何でも屋甘直の日常一逆らってはいけない二人組一

 ひとつのボロ屋の前、一人の少年を取り囲むように人相の悪い男たちが道を塞いで立ち並んでいた。
 
 まだ朝を迎えてそれほど時間は経っていない。
 それでも空はいつも通りくすんだスモッグに覆われて太陽の光は遮られている。
 そして道行く人々が少年のことを気にも止めないのもまた、いつも通りの光景だった。
 
「おいサク、言ってた金は用意出来たんだろうな」
「それが、その……」
 
 行き交う人々、サクと呼ばれた少年のみすぼらしい出で立ちとは正反対にかっちりとした値の張りそうなスーツを身に纏った中年の男の問いかけに少年は困ったように瞳を彷徨わせることしか出来ない。
 
「出来てねぇのかそれじゃあ仕方ねぇ、期日は今日までの約束だ、無いんだったらパーツを回収するしかねぇなぁ」
「っ……あ、あと二日、いや一日でいいから待ってくれ!! パーツが無いと姉ちゃんがっ……」
 
 男の合図で取り巻きの男たちはボロ屋の扉に手をかけようとするがそれをサクは自分の身体をねじ込むように間に入って阻止すると深々と頭を下げて早口に捲し立てる。
 
「もう何回目の戯言だそれは、もう俺にしては充分に待ってやっただろう、回収しろ」
 
 だが男は呆れたようにため息を吐き出し、それから取り巻きの男たちをさらにけしかけた。
 
「お、お願いだ!! もう一日でいいから!!」
「……チッ、はぁ分かった、俺も鬼じゃねぇあと一日だけやるから盗みでも強盗でも何でもしてちゃんと金を用意しておけよ、もう次のもう少し待ってくれは無いからな、最近は不審火もあって皆警戒態勢だろうからそう上手くいくとは思えんが、こんな泣き落としに負けるなんて全く俺も耄碌したもんだ」
 
 殴られても、足蹴にされても扉の前から退こうとしないサクに最初に折れたのは男のほうだった。
 それは決して優しさや同情から来たものではない。
 ただ、どちらでもいいのだ、金か、金になるもの、それさえ回収出来れば男はサクやサクの姉がどうなろうと露ほどにも興味がない。
 
 この芥田場では泥棒も強盗も殺人も横行し、その応酬で人が死ぬのも当たり前、とどのつまりはサクが金を用意できればその後はどうでもよく、金の準備が出来ずにサクが死ねばパーツを回収すればいい、それだけの話だった。
 
 何故ならこの男は、芥田場の外の人間だからだ。
 そして、これもまた芥田場では当たり前の光景だった。
 
「…………早く、どうにかしないと」
 
 だが、男たちがいなくなって顔を上げた少年、芥田場の人間であるサクにとってそれは、決してどうでもいい話ではなかった。


  
「甘、悪いんだけど買い出しの荷物持ちを頼めるかな?」
 
 芥田場の中枢、特に治安の良くない落宿地区で真っ昼間から家の壁面のペンキを塗り替えていた人相の悪い男にその家から出てきた一人の、この芥田場に到底似つかわしくない十代後半程に見える色素の薄い少女が耳触りの良い声で話しかけた。
 
「ああ、問題ない」
 
 声をかけられた瞬間に全身、髪の毛から爪先まで漆黒に染められた甘と呼ばれた青年は適当な場所にハケを投げ捨てる。
 人間離れした雰囲気、漆黒の所々に壁を塗る時に飛び散ったオレンジのペンキが飛び散った後が余計に異彩を放っている。
 
「それならよかった、屋根の雨漏りを直したいのだけど端材は重くて一人で運ぶには骨が折れる」
 
 少女は年不相応にからからと笑うと甘に駆け寄って頬についたペンキを自分の服が汚れるのも厭わずに拭いとる。
 最近降り続いた汚染された雨と吹きすさぶ泥臭い風のせいで芥田場に建っている家は軒並み大きな被害を受けた。
 元々外の世界のような顴骨な骨組みをしていない芥田場の建物ではよくあることだ。
 
