土曜日が思い出になる。
目を覚ますと、日曜日の午後だった。
軽く身だしなみを整えた紬は、食べ物を求めて厨房へ向かう。
「おはよ……」
「おそよー。つむっちもご飯食べちゃって」
「あ、はい!」
厨房で料理をしているリンを見つけ、紬は慌てて姿勢を正す。
「ん? どしたん?」
「いえ、何でもありません! 急いで朝食兼昼食を済ませます!」
「ゆっくりで良いよ」
「お、恐れ入ります」
「つむっち……さっきから、喋り方変じゃない?」
「ひいぃぃ!」
紬は頭を抱える様にしてしゃがみこみ、悲鳴のような声を出す。
変な空気が漂う厨房に、珠景もやって来た。
「……リンちゃん。うちの妹をいじめないの」
「姫ちゃん!? いじめてないって! いつも通りでしょ、私」
「私からすればいつも通りなんだけど、ほら昨日の件で」
「昨日の件? ……あぁ、何。お説教の話? もう怒ってないって」
「紬の心には、まだ余韻が残っているみたいだよ。昨日の夜、怯えてたもん」
「えー、そんなに怖くなかったでしょ。怒るの苦手だもん」
犬のようにブルブルと頭を揺らして、リンの言葉を否定する。
いつもは優しいリンだが、怒ると『鬼』が殻を破る様にして出てくるのだ。
怒らせた時点で負け。
恐怖の説教タイムによって、心は切り裂かれてしまう。
リンは紬に歩み寄ると、背後から抱き上げた。
「よっこらしょ」
「み、珠景! 助けて、山に捨てられるぅ! いやだぁぁ!」
紬はバタバタと暴れて、リンの腕のなかで必死に抵抗する。
「こら、暴れないの」
「いやだぁ、まだ十七歳なのにぃ」
抵抗を続ける紬を見て、珠景は笑みをこぼす。
「私はこの歳で死んだけどね」
「いや。笑えないから!」
ツッコミを入れた紬は、隙をみてリンの腕の中から逃げ出した。
紬が珠景の背後に隠れると、リンは話題を切り替える。
「昨日から宿泊しているルークさんに加えて、今日からもう一人宿泊予定だから」
「ルークさん?」
「昨日、つむっちと凪が話してた外人さん。なんか、結構凄い人っぽいよ。一ヶ月くらい滞在するみたいだし、お金持ちの可能性高め」
「凪に興味示してたから、野球やってる人なのかな?」
「かもね。身体もデカいし、強そう」
「タカアシガニ」
「出たな、カニめ」
紬と珠景のコンボが決まると、三人は楽しそうに笑い合った。
❀.*゚
茜色に染まる空。
白球が宙を舞い、赤とんぼが飛び立つ。
紬は廊下に腰掛けて、凪と頼のキャッチボールを眺めていた。
風がススキを揺らし、紬はおにぎりを頬張る。
行き交うボールも、おにぎりに見えてきた。
「練習中、ゴメンナサイ。少し良いデスカ?」
廊下からルークに声をかけられて、二人は練習を中断する。
「昨日はすみませんでした。どうされました?」
「ナギ。もう一つ、スライダーを覚えてミマセンカ?」
予想外の言葉に、凪は目を見開く。
「キミに必要なのは、縦のスライダーだとオモイマス。野球のゲーム、シマスカ?」
「時々やるくらいですけど」
「縦のスライダーは『Vスライダー』と出ます。あれは『Vertical』、つまり垂直という意味デス」
ボールを頂戴。と手招きして、ルークは凪に変化球の握りを見せる。
「私は、違う意味も込めてイマス。『Victory』つまり『勝利』デス」
凪にボールを手渡し、ルークは笑顔で告げる。
「勝利を掴むスライダーを、私はキミに教えたい」
急な展開に、凪は少し困ったような表情をみせた。
「……失礼ですけど、何者なんですか?」
「自己紹介がまだデシタ。私はルーク。元メジャーリーガーです。肩を怪我して、五年で引退シマシタ。引退後は日本に来て、大好きな米作りをシテイマス。つまり、今は農家さんデスネ」
情報量が多い経歴に、三人は言葉を失ってしまう。
「メジャーで活躍する夢は、叶いませんデシタ。でも、もう一つ夢がアリマス」
一拍おいて、ルークは話を続ける。
「私の変化球をマスターした子供が、プロの世界で活躍することデス。ナギ。キミなら私の夢を叶えてくれるはずデス。お願い出来ますカ?」
「よろしくお願いします」
凪とルークは握手を交わし、互いに笑みを浮かべた。
蚊帳の外に置かれた頼は、紬に駆け寄る。
「あの人のこと、スマホで調べてみて」
こくりと頷き、紬はスマホを手に取った。
ルーク
メジャーリーガー
スライダー
引退
農家
情報を入力し、検索をかけてみる。
すると、メジャーでの成績や、ネットの記事が沢山出てきた。
その中には、農業の話も幾つかある。
「ガチっぽい」
スマホの画面を頼に向ける。
「これは化けるぞぉ……やっべ、楽しみになって来た!」
頼は軽快な足取りで、雑草の上を駆けていく。
靴を持ってきたルークも合流し、新しい練習が始まった。
ルークの話を聞き、実際に投げて感覚を確かめる。
その作業を、三人で繰り返していく。
速いストレート。
横に逃げていくスライダー。
そして、真下に落ちる縦のスライダー。
「お、落ちた……」
初めて見る変化球。
頼は唸り、ルークも手を叩いて喜んでいる。
「これ、伝家の宝刀っしょ。彩美 凪のVスラ!」
「エグイデスネ」
新しい変化球の取得に向けて、凪と頼は試行錯誤を続ける。
そんな二人の姿を見つめていると、ルークが歩いてきた。
「ナギを教えてくれてアリガトネ。私はルークです」
「神島紬です。昨日はごめんなさい」
「大丈夫デスヨ。ツムギは、おにぎり好きデスカ?」
「はい! 特にツナマヨと、昆布が好きです。ルークさんは?」
「鮭と明太子デスネ。非常に美味しいデス」
「あ、分かる。めっちゃうまーってなりますよね」
目を輝かせる紬を見て、ルークは笑みを浮かべて頷く。
廊下に腰掛ける紬の近くに立ち、ルークは凪の投球に目を向けた。
「ツムギは夢、アリマスカ?」
「最近、一つ出来ました」
「イイデスネ。夢は生きる為の原動力デス」
練習をする二人を見つめ、ルークは話を続ける。
「叶えたい事は幾つあってもイイ。メジャーでの活躍を諦めた私も、新しい夢を追って生きてイマス。今の夢は美味しいお米を作る事デス」
「なるほど……いつか、美味しいおにぎり作ってください!」
「ガンバリマスヨ」
ルークは笑顔を見せると、凪のもとへ歩いて行った。
