13.
――どこにいる?
――あいたい
――さえき
文面から、焦っているのが伝わる。佐伯は目の前の景色を写真に撮って、瀬田に送った。
施設の裏手。ずっと身を潜めているけれども、人が通ることはなかった。
隠れて会うには好都合だけれども、果たして瀬田に伝わっただろうか。
懸念は、数秒後に打ち破られる。
「――佐伯!」
呼ぶ声と、近づく気配に振り返る。
一瞬、視界の端に懐かしい青が過ぎった。
「瀬田」
懐かしい匂いのする腕、強く抱きしめられる。
首筋に甘えるように触れる鼻先。息が触れて、くすぐったい。
吐息のような笑いを吐くと、息の在り処を嗅ぎつけたように鼻先が移ってくる。
「さえき」
呼ぶ声が、甘い。唇に触れてしまいそうなほど、鼻先が近づいた。
唇の薄い皮膚が震える。
瞳に涙が滲んで、首から上が熱を持つのを感じた。
「せ、た……」
呼んで、わずかに唇の隙間を開く。
美しい青が細められて、間近で吐息が触れ合た。
そのまま、引き合うように呼吸が食われる。
「ん……」
頬を包み込む両手。食むように、重ねられる唇。
「……っふ……ぅ……」
キスというよりも、口内から直接息を吸われるような触れ方。
薄い皮膚同士が触れ合って、神経が痺れる感覚。
触れ合う深度が、徐々に増した。
腹の奥に真っすぐ響いてくる鼓動に、頭の芯がパァンと音を立てて弾ける。
「ん……ぁ……せ、た……待……ぁ」
「もっと」
ハッ、と強く息を吐いて。息継ぎをしてまた貪る。
めちゃくちゃな触れ方なのに、歯が当たったりはしない。
貪りながらも、丁寧に。じっくりと、味わうように。
熱を帯びた吐息が重なって。触れた余韻の残る唇同士が、そっと離れる。
「も……いいですか……」
「ん……」
「ねえ、俺、ファーストキス……」
「……美味かった」
「あのさあ!?」
至近距離で、首を傾げてみせる瀬田。
光の揺れる青が綺麗で、いろんなことがどうでもよくなる。
佐伯は脱力するように息を吐いて、瀬田の首筋に腕を絡めた。
触れ合う首筋。脈打つ血流の音に、瞼を伏せる。
「助けに来たよ、瀬田」
呼吸の音が、一瞬止まった。たぶん瀬田は、なんのことか分かっていない。
ナイト佐伯、とか意気込んできたのはいいけれども。
再会した途端に唇を奪われている時点で、そんな格好がつかないことは分かり切っていた。
佐伯は瀬田の背中で掌を弾ませてから、体を離した。
綺麗な青を覗き込んで、そっと微笑む。
「なあ、瀬田。俺って、瀬田に必要?」
「息ができないと、死ぬ。俺はたぶん、魚じゃなくて――人だから」
「たぶんってなんだよ」
声を上げて笑う間に、綺麗な青に覗き込まれる。
再び詰められる距離。呼吸の味を知った魚のような人間は、止まらない。
「佐伯の息がほしい」
「……いーよ、あげる」
瞼を伏せて、差し出す唇。
歓喜の息が触れて、唇同士が重なった。
身体の奥で、水泡の音がする。
こうして、彼の棲む世界に連れていかれるのだろうと予感した。
唇の隙間で、呼吸する。
塞がれても尚、内側まで染みてくる息。
――息が、しやすかった。
◇
数年後。
ガラスの壁の向こうに、白い機体が降り立った。
周囲を行き交うカートの音。足音と、案内の声。絶えず響く発着のアナウンス。
到着口の傍で、佐伯はスマートフォンの画面を眺めていた。
事前に伝えられた便の番号を確認して、電光掲示板を見上げる。
目深に被ったキャップのつばを押し上げて、薄いブルーのレンズが嵌まったサングラスの奥の瞳を細めた。
「佐伯」
今はもう聞き慣れた声。振り返るよりも早く背中を包んでくるタイミングも、もうすっかり体に染みついていた。
だから、振り返ると同時に唇を掌でガードした。
「……息」
佐伯の指の腹にしっかりと唇を付けながら、不満そうに言う瀬田。
「あげないとは言ってないでしょうよ。ここじゃダメだって言ってんの」
「なんで。みんなしてるのに」
「う……っ」
確かに、視界の端に映るだけでも三組ほど、熱いハグからのキスに至るカップルがいる。
「あれはだって、俺らとは目的がちがうだろ。あれは恋人のキスだから」
「ふーん……」
瀬田はキスを交わすカップルに視線を向けながら、小さく呟いた。
高校二年のあの日から、日常的にキスを交わすようになったものの。
付き合うという話には実は未だに至っていない。
(まあ、期待してないけど。瀬田って人間の姿した魚だしな)
ハァと深い溜息をつくまに、キャップを外される。
「んな……っ……」
横顔に差す影。顔の横にキャップを掲げたまま、掠めるように重ねられる唇。
「な、ああ、あ……」
瀬田は親指で唇を撫で、次いで指の先を舌で舐めた。
「俺らの生命活動だから、ある意味恋人より上だな」
「どういう解釈!?」
魅惑の青に微笑まれれば、結局黙ってしまう自分が悔しかった。
自然とぶつかる肩。距離の近さは、相変わらず。
あの日、水たまりで泳いでいた魚は、今や世界の海まで出て行ってしまった。
(それでも、たぶん。俺はずっとそばにいるんだろうな)
弾む呼吸音が、重なる。
彼の隣で吸い込む息は、心地よかった。
《水たまりの魚/END》
――どこにいる?
