君との恋は放物線を描くように

 ◇

 昼休み。俺は朝約束した通り、授業が終わると一目散に購買へ走った。
 購買のパンは一階の階段下にやってくる。階段下には自販機なども置かれていてちょっとしたスペースになっているのだが、昼時になるとその狭いスペース目掛けて多くの生徒が押し寄せた。

「くっ……あとちょっとなのに……!」

 屈強な運動部員たちに混ざってパンが入ったケースに手を伸ばす。さらにその前には女子生徒が群がっていた。
 一応、暗黙のルールとして女子が潰されないように、なるべく見かけたら前にしてあげようという紳士協定が男子たちの間で――特に運動部の中で――結ばれている。
 だけど今日は運動部員たちの壁が厚い。ケースまで辿り着けないどころか、ついには屈強な壁に弾かれてしまった俺は、どんっと後ろの誰かにぶつかった。

「うわっ、ごめんなさい! ……って、天津?」

 振り返ったら天津が立っている。よろめいた体を抱き止めてくれたみたいで、その拍子にお揃いで使っているレモンの制汗剤がふわりと香った。

「俺、先輩の分も買ったんで行きましょ」
「あ、うん……。ありがとう」

 既に戦い終えたらしい天津の手にはパンが詰まったビニール袋が握られている。
 いつもより声のトーンも調子も落とした天津に手を引かれ、三階の空き教室に入った。

「先輩、どれにしますか?」

 二人並んで席に触り、袋の中身を広げる天津を見るに、そこまで怒っている様子はない。けれど、明らかに目が合わない。
 俺はパンを選ぶよりも先に天津に向き合わなければ、と天津を見た。

「なぁ、天津。朝からなんか怒ってない?」
「別に……怒ってないですけど」
「嘘。怒ってる。全然、目が合わないもん」
「それは……」
「俺が駐輪場で天津のこと待たせたから?」

 駐輪場の言葉に反応した天津がぴくりと肩を震わせる。やっぱり待たせたことを怒ってるんだと理解した俺は天津に頭を下げた。

「ごめん。天津が待っててくれたのに、駐輪場でアキと話してたのが嫌だったんだよな。マジで悪かった」
「……は? いやいや、別に待たされたことに怒ってるわけじゃないっていうか……。つか、それだけで怒ったら心狭すぎるヤツになっちゃいません?」
「じゃあ、どうして……」

 天津が不機嫌になる理由がわからず首を傾げてしまう。
 すると、天津はハァ〜っと盛大な溜め息をついて、頭をぐしゃぐしゃと掻き毟り始めた。

「あーーー! ダッセー、俺」
「天津……?」
「俺、ただ拗ねてるだけっス」
「拗ねてる……?」
「先輩、アキって人と仲良さそうだったから。お互いに名前で呼んでるっぽかったからいいなぁ、って」

 俺なんてずっと天津のままなのに……と項垂れる天津に、俺は拍子抜けしてしまう。
 なんだ、そんなこと、と思ったら笑えてしまった。

「ちょっと、笑わないでくださいよ! 俺、真剣なんですから!」
「だって、そんなことでいじけてたなんて!」
「だからダサいって言ったじゃん! あーもー、こんなことで先輩に笑われたくなかった……」

 がっくりと肩を落とし、本気でカッコ悪いと思い込んでいる天津が可愛い。
 そもそも俺たちは先輩と後輩なのだ。天津が俺のことを先輩と呼ぶのも、俺が天津のことを苗字で呼ぶのも何もおかしなことではない。むしろ、普通だ。
 だけど天津としてはそれが嫌らしい。
 天津はおずおずと顔を上げると、弱々しい声で呟いた。

「俺のこと、渉って呼んでください」
「……ダメ。他の後輩も苗字で呼んでるのに、天津だけ名前で呼んだら特別扱いになるから」
「でも俺たち、付き合ってますよね?」
「カッコ仮みたいなもんだろ」
「だとしても、恋人っぽいことしたいもん……」

 膨れているのかムッと唇を突き出す天津に、そういうところが後輩っぽくてイマイチ恋人感がないんだよなぁ、と微笑ましい気持ちになってしまう。
 そもそも恋人っぽいことってどんなことだよと尋ねたら、天津が息をつく間もなく答えた。

「毎日一緒に登下校したい、手も繋ぎたい、頭撫でてもらいたい、ぎゅって抱き締めたいし、キスもしたいし、あと……」
「ストップ! 俺が悪かったからそれ以上言うな」
「えぇ〜。先輩が聞いたんじゃん。てか、顔赤い。もしかして想像しました?」

