珠景姫 Mikage Hime ~百年越しの夏に見た夢~


 私の好き。を思い出した。 

 失いたくて、心の底に埋めていた感情。
 百年の時が経っても、朽ちずに残っていた。

 珠景(みかげ)は玄関近くの廊下に腰掛けて、遠くの海を眺める。

「桜が無いだけなのにな」

 夕陽の光に包まれた桜色の世界。
 海が見える爽やかな夏の中庭。

 過去から現在へ。
 目に映る景色が、変貌を遂げていく。

 昨夜、沢山泣いたのだろう。
 空の表情が清々しい。

「おーい、親友! 起きているか」
 元気な声が聞こえ、珠景(みかげ)は玄関へ向かう。
 ゆっくり玄関戸を開けると、(らい)が待っていた。
 グローブを括り付けた金属バッドを肩に乗せ、野球帽を後ろかぶりしている。

 珠景(みかげ)は人差し指を唇に当てて、しぃーっと小さな声を出した。
(つむぎ)寝てるから、静かにね」
 (らい)は数回瞬きをすると、流暢に喋り出した。

「綺麗な女性しか居ないと噂の民宿ってここで合ってる? まあ、おいらの目的はクールに決めてるエースピッチャーの方なんだけど」

(なぎ)君なら、起きて準備してたよ」

「それなら好都合だ。ただ困ったな……美少女に出迎えられたら、練習じゃなくてデートに行きたくなる。ほら、彼女の家まで迎えに来たみたいな?」

「……ごめん。良く分かんない」
「そりゃ残念。今日は練習着だし、デートの服装じゃない……また今度で良いかな?」
「誰も誘ってないけど」

「ど真ん中直球ありがとう。あまりの球威に、心のミットが持っていかれそうになったよ。危うくボール判定されそうでヒヤヒヤした」

 わざとらしく胸を撫で下ろす(らい)を見て、珠景(みかげ)は微笑を浮かべる。

「朝から口説いてんじゃねぇよ。早く始めようぜ」
 対応に困る珠景(みかげ)に代わり、(なぎ)が廊下から声をかけてくれた。
「へいへい。んじゃ、お邪魔しますね」

 中庭に出た(なぎ)(らい)は、早速キャッチボールを始めた。
 珠景(みかげ)は廊下に座り、二人の間を行き交う白球を目で追う。

 静かな朝。
 グローブが鳴らす乾いた音が響く。

「ねぇ、野球ってどんな事するの?」
 珠景(みかげ)の問いとボールを受け止めると、(らい)は動きを見せながら教えてくれた。

「投げて、打たれて、トンネルして、悪送球からの失点、怒る監督、項垂れる選手達」
「喧嘩売ってんのか?」

「違いますやんっ。そう怒らんでくだせぇな。お兄さんは良い球投げてましたで? バッターが打たなければ、おいらのミットに収まっておりましたさ」
「……」

「仰る通りでございます。何も言ってませんね。たこ焼き門左衛門のトンネル工事、干物グランプリの宇宙開発。これが全てでございます。うるさい人居ますか? 私ですね」

「いよいよ、何言ってんだよ」
 呆れる(なぎ)を見て、珠景(みかげ)は安堵の笑みをこぼす。

 良かった。
 (なぎ)君も理解出来てないみたい。

 変な空気のまま、二人はキャッチボールを再開した。
「お、やっとるねぇ。未来のプロ野球選手たち」
「リンちゃん。おはよ」
「おはよー。今日も暑くなりそうだねぇ」
 髪を結びながら歩いてきたリンは、珠景(みかげ)の隣に座った。

「姉貴。珠景(みかげ)に野球の動画見せてやって。興味あるらしいから」
「おいおい、弟よ。お姉様に指示を出すってか」
「黙って従ってくれ。間違ってそっち投げんぞ」
「投げてみなさいよ、バックスクリーンにぶち込んでやるから! ほら来いや!」
 リンはスマホを両手で握ると、打ち返す構えを見せる。

 (なぎ)はため息をつくと、山なりのボールをリンに向かって投げた。
「ちょっ! 本当に投げる馬鹿がどこにいるの、ここに居たよ!」
 リンは咄嗟にスマホを足の上に落とし、両手でボールをキャッチした。

(らい)君のせいだぞ」
「理不尽!」
 リンは(らい)に向かってボールを投げると、ふんっと鼻を鳴らした。
 ショートバウンドしたリンの球を上手くキャッチした(らい)は、哀れな表情を作る。
 ボールの流れが止まり、珠景(みかげ)はくすっと笑った。

「良いね。こういうの」
 (つむぎ)が居れば尚良いのだが、きっと今も夢の中。
 起きる気配すら感じない。

「さて、そろそろ行きやすかねぇ」
「どこか行くの?」
「我々、未来のプロ野球選手は、野球部の練習を探しにアマゾンの奥地へと……」
「一人で勝手に行ってろ」
 淡々と呟き、(なぎ)珠景(みかげ)に目を向ける。

「悪いな。野球の事は姉貴に聞いてくれ」
「分かった。練習頑張ってね」

 二人が居なくなると、民宿は静寂を取り戻した。
 言われた通り、珠景(みかげ)はリンに野球のことを聞いてみる。

 野球のルール、ポジションの違い、変化球の種類、高校野球とプロ野球について。
 野球観戦を楽しめるレベルの知識を、リンは動画やノートを使って丁寧に教えてくれた。

 いつか、(つむぎ)と一緒に試合を見に行きたい。

 小さな夢を抱く珠景(みかげ)、夢心地の(つむぎ)
 民宿は、正午を迎えた。