世界が眩しいくらいに綺麗だった。
夕陽の光を身に纏った巨樹は神々しく、思わず見惚れてしまう。
御神体まで歩いてきた珠景姫は、巨樹に背を預けて一息つく。
夏の乾いた風が吹くと、木漏れ日が楽しそうに揺れた。
もうすぐ、私は最後の姫になる。
御神体の傍にある大穴へ飛び込み、自ら命を絶つのだ。
自由行動が許された今日、誰も珠景姫の行動を注視していない。
宮殿を出た時も、止める人はいなかった。
長姫が事件を起こした前例は無く、何も起きないと信じているのだろう。
「あれが、姫様か。噂通りの別嬪さんだ」
「綺麗……可愛い」
「あんな美人と結婚出来たら幸せだろうなぁ」
「でも、まだ結婚はしないんでしょ?」
「御神体で何しているんだ?」
「お散歩じゃないかしら? 姫様も、気分転換は必要よ」
珠景姫の姿を一目見ようと、数名の島民が砂浜に集まっていた。
潮溜まりを挟んだ距離しかない為、会話の内容が全て聞こえてしまう。
宮殿から御神体まで、顔を隠さず歩いてきた。
式典用の鮮やかな着物も相まって、長姫だと気づいたのだろう。
島民の声を聞きながら、珠景姫はある瞬間を待っていた。
もうすぐ、宮殿関係者が探しに来る。
珠景姫の死に立ち会う人物を色歌が選び、御神体に向かわせると聞いた。
その役割は、珠景姫と関係性を持たない人に限られる。
何も知らない宮殿関係者が事件の証人になれば、御三家の人々も信じるしかない。
海風を感じながら、待つこと数分。
苔の生えたトンネルから、一人の青年が姿を現す。
「姫様! そんな所で何をしているんですか!」
爽やかな声と共に走って来たのは、父の付き人を務める栄一だった。
まさかの人選に、珠景姫は辺りを見渡す。
トンネルの傍に立つ色歌を見つけ、珠景姫は笑みを浮かべた。
巨樹の下、自然に出来た穴の前に立つ。
そして、歩み寄る栄一に目を向けた。
「止まりなさい。佐藤栄一」
「……っ!」
「これは最初で、最後の命令です。私の言葉と、あなたが見たものを、みんなにしっかりと伝えてください」
「言葉と、見たもの……ですか」
栄一は足を止めて、珠景姫を見上げる。
「『長姫制度は今日をもって廃止にする。珠景姫は最後の姫になった』と」
「お待ちください。何を……何をなさるつもりで……」
「色歌のこと、よろしくお願いします」
「姫様ぁぁぁあ!」
珠景姫がこれから行う事を悟ったのか、栄一は大きな声を出して走り出す。
周りの島民は、二人のやり取りを不思議そうに見つめていた。
飛び込む直前。色歌に目を向ける。
あとは頼んだよ、色歌。
でも……やっぱり、寂しいな。
色歌の結婚とか、子供の顔も見てみたかった。
夢を追いかけたかったし、誰かに恋もしてみたかった。
今までありがとう。
お姉ちゃんも覚悟を決めるよ。
私が夢見た世界で、どうか幸せに生きてください。
いつまでも、大好きだよ。
溢れ出した涙を拭い、珠景姫は笑顔を見せる。
そして、真っ暗な穴の中に飛び込んだ。
痛い程の重力を受けながら、暗闇へと落下していく。
栄一や島民の悲鳴が遠くに聞こえたが、すぐに何も聞こえなくなった。
不思議と痛みは感じない。
無事、命が途絶えたのだろう。
珠景姫は十七歳の若さで生涯を終え、島の最後の姫となった――
❀.*゚
そう思っていたのに、新しい朝を迎えてしまった。
地下水の上に倒れていた珠景姫は、ゆっくりと身体を起こす。
濡れた髪と着物から水が滴り、白い肌を伝って落ちていく。
「……ははっ……そっか」
死ねなかったのか、私。
「嘘でしょ……あの高さから落ちて、無傷って……おかしいじゃん」
頭上を見上げて、困ったように呟く。
光が射し込むあの場所には、もう戻れない。
「ふざけないで……何の為に、私は……こんなの望んでいない!」
怒声を飛ばし、近くの岩を殴りつけた。
手の皮膚が切れて、血が流れ出す。
じわじわと痛みが広がり、出血した場所を手で押さえた。
「……え……何で」
異変を感じて、傷を負った手に視線を落とす。
出血したはずの場所は綺麗に治っていて、血も完全に止まっていた。
痛みも消えてしまい、岩に血が付着しているだけ。
「……まさか」
もう一度。
岩を殴って、傷を作ってみる。
「いたっ!」
痛みと出血は伴うものの、傷はすぐに塞がってしまう。
それを見て、すぐに理解した。
人間ではない別の存在に、生まれ変わってしまったのだと。
見た目と記憶はそのままなのに、命の場所だけが違う。
不思議と、自分の生命力が御神体から来ている事が分かるのだ。
自分の魂が御神体の精霊に宿り、今の姿で生きている事も刷り込まれている。
「……もしかして、永遠の命ってやつ?」
今にも消えそうな声で呟いた珠景姫は、その場に崩れ落ちる。
それからの毎日は、時代が違う八月八日の連続だった。
色歌が翌年から始めたお祈りによって、文化の変遷を知る日々。
御神体の前で話した言葉は、声に出していなくても珠景姫に届いていた。
その特別な力を感じる度に、生まれ変わってしまった事を痛感する。
長姫制度が撤廃され、元号も『昭和』を経て『平成』へ。
色歌は結婚して子供を授かり、孫も産まれた。
そして、晩年。
約束通り、曾孫の顔を見せに来てくれた。
名前は『紬』。
その夏を最後に、色歌の言葉は届かなくなる。
今度は、珠景姫が残されてしまった。
最初に命を落とした珠景姫だけが、今も一人生き続けている。
空白の時間が十七年続いたが、八月八日のお祈りだけは途絶えなかった。
最後の姫になってから百回目の夏。
珠景姫は出会ってしまう。
十七歳になった色歌の曾孫。神島紬に――
