部を休んで一週間が経ったが、朝学校に来て授業を受け、昼は図書室。放課後は適当に寄り道して帰るだけ。
テスト期間が近づいて、みんなそれどころではないんだろう。揶揄いはだんだん静かになってきた。狙い通りではあるけど、何だかなあと思わなくもない。でもこんなもんかと他の人に対しても、自分に対しても思う。
「榎本くん、少し話せる?」
今日はどうしようかなと考えながら教室を出たところで、顧問の先生に呼び止められた。断る理由もないので返事をして、職員室に入ったところで、「どんな感じ?」と先生が口を開いた。
「まあ、普通ですね」
「部に戻る気は?」
「……テスト明けには。でもお便りコーナーは悩んでます。Nコンと総文祭が続くし」
「そっか。無理はしないようにね。あと、お便りが来てるから渡しておく」
「え?」
「コーナー復活してほしいって。先週だけで二十通も来てたって立花さんと小宮さんから」
「ありがとうございます。嬉しいけど、でも代わってもらってる小宮にはちょっと失礼だな」
「小宮さんは『精進します〜!』って張り切ってたよ」
「はは、頼もし」
「とりあえず、楽しみにしてるリスナーがいる、ってことは知っておいてほしかったから。じゃあいつでも部に来てね」
「はい。ありがとうございます」
渡されたお便りを持って、夕方の廊下を歩く。
今日は寄り道せずに帰宅し、お便りを机の上に置いて順番に読んでいく。
通常の三日分で五通くらいだから、一週間で二十通は多い。
割と自己満足で喋ってるけど、こうやって見える形でもらうのはなんというか嬉しい。
「……そっか。聴いてくれてる人、いるんだよな」
よくお便りをくれる人も、はじめましてもいるし、匿名もある。二年C組有志の謝罪もあった。俺のミスだから謝らなくてもいいのに。とりあえず、あの時二年C組有志の名称は出さなくてよかったな。余計ややこしいことになってた。
「次……かなりシンプルな便箋だな」
〝榎本さん、放送部のみなさん、いつも昼休みのお便りコーナーを楽しみにしているリスナーです。
突然のお便りで失礼します。夏休みが近づいてきたこともあり、もしよろしければリクエストをさせてください。
毎年この時期になると、読書感想文のための本選びに頭を悩ませています。課題図書以外から自分で選ぼうとするのですが、いざ本屋や図書館に行くと選択肢が多すぎて、結局なんとなく手に取ったもので済ませてしまうことが多くて。もし放送の中で、感想文を書きやすいおすすめの本や、テーマの見つけ方のコツなどを紹介してもらえたら、きっと助かる人も多いのではないかと思います。
読書感想文に限らず、この時期ならではの悩みに寄り添ったようなお話があると嬉しいです。
これからも応援しています。〟
「これも、匿名か」
他のお便りはラジオネーム的なのを書いているし、多かれ少なかれコーナーの休止について言及があったが、このお便りには一切ない。本当に普段のお便りのようなノリで書いてある。
それが何となく気になって、読み終わったあとも眺めていると、本のオススメを聞かれたせいか、何だか本屋に行きたくなった。大会で移動時間も多いから、間に読む用の本でも買いに行こうかな。
自動ドアをくぐった瞬間、冷えた空気が首のあたりに触れた。外との温度差に少し目を細めながら、奥に続く棚を見渡す。
奥に進もうとしたところで、ぬっと背の高い人影が視界に入った。振り向いた先で、こっちも気づいた顔がある。
「あ」
「榎本君」
制服やユニフォームじゃない柏木を見るのは初めてだった。シンプルなTシャツとハーフパンツだけど、柏木レベルだと何だかおしゃれに見える。
俺も柏木も次の言葉を探すみたいに少し黙ってしまう。気まずいというより、どこから話せばいいか図る、探り合いの空気だった。
「あの、ごめんね」
その空気を破ったのは柏木の方だった。
「ん?」
「立花さんに教えてもらうまで後輩が放送部の子に色々言ってるって知らなくて。やんわり注意はしたから、もう大丈夫だとは思うけど……」
「そうなんだ。ありがとう。部のこと言われるのはちょっと嫌だったから助かるよ」
「こっちの落ち度だからお礼言われることでもないんだけど……立花さん、榎本君のこと心配なんだね」
