珠景姫 Mikage Hime ~百年越しの夏に見た夢~


 廊下に出ると、空は雨雲に支配されていた。
 夏の太陽が輝かせた世界を、夕立が洗い流していく。

 冷凍庫からアイスを取って来た二人は、廊下に並んで座った。
 雨の香りを感じながら、カップに入った苺味のかき氷を口にする。
「あ、美味しい」
「これ、昔から好きなんだ。練乳の甘さがたまらんっ」
「こんな美味しいもの、滅多に食べれないでしょ?」
「……ほぼ毎日食べてる……」
「良い時代じゃん」
  
 百年前は、まだ貧富の差が激しかった。

 菓子は高級品で、食べることが出来たのは宮殿関係者のみ。
 多くの島民にとっては、手の届かない代物だったのだ。
 食生活が豊かになり、その価値も落ち着いたのだろう。

「溶けちゃうよ、かき氷」
「だね。(つむぎ)は……もう食べたの?」
「うん。空っぽ」
「はやっ」
 珠景(みかげ)は思わず笑ってしまう。

 (つむぎ)と出会って一日。
 早くも、食いしん坊のイメージが定着しそうだ。

「今日は食べてばっかり……食事が趣味なの?」
「食事と読書!」
「部屋にいっぱいあったもんね。あれ全部読んだ本?」

「うん! 小説や漫画を読むのも好きだし、ドラマとかアニメを見るのも好き。あとは……誰かの思い出話も!」
 (つむぎ)は一呼吸おき、優しい声で告げた。

「物語が好きなの」

 雨空を見上げ、言葉を紡いでいく。

「人生は一回だから、知らない世界や経験出来ないことが沢山あるでしょ? だから、誰かの物語に触れる瞬間は、胸が高鳴る。想像して擬似体験したり、いろんなことを学んだり。心が落ち着くし、満たされる」

 語り終えた(つむぎ)は、珠景(みかげ)に目を向けた。

珠景(みかげ)は、何が好き?」
 刹那の静寂。耳に届く雨の音。

「私は……景色を眺めるのが好き」

 懐かしい記憶が蘇る。
 先代の長姫(おさひめ)・母が生きていた頃。
 幼少期の珠景姫(みかげひめ)は、神島家の屋敷で暮らしていた。

「小さい時から風景画を描くのが好きでさ。良い景色に出会えた日は、夜遅くまで絵を描いてたの。私の父は厳しい人だったから、見つかる度に怒鳴られて……でも、楽しかったから、辞められなかった」

 でも、辞める日が来てしまう。
 母の逝去により、姫として宮殿に住むことになった。
 娯楽と外出を禁じられ、姫の生き方を叩き込まれる毎日。
 変わり映えの無い日々のなかで、桜だけが四季を教えてくれた。

「景色も生きてるからね」
 雨に濡れる中庭を見つめ、今は亡き桜に想いを馳せる。

「天気や時間帯によって、見せる表情が違うんだよ。普段見ている日常の風景だって、少しずつ変化してる。その瞬間しか出会えないからこそ、形に残したい景色が沢山あったのにさ……結局、残せなかった――」

 十六歳の初夏。突然、告げられた長姫(おさひめ)昇格。
 運命に抗う為に、私は最後の姫になる決断をした。
 残された僅かな時間で、こっそり風景画も描き始める。

 大好きな故郷の風景を残したい。
 その一心で、記憶を頼りに絵を仕上げていった。

 青春を捧げて描いた作品の数々。
 未来に届けたい風景画だったのに。
 私の死後。『父が全て燃やしてしまった』と聞いた。

 だからもう、あの頃の景色には出会えない。
 もし、今も絵が残っていたら、(つむぎ)に見せてあげたかった。

 珠景姫(みかげひめ)が生きた時代の景色を――