「……」
「何か言いたげだね」
 
 自身の顔や腕についたペンキを拭う少女に甘が黙ってジーッと視線を向けていれば少女はそう言ってニヤリと笑って見せる。
「別に」
「あー、そういえば……おっと!」
 
 ふと、少女が何か話を振ろうとした瞬間、脇目もふらずに駆けてきた少年とぶつかり少女は小さく態勢を崩す。
 
「直さん、大丈夫か?」
「ああ、私は問題ない、それよりも……」
 よろめいた直と呼ばれた少女を慌てて支えた甘は貫いていたその無表情を少しだけ崩すも少女は特に気にした様子も見せずにそのまま走り去ろうとした少年の腕をがっしりと掴んだ。
 
「っ、なんだよ! 離せよ!」
 
 慌てた様子の少年は少女の手を振り払おうと試みるも思っていたよりも力が強かったようでそれは叶わずその場に繋ぎ止められたまま仕方なく二人を睨み付けた。 
 そもそもあの勢いでぶつかられて大きくよろけるか転けない時点で少女は異常、芥田場には表の世界で生きれない人間が集まる、その中には人知の及ばない存在もいる、少女が態勢をほとんど崩さなかったその瞬間から少年の中にあるのは人選のミスをしたという焦りだった。
 
「人にぶつかったら謝る、親に習わなかったのかな?」
「親なんていねえょ……」
 
 少女に当たり前のことを詰められて、この芥田場では少なくもない事実を苦虫を噛み潰したように少年は吐き出した。
 芥田場の歴史は永く、人はいつでもどの時代も独りを好まない、だからこそ芥田場で産まれて芥田場で一生を過ごす人間も決して少なくはない。
 
「直さん、コイツどうする?」
 
 甘は直の指示を待たずに少年の襟首を掴むとひょいっと簡単に地面から持ち上げる。
 
「別にぶつかられたくらいでとやかく言う気はないが、財布は返してもらおうか」
「……なんのことだよ」
 
 この場の空気に似つかわしくない笑顔で手を差し出す直にあくまで少年はシラを切ることを選んだ。
 ここで認めればどちらにしろ殺される、そう判断したからだ。
 
「甘、振ってみて」
「っ……!」
 
 直に促された甘は言われるがままにがしゃがしゃと少年を縦に振る。
 それは人を揺らすというよりは、例えば缶コーヒーを開ける前のような、そんな粗末な動作に近かった。
 そしてそんな乱暴に振り回された少年の懐からはボロボロと大小様々、色とりどりな財布がこぼれ落ちていく。
 
「おおー、思ったよりも出てきたね、こんなに擦ってたら一つや二つヤバい相手の財布もあるかもね、例えばー、これ、私の財布だ」
 
 直は感心したように語りながら財布の山のなかからひとつ、古びた革財布を拾い上げて少年の前にちらつかせる。
 
「っ……さ、財布は返す、他の奴らの財布の中身も分けてやるから見逃してくれっ……そうしないと姉ちゃんが……」
 
 この芥田場で命乞いなどほとんどが意味を成さない。
 ここで子供一人殺して残った財布の中身を全てせしめるのも財布の持ち主に少年を差し出すのもさほどたいした差はないからだ。
 そして少年、サクもまたそれは理解していた。
 それでも、どれだけみっともなくても意味がなくても命乞いをするだけの理由がサクにはあった。
 
「おあいにくさま、私たちは金には困っていなくてね、まぁでもわけありの様子だしもしかしたら依頼主になるかもしれないから、とりあえず拠点に戻ろうか、甘ー、そのまま彼連れてきてー」
 
 直は最悪の事実をサクに突きつけるだけ突きつけて一度フッと笑むとそのまま家のほうへ踵を返す。
 
「分かった」
 
 そしてそれに甘も続く。
 もちろん片手にはサクを掴んだそのままで。
 
「……は? おい! 離せよ!! おいってば!」
 
 そしてまた、残念なことに必死で甘の手から逃れようとする少年を助けるような人物は当たり前のようにここにもいなかった。


 
 室内に入ってすぐの扉を開けるとそこは何かの事務所のような装飾を施された部屋だった。
 
「これ、茶」
 
 そして甘は投げ捨てるようにサクを古ぼけた革製のソファに座らせると慣れた手付きでお茶と茶菓子の入ったお盆をテーブルに並べた。
 
「ありがとう甘、さてと、茶と茶菓子も揃ったところで話してもらおうか」
「……」
 
 直は一口お茶を啜ると早々に笑顔で本題に触れる。
 
「そんな頑なに黙っていたら分からないだろう、せっかく出会ったのも何かの縁だ、財布は問題にならないように持ち主に返却しておくから安心して話していいよ」
 
 いくら待っても語りだそうとしないサクに直は呆れるでもなく怒るでもなくただ笑顔のまま甘によって集められ机に乱雑に並べられた財布を弄ぶ。
 殆どの財布はなんてことのないただの財布のようだったが直が開いて中身をぶちまけた中の数点にはあからさまに堅気ではないと分かる物品も紛れ込んでいた。
 