「うーん……というか……あ、そういえばキツイこと言ってなかった? うちの姉貴と立花のお姉さんが親友同士だからさ、同じ調子で俺のこと弟扱いするんだよね、あいつ」
「榎本君もお姉さんいるんだ。うちも二人いるよ。そのパシリついでに寄ったんだ」
「弟あるあるだなぁ」
「榎本君んちもそうなの?」
「弟というものは大体、姉という生き物の顔色を窺う生き物だと思ってる」
「めっちゃ分かる。みんなは『姉貴いいな』って言うけどね……」
柏木の姉だったら美人そうなので、「姉貴いいな」の気持ちも分かる。けど弟にはその辺りの夢も希望もないのもよく分かる。
「弟妹と違って兄姉は後から絶対できないから、理解され難い感がある」
「それそれ」
話してみると、柏木は印象通りの好青年だ。よく見かけてはいたけど、直接話したのは放送室でのあの一回だけ。でもあの最悪の初会話でも、案外印象は変わらなかった。声の抑え方、相手の話を聞くときの間の取り方。あの放送事故のお便りに書いてあった通り、自然体という言葉がよく似合っている。
「……本当にごめんね。俺、時々榎本君のコーナー楽しく聞いてたから、ないとなんか寂しくて、本当に申し訳ないことしたなって思っててさ」
「まあ、柏木を慕ってる部員の暴走は置いといて、元々は俺のミスだしな。気にしないで」
「……復帰するよね」
「もちろん。テスト期間の休みと合わせたら、みんな話題に飽きるかなっていう作戦なだけだよ」
「ならよかった」
本音を言うと、夏休み前にお便りコーナーに復帰するかはまだ考え中だけど、心配そうな柏木の姿にそれは言えなかった。
「読書感想文用の本?」
「いや、そっちはまだ、待ち……かな。榎本君は?」
「俺は普通に空き時間に読む用の本買いに……あ、普通に呼び捨てでいいよ」
「じゃあ、俺も呼び捨てて。お詫びと言ってはなんだけど、ジュースくらい奢るよ」
「? 奢られる理由がないけど」
「え、俺達誰かがなんかポカすると、すぐ「お前奢れよ!」ってなるんだけど」
「異文化だ。奢る必要ないから、その代わりにオススメの本教えて。新規開拓したくて」
「本? ジャンルは?」
「俺が読んでいなさそうなやつ」
「ええ……コーナーで言ってたのは避けるにしても、範囲広すぎない? 選択肢が多すぎると困るな……」
柏木は少し考えてから、棚の一角に足を向けた。取り出したのは薄めの文庫本で、表紙はシンプルだった。
「これ、去年読んで面白かったやつ。バスケ部の青春小説だけど、競技知らなくても読めるし、知ってる人でも気にならず読めて面白いよ」
「へぇ。読んだことないや。ありがと」
「これ以外にもこの作家、マイナースポーツもの書いててそっちも面白いから、よかったら貸すよ。待っててくれたらすぐ取ってくるし」
「パシリってことは家近いのか?」
「うん、チャリで5分くらい」
「じゃあ柏木がよければ一緒に行っていい? せっかくの機会だから話したいし」
「うん、もちろん」
本屋を出ると、日はようやく傾いて、夜の匂いがしていた。柏木は自転車を押しながら歩いて、俺はその隣を歩く。本屋にいた時より、話は自然と弾んでいた。
「ていうか、失礼だけど。まさか聴いてくれてるとは」
「失礼なって言いたいところだけど、俺のグループの雰囲気じゃ、そう思っても無理ないよね」
「一年の頃からって、最初の方から聴いてたってこと?」
「うん。お便りコーナーが始まった頃から」
「……それはちょっと思ってなかった」
「でも教室だとちゃんと聴けないから、コーナーのときはわざと弁当洗いに行ってる」
「何それ。そうなんだ」
「母さんも喜ぶし俺もコーナー聴けて一石二鳥なんだよ。本屋の平台の話、覚えてる? 一年の最初の頃」
「……あー、した気がする」
「あれ、結構好きだった。あと園芸部の朝顔から保健室の熱中症対策に繋げたやつ」
「よく覚えてるな」
「運動会の実況してくれたのも。あの時初めて名前と声が繋がったんだよね」
え、本当に聴いてる。しかも思っていたより、ずっと丁寧に聴いてくれていた。失礼ながら昼休みは仲間内で騒いでいて、放送なんて全く気にしてないと思ってた。
話しながら歩いていたら、気づけば柏木の家の前まで来ていた。「ちょっと待ってて」と言って柏木が中に入り、すぐ戻ってきて、差し出された文庫本が二冊になった。