――あいたい
――さえき
文面から、焦っているのが伝わる。佐伯は目の前の景色を写真に撮って、瀬田に送った。
施設の裏手。ずっと身を潜めているけれども、人が通ることはなかった。
隠れて会うには好都合だけれども、果たして瀬田に伝わっただろうか。
懸念は、数秒後に打ち破られる。
「――佐伯!」
呼ぶ声と、近づく気配に振り返る。
一瞬、視界の端に懐かしい青が過ぎった。
「瀬田」
懐かしい匂いのする腕、強く抱きしめられる。
首筋に甘えるように触れる鼻先。息が触れて、くすぐったい。
吐息のような笑いを吐くと、息の在り処を嗅ぎつけたように鼻先が移ってくる。
「さえき」
呼ぶ声が、甘い。唇に触れてしまいそうなほど、鼻先が近づいた。
唇の薄い皮膚が震える。
瞳に涙が滲んで、首から上が熱を持つのを感じた。
「せ、た……」
呼んで、わずかに唇の隙間を開く。
美しい青が細められて、間近で吐息が触れ合た。
そのまま、引き合うように呼吸が食われる。
「ん……」
頬を包み込む両手。食むように、重ねられる唇。
「……っふ……ぅ……」
キスというよりも、口内から直接息を吸われるような触れ方。
薄い皮膚同士が触れ合って、神経が痺れる感覚。
触れ合う深度が、徐々に増した。
腹の奥に真っすぐ響いてくる鼓動に、頭の芯がパァンと音を立てて弾ける。
「ん……ぁ……せ、た……待……ぁ」
「もっと」
ハッ、と強く息を吐いて。息継ぎをしてまた貪る。
めちゃくちゃな触れ方なのに、歯が当たったりはしない。
貪りながらも、丁寧に。じっくりと、味わうように。
熱を帯びた吐息が重なって。触れた余韻の残る唇同士が、そっと離れる。
「も……いいですか……」
「ん……」
「ねえ、俺、ファーストキス……」
「……美味かった」
「あのさあ!?」
至近距離で、首を傾げてみせる瀬田。
光の揺れる青が綺麗で、いろんなことがどうでもよくなる。
佐伯は脱力するように息を吐いて、瀬田の首筋に腕を絡めた。
触れ合う首筋。脈打つ血流の音に、瞼を伏せる。
「助けに来たよ、瀬田」
呼吸の音が、一瞬止まった。たぶん瀬田は、なんのことか分かっていない。
ナイト佐伯、とか意気込んできたのはいいけれども。
再会した途端に唇を奪われている時点で、そんな格好がつかないことは分かり切っていた。
佐伯は瀬田の背中で掌を弾ませてから、体を離した。
綺麗な青を覗き込んで、そっと微笑む。
「なあ、瀬田。俺って、瀬田に必要?」
「息ができないと、死ぬ。俺はたぶん、魚じゃなくて――人だから」
「たぶんってなんだよ」
声を上げて笑う間に、綺麗な青に覗き込まれる。
再び詰められる距離。呼吸の味を知った魚のような人間は、止まらない。
「佐伯の息がほしい」
「……いーよ、あげる」
瞼を伏せて、差し出す唇。
歓喜の息が触れて、唇同士が重なった。
身体の奥で、水泡の音がする。
こうして、彼の棲む世界に連れていかれるのだろうと予感した。
唇の隙間で、呼吸する。
塞がれても尚、内側まで染みてくる息。
――息が、しやすかった。
◇
数年後。
ガラスの壁の向こうに、白い機体が降り立った。
周囲を行き交うカートの音。足音と、案内の声。絶えず響く発着のアナウンス。
到着口の傍で、佐伯はスマートフォンの画面を眺めていた。
事前に伝えられた便の番号を確認して、電光掲示板を見上げる。
目深に被ったキャップのつばを押し上げて、薄いブルーのレンズが嵌まったサングラスの奥の瞳を細めた。
「佐伯」
今はもう聞き慣れた声。振り返るよりも早く背中を包んでくるタイミングも、もうすっかり体に染みついていた。
だから、振り返ると同時に唇を掌でガードした。
「……息」
佐伯の指の腹にしっかりと唇を付けながら、不満そうに言う瀬田。
「あげないとは言ってないでしょうよ。ここじゃダメだって言ってんの」
「なんで。みんなしてるのに」
「う……っ」
確かに、視界の端に映るだけでも三組ほど、熱いハグからのキスに至るカップルがいる。
「あれはだって、俺らとは目的がちがうだろ。あれは恋人のキスだから」
「ふーん……」
瀬田はキスを交わすカップルに視線を向けながら、小さく呟いた。
高校二年のあの日から、日常的にキスを交わすようになったものの。
付き合うという話には実は未だに至っていない。
(まあ、期待してないけど。瀬田って人間の姿した魚だしな)
ハァと深い溜息をつくまに、キャップを外される。
「んな……っ……」
横顔に差す影。顔の横にキャップを掲げたまま、掠めるように重ねられる唇。
「な、ああ、あ……」
瀬田は親指で唇を撫で、次いで指の先を舌で舐めた。
「俺らの生命活動だから、ある意味恋人より上だな」
「どういう解釈!?」
魅惑の青に微笑まれれば、結局黙ってしまう自分が悔しかった。
自然とぶつかる肩。距離の近さは、相変わらず。
あの日、水たまりで泳いでいた魚は、今や世界の海まで出て行ってしまった。
(それでも、たぶん。俺はずっとそばにいるんだろうな)
弾む呼吸音が、重なる。
彼の隣で吸い込む息は、心地よかった。
《水たまりの魚/END》