「……そんなことしてもらわなくて結構だ、お前達に話すことなんて何もない」
 
 それでもサクは一度財布のほうへ視線を向けた後すぐにそっぽを向いてしまう。
 この芥田場で無償の優しさを与えられればまずは怪しめ、それがこの芥田場を生きる者達の中では当たり前の思考だった。
 
「おいお前、直さんがここまで言うのは珍しいんだぞ」
「っ……」
 
 甘はソファに腰かけるでもなく二人の様子を立って伺っていたがサクの言葉にあからさまに怪訝な態度を取って見せる。
 190はありそうな身長にそれなりにがっちりとした体躯、全身黒ずくめなだけでも威圧感があるのにその風体で詰められれば誰だって恐怖を感じるだろう。
 
「甘、大丈夫だから大人しく座ってなさい、そうじゃなくても君は圧が強いんだから」
「……はい」
 
 だがそんな甘は一言直に窘められるとすぐにその近くにあった適当な椅子を引っ張ってきて腰を下ろす。
 だが座ったのはあくまでも机を挟んで座る直とサクの真ん中にあたる位置、あからさまに甘はサクを警戒している体制は崩すことはしない。
 
「さてと、悪かったね話を戻そうか、さっき自分でも言っていたけどお姉さんが関係しているんだろうね、そして時間もあまり無い、それなら私達を頼ってみたらどうだろうか?」
 
 全員が着席したのを確認してから直はさらに話を深掘りしていく。
 金が必要、姉がと口走った少年、それだけでサクの現状は安易に想像がつき、さらには直達にとっての客になりうる存在という印でもあった。
 
「あんた達を……」
「ああまだ名乗っていなかったね、私は直虎、こっちの彼は甘、ここら辺というかまぁ、芥田場を全体的に根城にしてる何でも屋さんさ、【何でも屋甘直】聞いたことくらいはあるんじゃないかな」
「っ……」
 
 一瞬、サクの瞳に希望の光が灯りかけ、【何でも屋甘直】の名前が出た瞬間にその瞳の光は絶望に変わる。
 それは何故か、この芥田場においては絶対的な不可侵条約のようなものがいくつか存在する。
 その中のひとつにこれがある。
 直虎と甘の二人組、ひいては何でも屋甘直を敵に回してはいけない、と。
 
 理由は不明、ただ分かるのは味方に回せば大きな力となるが敵に回せばお仕舞い、それだけが長年語り継がれている事実だ。
 
「顔色が陰ったね、さすがに名前くらいは聞いたことはあったか、さてと、それで君はその何でも屋甘直の主から財布を擦ってしまったわけだけど、それはまさしく最悪の相手だったね、でも私は今気分が良いから許してあげるってわけだ、代わりに君は今の自分の現状を私達に話すんだ、Win-Winだろう?」
 
 サクの顔色の移り変わりを見て、それでも直は笑顔を崩さない。
 そして自身の財布をうすぼやけた電球にかざしながらもう一度促して見せる。
 
「……友達だと思ってた奴に騙されて金が必要になった、今日中に用意しないと姉ちゃんの命を繋いでるパーツが借金の肩に持ってかれて姉ちゃんが死ぬ」
 
 一幕置いた後にサクは小さくため息を吐いてからやっとのことでその重い口を開いた。
 サクと直が出会ってからまだ十数分にも充たない時間しか経過していない、それでも直の異常性を知るには充分だった。
 逆らって機嫌を損ねればそれこそ最悪の顛末が待っている、直の機嫌が良い今が好機、サクにはもう嫌でも事情を口にすることしか実質選択肢は残されていなかった。
 
「……パーツ」
 
 サクのパーツという一言に甘が一瞬反応を示す。
 何でも屋甘直はそれこそ芥田場の深部、パーツの存在を知っていることはそれ程不思議なことでもない。
 逆にこの場で異様だったのはただの少年なのにパーツの存在を知っていたサクのほうだった。
 