「じゃあ、ここで。本、ありがと」
「楽しんでもらえると嬉しいな」
連絡先を交換して柏木と別れてから、しばらく来た道を戻りながら、借りた本の重さを手のひらで確認するように何度か持ち直した。
柏木は思っていた通りの人だった。それ以上でも以下でもない。ただ、一年の頃からコーナーを聴いていたというのは、本当に思っていなかった。
ふと、あの便箋のことを思い出した。かなりシンプルな、と思ったやつ。コーナーの休止には一切触れず、普段通りの雰囲気で書いてあったあのお便り。
「……あれ」
〝選択肢が多すぎると困るな……〟
〝そっちはまだ、待ち……かな〟
匿名で、ほぼ男子の字で、便箋は無地。
——まさか。
確定なわけではないけど、何となく正解な気がする。
「ふ」
自分の話が誰かの昼休みに居場所を作っていたのだと、改めて実感すると、思わず笑ってしまう。胸の辺りがじわじわと温かくなって、わっと叫びたくなるような。
――何か今、ものすごく喋りたいな。
そうはっきりと思った。
「ただいま」
「遅い!」
翌日、久しぶりに放送室の扉を開けたら、立花が振り向いた。
「先輩〜! 寂しかったです〜!」
「小宮もありがと。みんなもごめんな」
後輩達も笑って、「お疲れ様です」「大丈夫でーす」「立花部長の機嫌以外は」と労ってくれた。
マイクの前に座って、スタンバイのサインを待つ。少しだけ手が冷たかった。久しぶりなのもあるけど今日だけは少し、特定の誰かを意識してしまっていた。
「――お騒がせからテスト期間に入っちゃって、随分久しぶりになりました。みなさんテストは出来ましたか? 放送部の面々は概ね首を振っていますが」
「自分はテスト期間前、ちょっとお休みもらったから、結構本を読んだんですよね。人にね、オススメを教えてもらって新規の作家さんとか開拓できて、案外充実した……心配して損したって? ひっど」
今度は名前は出さない。でもきっとすぐ分かる。
どんな顔して聞いてるんだろうと想像しながら言葉を紡ぐ。
「というわけで、って訳でもないんだけど、もうすぐ夏休みだし、みんな大好き読書感想文もあるしということで、夏休み前最後のコーナーはオススメ本の紹介にしようと思います。たくさんのオススメ待ってます――」
「久しぶりだったけど、良かったよ」
褒め言葉が少ない立花にしては珍しくて、俺は「ありがとう」と素直に返した。
久しぶりに喋り終えて、椅子に背を預けた。手の冷たさはいつの間にかなくなっていた。上手くいったかどうかより、ただ、楽しかった。そのふわふわした気持ちを抱えたまま、午後は過ぎていき、帰りに下駄箱で上履きを脱いでいたら、後ろから声がかかった。
「放送、聴いたよ」
振り返ると柏木がいた。靴を履き替えながら、少し嬉しそうな顔をしている。
「どうだった?」
「本の話、楽しみ。オススメ教えた甲斐があった」
「それ自分の手柄にする?」
「いいじゃん」
全然悪びれていない。匿名お便りのことなんて微塵も気にしていない様子で、柏木は靴紐を結び直していた。
「……でも、夏休みに入ったら榎本の放送も聴けないし、しばらく会わないよなぁ」
「放送はないけど総文祭もあるし、かなり学校にいるから顔くらい合わせるんじゃないかな」
「……総文祭?」
「文化部の全国大会」
「全国大会!? 放送でそんなことひと言も言ってなくない?」
柏木が珍しく、はっきり強い声を出した。こんな顔もするんだと思いながら、俺は少し押されて壁際に寄った。
「いや、うちの県、放送部少ないし……それに『私事ですが、この度全国大会に……』なんて言えるわけないだろ。恥ずかしいし面白くない」
「そういう問題じゃないし! なんで他の部活の大会出場は紹介するのに、自分のことは言わないんだ。大体そんな大事な時期にあんな事が……」
「まあ、先にミスっといてよかったよ」
「だからそういう問題じゃ……」
「……なあ、柏木。総文祭が終わったら遊びに行かない?」
「へ?」
「予定が合えばだけど」
「合う。合わせるよ」
「合わせるよ」の言い方があまりにも迷いなくて、俺はつい笑ってしまった。柏木は「何笑ってるんだ?」という顔をしているけど、こっちとしては笑うしかなかった。
