昼休みのチャイムが鳴った瞬間には、もう廊下を歩いていた。
放送部の活動は週三回。火・木・金の昼休みに、十分間のリクエスト&お便りコーナーをやる。担当は二年の榎本紬――俺だ。
廊下を歩く速度が、気づけば少し速くなっていた。後ろから「榎本走るなよ!」という声が聴こえた気もしたけど、振り返らなかった。
放送室は二階の職員室の隣、特別棟の端っこにある、ちょっと空気がよどんだ小部屋。掃除しても掃除しても埃と配線の匂いがして、今は誰かが置いていった飴の甘さが混ざった独特の匂いがする。
俺はその匂いが好きだ。
「紬、お便り見た?」
「今来たばっかりなのに見てるわけないだろ。どんな感じ?」
先に来ていた立花が、紙の束をひらひらさせながら言った。立花は部長で編集担当、眼鏡の小柄な女子だ。声が小さいのに放送部なのは「技術を磨きたい」という明確な意志があるからで、ミキサーとか編集が上手い。
「多い。あと、面白いのが一個ある」
「面白いかぁ」
立花が「面白い」と言うときは、だいたいちょっと困ったお便りだ。受け取った束の一番上の一枚だとすぐに分かった。
差出人は「二年C組有志」
〝榎本さんのコーナー大好きです。毎回楽しみにしています。ところでリクエストなんですが、二年C組の柏木くんのことを話してもらえませんか。二年で一番モテる男の子です(本人は絶対聴いてないと思うので書きます)。いつも自然体でかっこよくて、先週の体育の授業で転びかけた子をさっと受け止めていました。「大丈夫?」って言い方が本当に優しくて、でもあっさり当然みたいな感じで、本当に素敵だなと思いました。榎本さんの口から語ってもらえたら嬉しいです〟
「柏木……柏木優真か」
柏木優真。二年C組のバスケ部副キャプテン。学年で一番人気の男子といえばまずその名前が出てくる。顔が良くて背が高くて、スポーツができて、態度が柔らかい。絵に描いたような「憧れの男子」タイプで俺とは接点ほぼゼロ。隣のクラスで目立つので視界には入るが、それだけだ。
「採用する?」
「どうかな。本人が聴いてたら気まずくない?」
「C組の子は絶対聴いてないって書いてるけど」
「微妙に失礼だなぁ。俺が言ってんのは本人の耳に入る可能性だよ。昼の全校放送じゃん」
「それもそっか……じゃあ不採用かな」
「そうだなぁ……あぁ、でも自然体なのにかっこいいよね、柏木くん」
「突然どした」
俺もそのつもりだった。けどお便りに書かれた光景は何となく目に浮かんだ。
俺はそういう何気ない風景を想像したり覚えてしまう性質だ。人の仕草とか、声の温度とか、何気ない動作に滲み出るその人らしさとか。そういうものを集めて言葉にしているのが、このコーナーである。今はありがたいことに結構お便りを寄せてくれる人がいるが、最初はお便りがなかったので自分の気づいたことを喋っていた。
だから、柏木優真のことも、思い返してみると引っかかってくるものがけっこうあった。
運動会のとき、俺は部活対抗リレーの実況担当だった。柏木がアンカーで、第三コーナーを曲がったとき後ろから颯爽と追い上げてきた。俺はマイクを持ちながら「内側から柏木くん上がってきました、いい走りです」と言った。後で映像を確認したら、その一言のあとスタンドから歓声が上がっていた。
廊下ですれ違うとき、柏木は大抵バスケ部の誰かと話しながら笑っている。他の子に比べて声量も抑えてちゃんと気を使っている。
「そういえば運動会のリレーのとき実況したなって。早いだけじゃなくて走り方が本当に綺麗でさ」
机の上を見ながら続ける。
「笑い方が静かなんだよね。大声で笑わないの。それがなんか……好き、というか。見てて落ち着く感じ。雰囲気あるなって思う」
「結構見てるね」
「やっぱ目立つからなぁ」
「でも面白い。採用しなくても紬だけでエピがある。採用して組み合わせて特集でもしたら?」
「しないって。本人が聴くかもしれないところでアイドルみたいに扱うのは違う——」
