あの夏から百年。
島の景色は変貌を遂げていた。
長閑な田園風景は、商店街を中心とした住宅地へ。
鉄道や車が行き交い、街は魅力的な娯楽で溢れていた。
誰もが綺麗な服を着ていて、美味しい食べ物も気軽に購入出来る。
姫だった頃の『特別』が、現代では『普通』になっていた。
便利で過ごしやすい世の中は、当たり前じゃない。
今日を迎えるまでの歴史がある。
私が眠っている間に、色歌は激動の時代を生き抜いたのだろう。
現代の世界を知り、ようやく気づいた。
珠景姫は、悲劇のヒロインじゃない――
ゆっくりと目を開く。
珠景は肩まで湯船に浸かり、小さく息を吐いた。
民宿かみしまには男女別の浴場があり、大人五人がゆったりと浸かれる程の浴槽と、洗い場が二箇所設置されている。
広々とした浴槽で温まりながら、身体を洗う紬に声をかける。
「紬ってさ、凪君とお付き合いしてるの?」
「ふぇっ! し、してないよ!」
大きな声と共に、紬の手から石鹸が逃げ出す。
床を滑って遊ぶと、浴槽の近くで力尽きた。
「でも好きでしょ? 凪君のこと」
「……す、好き」
「恋する乙女じゃん。可愛く育つ秘訣はそれかぁ」
「遺伝だよ、多分。だって、色歌さんも可愛かったんでしょ?」
「これぞ、大和撫子って感じ」
「珠景がこんなに綺麗な時点で確定演出。『伝説級の国宝姉妹 神島色歌』登場って」
「なにそれ、変なの」
珠景を中心に、笑いの波紋が広がっていく。
そこへ、身体を洗い終えた紬も合流。
「うはー、ぽかぽかぁ」
小窓から流れ込む風が、ひぐらしの鳴き声も連れて来た。
湯気が立つ水面に、オレンジ色の光が射し込む。
「それで、凪君のどこが好きなの?」
「なっ! もう、えぇ……あらー」
驚きと困惑。そして、諦め。
「……最初は怖かったんだよ。凪は昔からあんな感じでさ。いつも淡々としてて、笑わないし。こわーって」
懐かしむように微笑み、紬は話を続ける。
「私が小学生の時に、凪とリンさんが民宿に住むことになってね。一緒に暮らすようになって知ったんだ。凪も笑ったり、泣いたりするんだって」
「一緒に生活すると、いろんな姿を見れるからね」
「うん。怖さが無くなってからは、良いところばかり気づくようになった。運動神経抜群だし、常に周りが見えてるのも凄いなって…… 凪は才能がいっぱいあって凄いんだよ。ほんとに、もうね。凄くて困ってる」
誰かに恋をする人生も素敵だな。と思う。
姫だった頃は、恋をするきっかけすら無かった。
「凪君、見た目も良いからね。思い出が増えたら、私も好きになっちゃうかも?」
「え! 困る!」
「冗談だって」
大きな声を出したを紬見て、珠景は笑みをこぼす。
「かっこよくて、才能に溢れているから好きなんだ?」
「それもある。でも一番は、夢を必死に追ってる姿が好きかも」
「夢か……大事だね」
夢を見ることさえ許されない。
そんな環境で、珠景姫は育てられた。
誰かに夢を諦めさせられるほど、悲しくて辛い事はない。
島民の多くが自由に夢を見て、挑戦や挫折を経験出来ているのなら。
命をかけて、長姫制度を終わらせた甲斐がある。
「珠景? ……もしかして、のぼせちゃった?」
「ぼーっとしてただけ」
「お風呂上がったら、一緒にアイス食べよ」
「食いしん坊め」
「別腹だもーん」
「じゃあ、上がろっか」
お風呂から出て、小さな脱衣所へと向かう二人。
雨が屋根瓦を叩き始めたのは、ちょうどその頃だった。