テスト期間が近づいて、みんなそれどころではないんだろう。揶揄いはだんだん静かになってきた。狙い通りではあるけど、何だかなあと思わなくもない。でもこんなもんかと他の人に対しても、自分に対しても思う。
「榎本くん、少し話せる?」
今日はどうしようかなと考えながら教室を出たところで、顧問の先生に呼び止められた。断る理由もないので返事をして、職員室に入ったところで、「どんな感じ?」と先生が口を開いた。
「まあ、普通ですね」
「部に戻る気は?」
「……テスト明けには。でもお便りコーナーは悩んでます。Nコンと総文祭が続くし」
「そっか。無理はしないようにね。あと、お便りが来てるから渡しておく」
「え?」
「コーナー復活してほしいって。先週だけで二十通も来てたって立花さんと小宮さんから」
「ありがとうございます。嬉しいけど、でも代わってもらってる小宮にはちょっと失礼だな」
「小宮さんは『精進します〜!』って張り切ってたよ」
「はは、頼もし」
「とりあえず、楽しみにしてるリスナーがいる、ってことは知っておいてほしかったから。じゃあいつでも部に来てね」
「はい。ありがとうございます」
渡されたお便りを持って、夕方の廊下を歩く。
今日は寄り道せずに帰宅し、お便りを机の上に置いて順番に読んでいく。
通常の三日分で五通くらいだから、一週間で二十通は多い。
割と自己満足で喋ってるけど、こうやって見える形でもらうのはなんというか嬉しい。
「……そっか。聴いてくれてる人、いるんだよな」
よくお便りをくれる人も、はじめましてもいるし、匿名もある。二年C組有志の謝罪もあった。俺のミスだから謝らなくてもいいのに。とりあえず、あの時二年C組有志の名称は出さなくてよかったな。余計ややこしいことになってた。
「次……かなりシンプルな便箋だな」
〝榎本さん、放送部のみなさん、いつも昼休みのお便りコーナーを楽しみにしているリスナーです。
突然のお便りで失礼します。夏休みが近づいてきたこともあり、もしよろしければリクエストをさせてください。
毎年この時期になると、読書感想文のための本選びに頭を悩ませています。課題図書以外から自分で選ぼうとするのですが、いざ本屋や図書館に行くと選択肢が多すぎて、結局なんとなく手に取ったもので済ませてしまうことが多くて。もし放送の中で、感想文を書きやすいおすすめの本や、テーマの見つけ方のコツなどを紹介してもらえたら、きっと助かる人も多いのではないかと思います。
読書感想文に限らず、この時期ならではの悩みに寄り添ったようなお話があると嬉しいです。
これからも応援しています。〟
「これも、匿名か」
他のお便りはラジオネーム的なのを書いているし、多かれ少なかれコーナーの休止について言及があったが、このお便りには一切ない。本当に普段のお便りのようなノリで書いてある。
それが何となく気になって、読み終わったあとも眺めていると、本のオススメを聞かれたせいか、何だか本屋に行きたくなった。大会で移動時間も多いから、間に読む用の本でも買いに行こうかな。
自動ドアをくぐった瞬間、冷えた空気が首のあたりに触れた。外との温度差に少し目を細めながら、奥に続く棚を見渡す。
奥に進もうとしたところで、ぬっと背の高い人影が視界に入った。振り向いた先で、こっちも気づいた顔がある。
「あ」
「榎本君」
制服やユニフォームじゃない柏木を見るのは初めてだった。シンプルなTシャツとハーフパンツだけど、柏木レベルだと何だかおしゃれに見える。
俺も柏木も次の言葉を探すみたいに少し黙ってしまう。気まずいというより、どこから話せばいいか図る、探り合いの空気だった。
「あの、ごめんね」
その空気を破ったのは柏木の方だった。
「ん?」
「立花さんに教えてもらうまで後輩が放送部の子に色々言ってるって知らなくて。やんわり注意はしたから、もう大丈夫だとは思うけど……」
「そうなんだ。ありがとう。部のこと言われるのはちょっと嫌だったから助かるよ」
「こっちの落ち度だからお礼言われることでもないんだけど……立花さん、榎本君のこと心配なんだね」