そのとき、ドアの外から廊下を走る音がした。
「あ、やば。こんな時間」
「じゃあ今日の構成、決めよう」
俺は別のお便りを手に取った。図書室の新着コーナーについて書いてきた一年生のやつを採用する。リクエスト曲は先週から持ち越していたもの。椅子を引いて、マイクの前に座れば立花からスタンバイのサインが出る。
小さく息を吸って——
「こんにちは、リクエスト&お便りコーナーです」
俺の声は、いつも通り、部屋に広がった。
「……ねえ紬、ちょっと待って」
放送が終わったあと、立花がミキサーを見ながら眉間に皺を寄せていた。
「何?」
「さっき柏木くんの話、してたじゃん」
「したね」
「あの時点でスイッチ、入ってた……!」
一瞬、言葉が出なかった。
「……え、マジで?」
「ごめん。テストで入れたまま切り忘れてた。気づかなくて……」
頭の中で、さっきの自分の声が再生される。
あー、自然体なのにかっこいいよね、柏木くん。
運動会のとき実況したじゃん、リレーのアンカー。あの走り方が本当に綺麗で——
笑い方が静かなんだよね。それがなんか、好き——というか
「……何分位流れてた?」
「四分くらい」
「やっば」
最悪のシナリオが頭の中に並んで思わず立ち上がった。あれが全校に流れたということは、二年C組の生徒も聴いたし、柏木本人が聴いた可能性がある。笑い方が好きとか雰囲気があるとか普通に言った。
「どうしよう!?」
「立花、まず落ち着いて」
「落ち着いてる場合じゃ——」
「落ち着かないと何もできないから落ち着いて。とりあえずお詫びの放送するから」
そう言ってマイクを引き寄せたが、スイッチの位置は分かってるのにすぐに押せない。手がちょっと震えているのに気づき、ゆっくり息を吐いて、レベルメーターが動くのを確認してからボタンを押した。
「――『先ほど、お便りコーナー前、不適切な内容ありました。謹んでお詫び申し上げます』」
多分立花より俺の方が落ち着いていない気がするけど、やってしまったものはどうしようもない。落ち着くために深呼吸をしようと息を吸ったタイミングで、いきなり放送室の扉が開いた。ノックもなしに開いたその先で最初に目に入ったのは長身のイケメン。
柏木優真と後ろにバスケ部っぽい体格の男子が二人。
柏木の表情はぱっと見で読みにくかった。怒ってるのか困惑してるのか、あるいは全部なのか。
とりあえず謝らなきゃと俺が口を開くより先に柏木の隣の男子が口を開いた。
「さっきの放送、何だよあれ」
「本当に申し訳ない」
とにかく頭を下げて、打ち合わせ中にスイッチが入っていたことを説明すると、後ろの一人が、柏木に向かって小声で——でも俺には聴こえる音量で話している。
「こいつ優真のことめっちゃ細かく見ててキモくない?」
「ていうかお前のことガチで好きなんじゃねぇの?」
「おい」
もう一人が笑いを堪えるような声で言う。言い返すタイミングを探していたら、柏木が俺を見た。困ったような、少し申し訳なさそうな顔で。
「いや、そんなんじゃないと思うけど……。ただ、ごめんね。もし俺のことそういう感じで見てたんだとしたら」
——どこをどう切り取っても「フられた」にしかならない言い方だった。
「違う。コーナーの打ち合わせしてたんだよ。お便りが来てたからそれを話してた。柏木のことが好きとかそういうことじゃなくて、いいエピソードの人として話してただけ。ストーカーでもないし恋愛感情もない。放送部の活動の一環。ただ、スイッチが入っていて全校放送になっちゃったのは本当にごめん。こっちのミスだ」
「……そっか」
「分かった?」
「……分かった」
「ならいい」
そう言い切れば三人とも廊下に引く。後ろの一人がまだ何か言っていたが、俺は聴かなかったことにして扉を閉めた。
「紬……ごめん。大丈夫?」
「大丈夫だよ」
大丈夫かどうかは、教室に帰った瞬間、変な空気で察した。
うーん。これは大丈夫じゃないな。
