淡い桜色は、爽やかな新緑へ。
侍女の配置転換から一ヶ月が経った。
幼少期の日常に似た生活は、傷ついた心を癒していく。
一人で済ませていた食事も、色歌や双子姉妹と一緒に食べるようになった。
退屈な時は花札や百人一首で遊び、寂しい夜は消灯時間まで雑談を楽しんだ。
宮殿の業務に専念する侍屋敷家の姉妹も、明るい表情で働いているという。
このまま、素敵な未来に進みたかった。
再び、運命の歯車が狂い出す。
ある日。突然、父に呼び出されたのだ。
本来付き添うはずの双子姉妹ではなく、色歌と来るように命じられている。
身内以外の人間が居ると、都合が悪い話なのだろう。
幼少期まで過ごした神島家の屋敷に向かうと、二人は客間に案内された。
「こちらの部屋でお待ちください。大扇様を呼んで参ります」
父の付き人を務める青年に声をかけられ、珠景姫は姿勢を正して座る。
それから間もなくして、大きな足音が近づいて来た。
襖が開き、父の大扇が姿を現す。
仙人のように髭を伸ばした大柄な男。
頭が固いうえに貪欲で、良い所は一つも無い。
「早速だが、本題に入るぞ」
固唾を飲む珠景姫に、大扇は淡々と告げる。
「八月八日。十七歳となる日に、『長姫』に昇格してもらう」
拒否権は無いらしい。
呼び出された時点で、覚悟はしていた。
受け入れたくないのに、受け入れるしかない。
重たい空気が二人の心を蝕んでいく。
「神島家が権力を握り続けるためには、一刻も早く女子を授かる必要がある。相手はお前が選んで良い。早急に、結婚を済ませろ」
長姫昇格の条件には、結婚と妊娠が含まれている。
また、女子を一人以上産むのが、しきたりだ。
長姫が最初に産んだ子供が女子であれば、娘が次の世代の姫になる。しかし、長姫が女子を授かる前に、他の名家から女子が生まれると、その家に姫の権利が譲渡されるのだ。
大扇は、何としても権利の譲渡を避けたいのだろう。
「彩美家の双子は子供を産める年じゃないから良いが、問題は侍屋敷家だ。あそこの姉妹はお前よりも年上で、既に結婚している。どちらかが先に女を産めば、次の姫は侍屋敷家の子供……良いか、これは急務だ」
長姫制度の裏では、御三家による権力争いが何百年と繰り返されて来た。
それは今も変わらない。
きっと、これからも続いていく。
「お前は女だろ。黙って従えば良いんだ。分かったか?」
「……はい」
要を伝え終わった大扇は、何も言わずに部屋を出て行った。
緊張から解放され、二人は深いため息をつく。
「帰ろっか」
珠景姫は笑顔を作り、優しく声をかける。
悔し涙を滲ませ、色歌は大扇が消えた方を睨みつけていた。
客間に残された二人も、静かに屋敷を後にする。
もう、言葉は出て来なかった。
❀.*゚
月が儚く微笑む夜。
桜の巨樹に登り、珠景姫は遠くの海を眺めていた。
深夜の宮殿は既に寝静まっていて、姫の動向に注意を向ける人も居ない。
誰にも邪魔されない木の上で、珠景姫は長姫昇格について考えていた。
「……運命には抗えないか」
十七歳の誕生日を迎えたら、珠景姫は『長姫』に昇格する。
権力争いの為に、結婚を強要されるのだ。
歴代の長姫が同じ道を辿ってきたとしても、簡単に受け入れたくない。
ふと、思う。
もし、姫として産まれなかったら――
自分らしく生きる道を選べたのかな?
友達を作ったり、誰かに恋をしてみたり。
特別扱いされない日常を過ごして、何気ない思い出を積み重ねる。
夢を必死に追いかけて、挫折や成功を味わえたかもしれない。
憧れの生活が目に浮かび、じんわりとぼやけていく。
「あぁ、辛いな……」
涙が溢れ落ちる。
心は、無数の傷を負ってしまった。
息苦しい場所で、痛みを耐え忍ぶ日々。
姫という罪を背負わされ、見えない檻に囚われている。
監視下に置かれ、逃げ出すことも出来ない。
希望の灯りが、儚くも消えていく。
これから進む未来は、真っ暗な茨の道だ。
きっと、すぐに壊れてしまう。
長姫として生きる珠景姫は、もう私じゃない。
月明かりに照らされて、涙の粒が光り輝く。
感情の波が穏やかになり、一つの答えに辿り着いた。
私が、長姫制度を終わらせよう――
生き地獄が続くのなら、未来の子供たちの為に命を使いたい。
不変に縛られた世界を変えるには、きっかけが必要だ。
私が最後の姫になって、そのきっかけを作ろう。
長姫制度に苦しむ子供は、私が最後で良い。
涙を拭った珠景姫の瞳には、決意の色が宿った。
夜風に背中を押され、暗闇に隠された地面へ降り立つ。
革命の一歩を、踏み出すように。