「うーん……というか……あ、そういえばキツイこと言ってなかった? うちの姉貴と立花のお姉さんが親友同士だからさ、同じ調子で俺のこと弟扱いするんだよね、あいつ」
「榎本君もお姉さんいるんだ。うちも二人いるよ。そのパシリついでに寄ったんだ」
「弟あるあるだなぁ」
「榎本君んちもそうなの?」
「弟というものは大体、姉という生き物の顔色を窺う生き物だと思ってる」
「めっちゃ分かる。みんなは『姉貴いいな』って言うけどね……」
柏木の姉だったら美人そうなので、「姉貴いいな」の気持ちも分かる。けど弟にはその辺りの夢も希望もないのもよく分かる。
「弟妹と違って兄姉は後から絶対できないから、理解され難い感がある」
「それそれ」
話してみると、柏木は印象通りの好青年だ。よく見かけてはいたけど、直接話したのは放送室でのあの一回だけ。でもあの最悪の初会話でも、案外印象は変わらなかった。声の抑え方、相手の話を聞くときの間の取り方。あの放送事故のお便りに書いてあった通り、自然体という言葉がよく似合っている。
「……本当にごめんね。俺、時々榎本君のコーナー楽しく聞いてたから、ないとなんか寂しくて、本当に申し訳ないことしたなって思っててさ」
「まあ、柏木を慕ってる部員の暴走は置いといて、元々は俺のミスだしな。気にしないで」
「……復帰するよね」
「もちろん。テスト期間の休みと合わせたら、みんな話題に飽きるかなっていう作戦なだけだよ」
「ならよかった」
本音を言うと、夏休み前にお便りコーナーに復帰するかはまだ考え中だけど、心配そうな柏木の姿にそれは言えなかった。
「読書感想文用の本?」
「いや、そっちはまだ、待ち……かな。榎本君は?」
「俺は普通に空き時間に読む用の本買いに……あ、普通に呼び捨てでいいよ」
「じゃあ、俺も呼び捨てて。お詫びと言ってはなんだけど、ジュースくらい奢るよ」
「? 奢られる理由がないけど」
「え、俺達誰かがなんかポカすると、すぐ「お前奢れよ!」ってなるんだけど」
「異文化だ。奢る必要ないから、その代わりにオススメの本教えて。新規開拓したくて」
「本? ジャンルは?」
「俺が読んでいなさそうなやつ」
「ええ……コーナーで言ってたのは避けるにしても、範囲広すぎない? 選択肢が多すぎると困るな……」
柏木は少し考えてから、棚の一角に足を向けた。取り出したのは薄めの文庫本で、表紙はシンプルだった。
「これ、去年読んで面白かったやつ。バスケ部の青春小説だけど、競技知らなくても読めるし、知ってる人でも気にならず読めて面白いよ」
「へぇ。読んだことないや。ありがと」
「これ以外にもこの作家、マイナースポーツもの書いててそっちも面白いから、よかったら貸すよ。待っててくれたらすぐ取ってくるし」
「パシリってことは家近いのか?」
「うん、チャリで5分くらい」
「じゃあ柏木がよければ一緒に行っていい? せっかくの機会だから話したいし」
「うん、もちろん」
本屋を出ると、日はようやく傾いて、夜の匂いがしていた。柏木は自転車を押しながら歩いて、俺はその隣を歩く。本屋にいた時より、話は自然と弾んでいた。
「ていうか、失礼だけど。まさか聴いてくれてるとは」
「失礼なって言いたいところだけど、俺のグループの雰囲気じゃ、そう思っても無理ないよね」
「一年の頃からって、最初の方から聴いてたってこと?」
「うん。お便りコーナーが始まった頃から」
「……それはちょっと思ってなかった」
「でも教室だとちゃんと聴けないから、コーナーのときはわざと弁当洗いに行ってる」
「何それ。そうなんだ」
「母さんも喜ぶし俺もコーナー聴けて一石二鳥なんだよ。本屋の平台の話、覚えてる? 一年の最初の頃」
「……あー、した気がする」
「あれ、結構好きだった。あと園芸部の朝顔から保健室の熱中症対策に繋げたやつ」
「よく覚えてるな」
「運動会の実況してくれたのも。あの時初めて名前と声が繋がったんだよね」
え、本当に聴いてる。しかも思っていたより、ずっと丁寧に聴いてくれていた。失礼ながら昼休みは仲間内で騒いでいて、放送なんて全く気にしてないと思ってた。
話しながら歩いていたら、気づけば柏木の家の前まで来ていた。「ちょっと待ってて」と言って柏木が中に入り、すぐ戻ってきて、差し出された文庫本が二冊になった。