「成る程、それはそれはとても簡単な話だね、ついておいで、そういえば金稼ぎにはうってつけの依頼をこの間受けたばかりだった」
 
 そしてそんな異様すらもさも当然のように受け止めたのは直だった。
 柏手を打つようにぴったりとしたアームカバーと手袋を付けたその手を一度大きく鳴らすと即断即決、直は立ち上がって戸棚の引き出しを探りだす。
 わりかし上部にある棚は少しだけ直には高いようで背伸びをしている姿は初めて見た目相応と言える光景だった。
 
「直、アレにこいつを連れていくのか?」
「そりゃもちろん」
 
 不思議そうに問いかける甘に直は手を止めることなく声で返事をしてみせる。
 
「……死なないか?」
 
 唐突に突きつけられた死、という言葉にサクの肩が小さく揺れた。
 
「死んだらそこまで、彼の姉に対する気持ちはその程度だったということだよ」
 
 だがそれすらも直は気に止めはしない。
 
「っ……金になるなら何だってやる、姉ちゃんの為なら命なんて惜しくない」
「じゃ、これ契約書」
 
 直のあまりに軽い口ぶりに、自分の気持ちを舐められたと取ったサクは頭に血が登って強く机を叩いて沈んでいた顔を上げた。
 
 そんなサクに直はやっとのことで引っ張り出した一枚の紙面を差し出して見せる。
 一枚の書類を取り出すために出来たばら蒔かれた紙面の数々を見るにどうやら整理整頓は不得意なようだった。
 そしてその後始末を甘は黙って当たり前のようにこなして見せる。
 
「契約書……」
「まさか勘違いはしてないと思うけど、別に私達は慈善団体じゃないからね、今回の君の依頼は、そうだなー、すぐに金を稼ぎたいってところか、それを手伝いこそすれどもちろん報酬は貰うに決まっているだろう」
 
 契約書という言葉に息を飲むサクとは裏腹に直のノリはどこまでいっても変わることはない。
 
「……また金か?」
「それについてはさっきも言ったね、金に関しては困ってない、私の要求はもっと違うもっと大切なものだよ」
 
 眉間に深いシワを刻んだサクの言葉に直は心外というように頭を振るう。
 芥田場においては外の世界よりも金というものの重要性桁違いに跳ね上がる。
 それこそ多量の金銭を集めれば外の世界に戻る夢も叶うかもしれないからだ。
 だからこそ逆に外の世界に戻る気のないものからしたら金の重要性が一気に下がることも少なくはない。
 永く芥田場で暮らしている者同士ならば物々交換でことが済むことも多い。
 
「……何が望みなんだ?」
「時間だよ」
 
 だが大抵の交換材料は違法物など金よりも集めずらいものが多い。
 意を決して聞き返したサクにたいして直は一間置くことすらせずに即答した。
 
「時間……?」
「何でも屋甘直の報酬は基本的にパーツで成り立ってる、でもパーツを持っていない、もしくは持っていても渡せないならそれ相応の依頼に応じた時間を差し出して貰う、簡単に言えば君の寿命を私に譲渡する、というわけだ」
 
 時間と言われれば想像するのは労働力辺りだろうか、だが何でも屋甘直の求める時間はそれに該当しない。
 時間とは言葉の通り、寿命のことだ。
 相手、依頼の難易度でもその譲渡量は変わりはするもののパーツを持たない者からは総じて寿命の譲渡を行うというのが何でも屋甘直のこと決めだった。
 
「……」
「もし怖じ気づいたならこの契約書に名前を書かず、私以外の財布を持って出ていけばいい、パーツの担保に必要な金額を擦りで補えるとは思えないけどね」
 
 契約書を片手に紙面から顔を上げないサクに直はけしかけるように続けた。
 パーツは外の世界でも裏の世界でも高額で取引される。
 それを相手が求めるほどの借金の返済金を一日でかき集めるなんて不可能、それはサクが一番理解していた。 
 だからこそ
 
「……姉ちゃんの命が懸かってるのにこんなことで尻尾巻いて逃げるわけないだろ」
 
 サクは迷うことなく書類を机に叩きつけて直からナイフを受け取る。
 
「良い気位だ、でも後で後悔しないといいね」
 
 芥田場では語学を学ぶ機会のないものも多い、だからこそ何でも屋甘直の契約書には基本的に血判を用いる。
 サクが自身の指に刃先を滑らせるのを見て、直は今日初めて少しだけ悲しげに笑うとそう、言葉を溢した。