翌日も廊下ですれ違った男子が「あ、放送の人だ」と言って少し笑った。その後も似たようなことがちらほら。やっぱり大丈夫じゃなかったか。初日は様子見だったんだな。
「昨日の昼休みすごかったよ〜」
「柏木くんのこと語ってたじゃん」
「打ち合わせで間違えてスイッチ入れたまま喋っちゃったんだよ」
「でも内容がさぁ」
「コーナーの練習してただけだから」
「いや、あの言い方で練習は無理あるって!」
からかい混じりの笑い声。悪意というよりネタのひとつなんだろうとは分かっているけど、じわじわ疲れる。
三時間目が終わったころ、一年生に廊下で声をかけられた。
「榎本先輩、昨日の放送聴きました。柏木先輩のエピソード、すごく良かったです」
純粋に受け取ってくれてるのは分かる。でもだからって楽になるかというと、今はちょっとならないな。
放課後、後輩に廊下で会ったとき、彼が申し訳なさそうな顔で「先輩、C組の人たちが放送部のこと……なんか言ってるみたいで」と言いかけて止まった。
「何て?」
「その……管理できてないとか、私物化してるとか、そういう感じのことを」
「ああ……」
自分がからかわれるのは構わない。失敗したのは俺だし、気まずくなるのは当然の結果だ。それは受け入れる。
でも部全体が馬鹿にされるのは話が違う。俺一人の失敗が他の部員全員の評判に繋がる。それは嫌だし困る。
翌日、柏木のクラスの近くの廊下を通ったとき、聴こえてきた声に足が止まった。
「あいつ放送部だろ。昼の放送あんなんでいいの?」
「スイッチの管理もできないとか」
「まあ放送部なんて、大会出るとかでもないし、そんなもんじゃん」
見れば教室の中で華やかというか元気なグループがそこそこの声で喋っている。
困ったような顔をしている柏木と視線が合った。お便りの主はC組有志だった。こんな風に騒がれたら、お便りをくれた子達も居心地悪いかもしれないし、俺も部のことを言われるのは嫌だ。
「スイッチが入ったまま放送したのは俺の確認不足だった。それは謝るよ」
廊下の窓に手を掛け、負けないように俺は声を出した。叫んだり、怒鳴ったりしないように、できるだけ淡々と。
「恥ずかしい思いをさせたのは本当に申し訳なかった。でも、部のことを悪く言うのは違うよな」
教室の声も廊下の笑い声も、少しだけ静かになったところで、俺は教室に戻って他のことを考えないように授業を受けた。
「疲れた……ん、誰からだ」
その夜、布団の中でスマホを見ていたら、部のグループラインに顧問の先生からメッセージが来ていた。
〝昨日の件、機材チェックのプロトコルを改めて共有しましょう。立花さんも反省しています。榎本くんも、自分を責めすぎないように。ミスは誰でもあるから次に活かせばいいと思います〟
温かい言葉でありがたい。でも今だけは少し重いかも。
俺、しばらく部活休もう。
自分がいることで立花始め、他の部員に余計なストレスをかけるのが嫌だった。状況が落ち着くまで距離を置こうというか、人の噂も七十五日……はちょっと長すぎだけど、来週末からテスト期間、みんなどうせすぐにそれどころじゃなくなるし、開き直ってインプット期間にでもしようと、先生への連絡文を考えながら目を閉じた。
翌朝、「部活はしばらく休みます」と先生に連絡した。
体調が悪いわけではないけど、気分はあんまり軽くない。こういう気分じゃ、あんまり上手く話せない気がする。
プロだったらこういう時もなんでもないような顔をしていつも通り話すんだろうけど、目指しているとはいえ、一応アマで学生なので、今は許されたい。
入部した時から――コーナーを任せてもらえる前からずっと、昼休みは放送部に通い詰めで、早めに昼ごはんを食べるくせも付いてしまったから、お昼が自由だと何していいか分からなくなる。何となく、放送室から一番遠い図書室に来てしまった。
窓際の席で文庫本を開くとスピーカーから昼の放送が流れてきた。後輩の声と音楽だけ。今日はお便りコーナーがない。
それを聴きながらページを捲って、放送室の匂いのことを少しだけ考えていた。