「じゃあ、ここで。本、ありがと」
「楽しんでもらえると嬉しいな」
連絡先を交換して柏木と別れてから、しばらく来た道を戻りながら、借りた本の重さを手のひらで確認するように何度か持ち直した。
柏木は思っていた通りの人だった。それ以上でも以下でもない。ただ、一年の頃からコーナーを聴いていたというのは、本当に思っていなかった。
ふと、あの便箋のことを思い出した。かなりシンプルな、と思ったやつ。コーナーの休止には一切触れず、普段通りの雰囲気で書いてあったあのお便り。
「……あれ」
〝選択肢が多すぎると困るな……〟
〝そっちはまだ、待ち……かな〟
匿名で、ほぼ男子の字で、便箋は無地。
——まさか。
確定なわけではないけど、何となく正解な気がする。
「ふ」
自分の話が誰かの昼休みに居場所を作っていたのだと、改めて実感すると、思わず笑ってしまう。胸の辺りがじわじわと温かくなって、わっと叫びたくなるような。
――何か今、ものすごく喋りたいな。
そうはっきりと思った。
「ただいま」
「遅い!」
翌日、久しぶりに放送室の扉を開けたら、立花が振り向いた。
「先輩〜! 寂しかったです〜!」
「小宮もありがと。みんなもごめんな」
後輩達も笑って、「お疲れ様です」「大丈夫でーす」「立花部長の機嫌以外は」と労ってくれた。
マイクの前に座って、スタンバイのサインを待つ。少しだけ手が冷たかった。久しぶりなのもあるけど今日だけは少し、特定の誰かを意識してしまっていた。
「――お騒がせからテスト期間に入っちゃって、随分久しぶりになりました。みなさんテストは出来ましたか? 放送部の面々は概ね首を振っていますが」
「自分はテスト期間前、ちょっとお休みもらったから、結構本を読んだんですよね。人にね、オススメを教えてもらって新規の作家さんとか開拓できて、案外充実した……心配して損したって? ひっど」
今度は名前は出さない。でもきっとすぐ分かる。
どんな顔して聞いてるんだろうと想像しながら言葉を紡ぐ。
「というわけで、って訳でもないんだけど、もうすぐ夏休みだし、みんな大好き読書感想文もあるしということで、夏休み前最後のコーナーはオススメ本の紹介にしようと思います。たくさんのオススメ待ってます――」
「久しぶりだったけど、良かったよ」
褒め言葉が少ない立花にしては珍しくて、俺は「ありがとう」と素直に返した。
久しぶりに喋り終えて、椅子に背を預けた。手の冷たさはいつの間にかなくなっていた。上手くいったかどうかより、ただ、楽しかった。そのふわふわした気持ちを抱えたまま、午後は過ぎていき、帰りに下駄箱で上履きを脱いでいたら、後ろから声がかかった。
「放送、聴いたよ」
振り返ると柏木がいた。靴を履き替えながら、少し嬉しそうな顔をしている。
「どうだった?」
「本の話、楽しみ。オススメ教えた甲斐があった」
「それ自分の手柄にする?」
「いいじゃん」
全然悪びれていない。匿名お便りのことなんて微塵も気にしていない様子で、柏木は靴紐を結び直していた。
「……でも、夏休みに入ったら榎本の放送も聴けないし、しばらく会わないよなぁ」
「放送はないけど総文祭もあるし、かなり学校にいるから顔くらい合わせるんじゃないかな」
「……総文祭?」
「文化部の全国大会」
「全国大会!? 放送でそんなことひと言も言ってなくない?」
柏木が珍しく、はっきり強い声を出した。こんな顔もするんだと思いながら、俺は少し押されて壁際に寄った。
「いや、うちの県、放送部少ないし……それに『私事ですが、この度全国大会に……』なんて言えるわけないだろ。恥ずかしいし面白くない」
「そういう問題じゃないし! なんで他の部活の大会出場は紹介するのに、自分のことは言わないんだ。大体そんな大事な時期にあんな事が……」
「まあ、先にミスっといてよかったよ」
「だからそういう問題じゃ……」
「……なあ、柏木。総文祭が終わったら遊びに行かない?」
「へ?」
「予定が合えばだけど」
「合う。合わせるよ」
「合わせるよ」の言い方があまりにも迷いなくて、俺はつい笑ってしまった。柏木は「何笑ってるんだ?」という顔をしているけど、こっちとしては笑うしかなかった。

