある訳でもないし、まだ悩んでるよ。都会に出てキャンパスライフを謳歌するのも良いし、普通に島で就職するのもありだと思ってる。楽しい人生を送れるなら、何でも良いかな」
「そうなんだ。なんか、意外かも。らいらいが一番、夢を追いかけそうなのに」
「……まあ、昔はあったよ? でも、諦めた。というか現実的に考えて無理だなって気づいたんだよ。残念なことに、才能は持ち合わせていなくてね」
「らいらいも、プロ野球選手になりたかったの?」
頼の瞳が揺れた。
何かを言いかけて、嘘を呑み込む。
「――元は、俺がなりたかったんだよ。プロを目指す為の相棒が欲しくて、凪を誘って一緒に野球を始めた。でもさ、現実は残酷で、夢は儚い。あいつは急成長を続けて、俺は同じ景色を見れなくなって……まあ、置いていかれたんだよ。いつからか、本気で夢を追うあいつの足を引っ張りたくなくて、同じ熱量で頑張ることすら止めたんだ」
「らいらい……」
「俺は、高校で野球を辞めるよ。彩美 凪の女房役を全うして、あいつを次のステージに送り出す。だから、同じ道は歩めない」
いつもの冗談は、出てこなかった。
これは、頼が隠してきた本音。
怖いくらいに、揺らぎのない言葉。
受け止める準備もせず、迂闊に踏み込んでしまったのだ。
返す言葉さえ、見つからない。
「紬は、凪と同じ大学に行くの?」
「……えっ。大学……?」
「まさか、聞いてない……? 『大学に進学してプロ目指す』って、前から言ってるけど……まじか」
私は、何も知らない。
頼の過去も、凪の未来も。
寂しげに笑う紬を見て、頼は優しく問いかける。
「つ、紬はどうする予定? 民宿を継ぐのか、凪と一緒に島を出るのか……それ以外の道もあるだろうし」
悩もうとして、初めて気づく。
紬の心は、道を決めていた。
「私は……島に残るよ」
大きな瞳に、希望の光が差す。
「守りたい場所があるんだ。ここで叶えたい夢もある」
曾祖母が書いた手紙。色歌の想い。
桜が咲き誇り、心の水面に花を降らす。
「だから、凪の傍に居られるのも、あと一年……夢は全力で応援するけど、一緒に島を出ることは出来ない、かな」
頼は表情を変えない。
瞳の奥で揺れるユキヤナギ。
「――私は、民宿を継ぐよ。『みんなの帰る場所』を守っていきたい。夢に向かって頑張る人たちの、心の故郷になりたいんだ」
夕陽の光に照らされて。紬の表情も春めく。
視界が鮮明になり、進む道が見えた。
「決まったな」
「うん! 一緒に悩んでくれてありがとう」
窓に映る春の夕空。
二人は席を立ち、教室を後にする。
「夏の大会が終わったらさ」
少し前を歩く頼は、足を止めて振り返った。
紬を見つめ、真剣な表情で告げる。
「付き合って欲しい」
放課後の静寂に、ミモザを飾ろう。
敢えて、言葉は返さない。
「進路相談」
青々と春が輝いた。