放送部の活動は週三回。火・木・金の昼休みに、十分間のリクエスト&お便りコーナーをやる。担当は二年の榎本紬――俺だ。
廊下を歩く速度が、気づけば少し速くなっていた。後ろから「榎本走るなよ!」という声が聴こえた気もしたけど、振り返らなかった。
放送室は二階の職員室の隣、特別棟の端っこにある、ちょっと空気がよどんだ小部屋。掃除しても掃除しても埃と配線の匂いがして、今は誰かが置いていった飴の甘さが混ざった独特の匂いがする。
俺はその匂いが好きだ。
「紬、お便り見た?」
「今来たばっかりなのに見てるわけないだろ。どんな感じ?」
先に来ていた立花が、紙の束をひらひらさせながら言った。立花は部長で編集担当、眼鏡の小柄な女子だ。声が小さいのに放送部なのは「技術を磨きたい」という明確な意志があるからで、ミキサーとか編集が上手い。
「多い。あと、面白いのが一個ある」
「面白いかぁ」
立花が「面白い」と言うときは、だいたいちょっと困ったお便りだ。受け取った束の一番上の一枚だとすぐに分かった。
差出人は「二年C組有志」
〝榎本さんのコーナー大好きです。毎回楽しみにしています。ところでリクエストなんですが、二年C組の柏木くんのことを話してもらえませんか。二年で一番モテる男の子です(本人は絶対聴いてないと思うので書きます)。いつも自然体でかっこよくて、先週の体育の授業で転びかけた子をさっと受け止めていました。「大丈夫?」って言い方が本当に優しくて、でもあっさり当然みたいな感じで、本当に素敵だなと思いました。榎本さんの口から語ってもらえたら嬉しいです〟
「柏木……柏木優真か」
柏木優真。二年C組のバスケ部副キャプテン。学年で一番人気の男子といえばまずその名前が出てくる。顔が良くて背が高くて、スポーツができて、態度が柔らかい。絵に描いたような「憧れの男子」タイプで俺とは接点ほぼゼロ。隣のクラスで目立つので視界には入るが、それだけだ。
「採用する?」
「どうかな。本人が聴いてたら気まずくない?」
「C組の子は絶対聴いてないって書いてるけど」
「微妙に失礼だなぁ。俺が言ってんのは本人の耳に入る可能性だよ。昼の全校放送じゃん」
「それもそっか……じゃあ不採用かな」
「そうだなぁ……あぁ、でも自然体なのにかっこいいよね、柏木くん」
「突然どした」
俺もそのつもりだった。けどお便りに書かれた光景は何となく目に浮かんだ。
俺はそういう何気ない風景を想像したり覚えてしまう性質だ。人の仕草とか、声の温度とか、何気ない動作に滲み出るその人らしさとか。そういうものを集めて言葉にしているのが、このコーナーである。今はありがたいことに結構お便りを寄せてくれる人がいるが、最初はお便りがなかったので自分の気づいたことを喋っていた。
だから、柏木優真のことも、思い返してみると引っかかってくるものがけっこうあった。
運動会のとき、俺は部活対抗リレーの実況担当だった。柏木がアンカーで、第三コーナーを曲がったとき後ろから颯爽と追い上げてきた。俺はマイクを持ちながら「内側から柏木くん上がってきました、いい走りです」と言った。後で映像を確認したら、その一言のあとスタンドから歓声が上がっていた。
廊下ですれ違うとき、柏木は大抵バスケ部の誰かと話しながら笑っている。他の子に比べて声量も抑えてちゃんと気を使っている。
「そういえば運動会のリレーのとき実況したなって。早いだけじゃなくて走り方が本当に綺麗でさ」
机の上を見ながら続ける。
「笑い方が静かなんだよね。大声で笑わないの。それがなんか……好き、というか。見てて落ち着く感じ。雰囲気あるなって思う」
「結構見てるね」
「やっぱ目立つからなぁ」
「でも面白い。採用しなくても紬だけでエピがある。採用して組み合わせて特集でもしたら?」
「しないって。本人が聴くかもしれないところでアイドルみたいに扱うのは違う——」
そのとき、ドアの外から廊下を走る音がした。
