珠景姫 Mikage Hime ~百年越しの夏に見た夢~


 授業の内容は、全く覚えていない。
 一限から放課後まで、ずっと借りた本を読み進めていた。
 今も、(なぎ)の部活が終わるのを待ちながら、最終章を読んでいる。

 夕陽の光が、本の文字を優しく照らし出す。
 海の香りを運ぶ風。遠くで歌う潮騒。
 優雅に踊るカーテン。
 静かな教室で、最後のページを捲る。
「酷い作品だ……」

 姫奥島(ひめおくしま)の伝説 ―最後の姫となった少女―
 珠景姫(みかげひめ)が生きていた時代を描いた歴史小説だ。

 主人公は、宮殿に仕える青年。
 序盤。珠景姫(みかげひめ)に憧れを抱きながら、青年は仕事に励んでいた。
 しかし、中盤に差し掛かると、憧れの感情は妬みへと変わり始める。
 「わがままな姫様」「顔だけ高嶺の花」「美貌の暴力」と、鋭利な言葉が増えていった。
 珠景姫(みかげひめ)が自害した場面では、その行動自体を否定するような文章が続く。
 特に次の文章には、憤りさえ感じた。
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 美貌に任せて、良い男と結婚すれば良かったものを――
 珠景姫(みかげひめ)の自害は英雄的な行いではなく、わがままの延長線にある『逃げ』だ。
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 私は、珠景姫(みかげひめ)の人生を知らない。
 この物語が正しいのかも、まだ分からない。

 でも、珠景(みかげ)と過ごした時間がある。
 一緒に暮らす家族の人生を、否定されたのだ。
 こんなにも、読んでいて辛いものはない。

 視界がぼやけていく。
「何泣いてんだよ」
「……まだ泣いてない」
「なら、帰ろうぜ」
 部活終わりの(なぎ)は、(つむぎ)の肩を優しく叩いた。
 借りた本を机の中に仕舞い、(つむぎ)も帰る支度を済ませる。

 放課後の喧騒。
 階段に残る足音の余韻。昇降口の光。
 靴を履き替えて外に出ると、夏の名残を感じる空気に触れた。

 夕空の下、二人は影を伸ばして歩いていく。
「今日は何泣き虫?」
「怒り泣き虫」
「珍しいな」

「…… 姫奥島(ひめおくしま)を舞台にした歴史小説を見つけてさ、今日はずっとその本を読んでた。宮殿で働く青年の視点で、珠景姫(みかげひめ)の人生を描いているんだけど……」

「別人だったか?」

「うん…… 珠景姫(みかげひめ)の物語を一つも知らないから、何が本当なのか分かんない。でも、私は珠景(みかげ)が好きだから、珠景姫(みかげひめ)を否定する表現が許せなくて……これを読んだ人が、誤解しちゃうって思うと、なんか、悔しくて……」
 (つむぎ)は立ち止まり、涙を堪えるように下唇を噛む。 

「伝わったから、もう良いぞ」
 (つむぎ)の泣きそうな顔を隠すように、(なぎ)は歩み寄ってくれた。
 数人の生徒達が、二人を眺めながら歩いていく。

「久しぶりに行くか? 秘密基地」
 (なぎ)は穏やかな声で告げると、(つむぎ)の手を引いて歩き出した。

 日陰を楽しむ風の通り道へ。
 路地裏を歩いていくと、廃れた住宅地に出た。
 所々ひび割れた道路。薄汚れたブロック塀。錆びた門。蔦に呑まれた家屋。
 空き家が多いことを物語るように、寂しげな雰囲気が漂っていた。

 ひぐらしが鳴き、時代を旅した風が吹く。
「ここだな」