夏の終わりに知った『珠景姫の物語』
珠景姫の最期は、想像よりも遥かに悲しいものだった。
あの時代を生きた人々の苦悩を、紬は何も知らない。
珠景姫がどれだけの覚悟で現実に抗おうとしたのかを、この目で見ていない。
最愛の人を失った後に、仕事を全うする妹として生きていない。
どんなに物語と向き合っても、紬は部外者のままだ。
「…… 凪」
奥島高校のグラウンドに立つ凪を見つめ、紬は弱々しい声を漏らす。
夢を追うことが、こんなに難しいなんて知らなかった。
理想と現実。隣り合わせに見えて、本当はかけ離れた距離にあるのかもしれない。
その距離を埋められた人だけが、夢の舞台に立つことができるのだろう。
凄いな。夢を追う人達は凄い。
私はもう挫けそうだよ。
小さく息を吐き、紬は空を見上げる。
透き通るような秋の青空を、紅葉の葉がゆらゆらと舞っていた。
「あぁ……コマッタラバガニ」
「出たな、新種のカニめ」
空を見上げる紬の顔を、珠景が覗き込んで来た。
「み、珠景!? 何でここに?」
「凪君たちの練習試合があるんでしょ? リンちゃんに教えてもらった」
「ここまで一人で来たの?」
「そうだよ。駅までは、紬と一緒に歩いた事あるし」
スマホの地図アプリを見せた後、珠景は紬の隣に座った。
「変な人に声かけられなかった? 迷わなかった? お腹空いてない?」
「心配性のお母さんじゃん」
珠景はふっと笑うと、紬に目を向ける。
「困ったカニが口から出てたけど、何かあったの?」
「あ……ううん、何もないよ」
「そう? 何かあったら言ってね」
「ありがと。ほ、ほら始まるよ!」
珠景の視線をグラウンドへ誘導する。
練習試合が始まった。
今日の対戦校は、水凪学園高等学校。通称・水学。
校長同士が旧知の仲であり、毎年練習試合を組んでいるらしい。
先攻の水学は、凪の得意球であるスライダーに翻弄されるように、二者連続三振のスタート。しかし、三番の一年生に二塁打を浴び、四番には四球を与えてしまう。
「早速、ピンチじゃん」
「…… 凪なら大丈夫。らいらいも、何とかしてくれると思う……多分」
紬は祈るように手を合わせ、凪を見つめる。
カキンッと甲高い音が響き、白球が空高く舞った。
外野手が懸命に追いかけていくが、届かないくらい遠くへと飛んでいく。
五番打者の打球は、外野のフェンスを超えてしまった。
「……ス、スリーラン…… 凪ぃ……」
紬は頭を抱え、消え入りそうな声で呟く。
そんな紬に追い討ちをかけるように、珠景も思った事を口にする。
「……もしかして、凪君は強くな――」
「そんな事ない! 今日はたまたま調子悪いだけ。本当に、たまたまだから!」
「じゃあ、負けないように応援しよ」
その後、後続を抑えた凪だったが、四回に入ると再びピンチを背負ってしまう。
あと一つアウトを取れば攻守交代なのに、相手は二打席連続ヒットの三番打者。
「スミマセン」
突然、声をかけられ、紬は声の主に目を向ける。
すると、サングラスをした外国人男性が立っていた。
「な、なんでしょうか?」
「あのピッチャーは、この島の子デスカ?」
外国人男性は、マウンドに立つ凪を指差す。
「凪ですか? そうです」
「ナギ……分かりマシタ。アリガトネ」
大きな手で合掌すると、外国人男性はどこかへ行ってしまった。
綺麗な金属音が響いたのは、その直後だった。
相手の一年生が、ゆっくりとグラウンドを一周する。
エース凪の炎上により、今年の練習試合は大敗に終わった。