「あ、やば。こんな時間」
「じゃあ今日の構成、決めよう」
俺は別のお便りを手に取った。図書室の新着コーナーについて書いてきた一年生のやつを採用する。リクエスト曲は先週から持ち越していたもの。椅子を引いて、マイクの前に座れば立花からスタンバイのサインが出る。
小さく息を吸って——
「こんにちは、リクエスト&お便りコーナーです」
俺の声は、いつも通り、部屋に広がった。
「……ねえ紬、ちょっと待って」
放送が終わったあと、立花がミキサーを見ながら眉間に皺を寄せていた。
「何?」
「さっき柏木くんの話、してたじゃん」
「したね」
「あの時点でスイッチ、入ってた……!」
一瞬、言葉が出なかった。
「……え、マジで?」
「ごめん。テストで入れたまま切り忘れてた。気づかなくて……」
頭の中で、さっきの自分の声が再生される。
あー、自然体なのにかっこいいよね、柏木くん。
運動会のとき実況したじゃん、リレーのアンカー。あの走り方が本当に綺麗で——
笑い方が静かなんだよね。それがなんか、好き——というか
「……何分位流れてた?」
「四分くらい」
「やっば」
最悪のシナリオが頭の中に並んで思わず立ち上がった。あれが全校に流れたということは、二年C組の生徒も聴いたし、柏木本人が聴いた可能性がある。笑い方が好きとか雰囲気があるとか普通に言った。
「どうしよう!?」
「立花、まず落ち着いて」
「落ち着いてる場合じゃ——」
「落ち着かないと何もできないから落ち着いて。とりあえずお詫びの放送するから」
そう言ってマイクを引き寄せたが、スイッチの位置は分かってるのにすぐに押せない。手がちょっと震えているのに気づき、ゆっくり息を吐いて、レベルメーターが動くのを確認してからボタンを押した。
「――『先ほど、お便りコーナー前、不適切な内容ありました。謹んでお詫び申し上げます』」
多分立花より俺の方が落ち着いていない気がするけど、やってしまったものはどうしようもない。落ち着くために深呼吸をしようと息を吸ったタイミングで、いきなり放送室の扉が開いた。ノックもなしに開いたその先で最初に目に入ったのは長身のイケメン。
柏木優真と後ろにバスケ部っぽい体格の男子が二人。
柏木の表情はぱっと見で読みにくかった。怒ってるのか困惑してるのか、あるいは全部なのか。
とりあえず謝らなきゃと俺が口を開くより先に柏木の隣の男子が口を開いた。
「さっきの放送、何だよあれ」
「本当に申し訳ない」
とにかく頭を下げて、打ち合わせ中にスイッチが入っていたことを説明すると、後ろの一人が、柏木に向かって小声で——でも俺には聴こえる音量で話している。
「こいつ優真のことめっちゃ細かく見ててキモくない?」
「ていうかお前のことガチで好きなんじゃねぇの?」
「おい」
もう一人が笑いを堪えるような声で言う。言い返すタイミングを探していたら、柏木が俺を見た。困ったような、少し申し訳なさそうな顔で。
「いや、そんなんじゃないと思うけど……。ただ、ごめんね。もし俺のことそういう感じで見てたんだとしたら」
——どこをどう切り取っても「フられた」にしかならない言い方だった。
「違う。コーナーの打ち合わせしてたんだよ。お便りが来てたからそれを話してた。柏木のことが好きとかそういうことじゃなくて、いいエピソードの人として話してただけ。ストーカーでもないし恋愛感情もない。放送部の活動の一環。ただ、スイッチが入っていて全校放送になっちゃったのは本当にごめん。こっちのミスだ」
「……そっか」
「分かった?」
「……分かった」
「ならいい」
そう言い切れば三人とも廊下に引く。後ろの一人がまだ何か言っていたが、俺は聴かなかったことにして扉を閉めた。
「紬……ごめん。大丈夫?」
「大丈夫だよ」
大丈夫かどうかは、教室に帰った瞬間、変な空気で察した。
うーん。これは大丈夫じゃないな。
翌日も廊下ですれ違った男子が「あ、放送の人だ」と言って少し笑った。その後も似たようなことがちらほら。やっぱり大丈夫じゃなかったか。初日は様子見だったんだな。
「昨日の昼休みすごかったよ〜」
「柏木くんのこと語ってたじゃん」
「打ち合わせで間違えてスイッチ入れたまま喋っちゃったんだよ」
「でも内容がさぁ」
「コーナーの練習してただけだから」
「いや、あの言い方で練習は無理あるって!」
からかい混じりの笑い声。悪意というよりネタのひとつなんだろうとは分かっているけど、じわじわ疲れる。
三時間目が終わったころ、一年生に廊下で声をかけられた。
「榎本先輩、昨日の放送聴きました。柏木先輩のエピソード、すごく良かったです」
純粋に受け取ってくれてるのは分かる。でもだからって楽になるかというと、今はちょっとならないな。
放課後、後輩に廊下で会ったとき、彼が申し訳なさそうな顔で「先輩、C組の人たちが放送部のこと……なんか言ってるみたいで」と言いかけて止まった。
「何て?」
「その……管理できてないとか、私物化してるとか、そういう感じのことを」
「ああ……」
自分がからかわれるのは構わない。失敗したのは俺だし、気まずくなるのは当然の結果だ。それは受け入れる。
でも部全体が馬鹿にされるのは話が違う。俺一人の失敗が他の部員全員の評判に繋がる。それは嫌だし困る。
翌日、柏木のクラスの近くの廊下を通ったとき、聴こえてきた声に足が止まった。
「あいつ放送部だろ。昼の放送あんなんでいいの?」
「スイッチの管理もできないとか」
「まあ放送部なんて、大会出るとかでもないし、そんなもんじゃん」
見れば教室の中で華やかというか元気なグループがそこそこの声で喋っている。
困ったような顔をしている柏木と視線が合った。お便りの主はC組有志だった。こんな風に騒がれたら、お便りをくれた子達も居心地悪いかもしれないし、俺も部のことを言われるのは嫌だ。
「スイッチが入ったまま放送したのは俺の確認不足だった。それは謝るよ」
廊下の窓に手を掛け、負けないように俺は声を出した。叫んだり、怒鳴ったりしないように、できるだけ淡々と。
「恥ずかしい思いをさせたのは本当に申し訳なかった。でも、部のことを悪く言うのは違うよな」
教室の声も廊下の笑い声も、少しだけ静かになったところで、俺は教室に戻って他のことを考えないように授業を受けた。
「疲れた……ん、誰からだ」
その夜、布団の中でスマホを見ていたら、部のグループラインに顧問の先生からメッセージが来ていた。
〝昨日の件、機材チェックのプロトコルを改めて共有しましょう。立花さんも反省しています。榎本くんも、自分を責めすぎないように。ミスは誰でもあるから次に活かせばいいと思います〟
温かい言葉でありがたい。でも今だけは少し重いかも。
俺、しばらく部活休もう。
自分がいることで立花始め、他の部員に余計なストレスをかけるのが嫌だった。状況が落ち着くまで距離を置こうというか、人の噂も七十五日……はちょっと長すぎだけど、来週末からテスト期間、みんなどうせすぐにそれどころじゃなくなるし、開き直ってインプット期間にでもしようと、先生への連絡文を考えながら目を閉じた。
翌朝、「部活はしばらく休みます」と先生に連絡した。
体調が悪いわけではないけど、気分はあんまり軽くない。こういう気分じゃ、あんまり上手く話せない気がする。
プロだったらこういう時もなんでもないような顔をしていつも通り話すんだろうけど、目指しているとはいえ、一応アマで学生なので、今は許されたい。
入部した時から――コーナーを任せてもらえる前からずっと、昼休みは放送部に通い詰めで、早めに昼ごはんを食べるくせも付いてしまったから、お昼が自由だと何していいか分からなくなる。何となく、放送室から一番遠い図書室に来てしまった。
窓際の席で文庫本を開くとスピーカーから昼の放送が流れてきた。後輩の声と音楽だけ。今日はお便りコーナーがない。
それを聴きながらページを捲って、放送室の匂いのことを少しだけ考えていた。