 悪戯が成功した子どもみたいに笑って、天津がツンツンと俺の肩をつつく。調子に乗ってるなこれは……と、俺はそっぽを向いた。

「想像させたのはそっちだろ。てか、そんな生意気な態度取るなら名前呼びはなし」
「わー! ごめんなさい、名前呼んで!」
「ダメ。……でも、俺の名前を呼ぶのはいいよ」
「マジ……?」
「マジ。でも部活中は禁止だから」
「やったー! 先輩のこと、鳴って呼べるんだ」
「おい、話聞いてたか……?」

 嬉しさが爆発しているのか、机に突っ伏して何度も名前を連呼し始めた天津に、こっちが恥ずかしくなってくる。
 てか、そこは鳴先輩じゃないのかよ。

「鳴、鳴、なーるー」
「……そんなに呼んでも返事しないからな」
「なんでよ、返事してよ」
「こんな近くにいるんだから、返事する意味がない」
「それだとつまんないー」

 ぶうぶうと文句を言う天津を無視して、確保してもらったパンを選ぶ。
 天津が選んできたのはどれもガッツリとした惣菜パンだ。さすが同じ運動部なだけあって欲しているものがよくわかっている。
 あとでお金も払うつもりだし、ここは天津が浮かれているうちに遠慮なくカレーパンと焼きそばパンを頂いてしまおう。
 早速、包みを開けて齧り付いたら、天津が「あー!」と声を上げた。

「カレーパン取られた」
「早いもの勝ちだろ」
「ダメ、俺も一口」
「あっ」

 あっという間にカレーパンを持っていた右手を掴まれて、大きな一口でパンを持っていかれる。
 美味しい〜! と喜んだ天津は、新たにホットドッグの包みを開いて齧っていた。

「こっちも食べます?」
「いいの?」
「もちろん。ただし、あーんで♡」
「なら、やめとく」
「えぇ〜」

 あまり天津を思い上がらせるのはよくないかもしれない。
 だって、俺たちは本当の恋人じゃないのだから。だけど、俺に甘えてくる天津はやっぱり可愛くて、最終的にあーんしたがる天津に負けてホットドッグを齧った。

「あ〜〜もうお昼休み終わりか……」

 パンをすべて食べきり、天津が手持ち無沙汰に机に突っ伏して足をぴょんと伸ばしたり曲げたりしている。
 時計を見れば、そろそろ五限目が始まる時間だった。

「先輩と同じ二年ならよかったのに。同じクラスだったら、毎時間後ろ姿眺められるのに」
「そんなことされたら集中できなくなるだろ」
「へぇ〜。俺に見られると気が散るんだ?」
「天津だからじゃなくて、誰に見られても気が散るよ」

 まぁ、天津からの場合、熱視線が凄すぎて背中が焼け焦げそうだけど。

「ほら、そろそろ行くぞー」
「はーい」

 食べたものを片付け、二人で空き教室を出ていく。
 俺は三階、天津は四階だ。だから階段の前でお別れになる。
 不思議と天津と過ごした時間が名残惜しく感じてしまった。いつだって、約束すれば昼ご飯を一緒に食べられるのに。

「それじゃ、また部活で」
「はい! あ、ちょっと待って」

 あともう少しで階段が見えてくる手前で天津が足を止める。
 くるりと振り返ったかと思ったら、ふいに俺を抱き締めてきた。

「パンくず、ついてる」
「あっ……」
「ほんと、可愛い、鳴」

 ふにっ、と唇の端に天津の指先が触れて離れていく。
 一瞬で天津の指先も、体を引き寄せるようにして腰に回された腕も、低く甘い声すらも離れていって、それが少し寂しかった。

 ――いや、寂しいってなんだ……?

「午後の授業も練習も頑張りましょうね!」

 次の瞬間には爽やかな笑顔で天津がブンブンと手を振っている。
 軽やかに階段を上がっていく天津とは裏腹に、俺の心臓はさっきよりも質量を伴ってバクバクと五月蝿く鳴り始めた。

「……あれ、鳴じゃん。んなところで突っ立ってなにしてんの?」

 たまたま近くを通りかかったらしいアキに声を掛けられて、俺は油切れのロボットみたいにぎこちなく振り返る。
 アキは俺の顔を見た瞬間、うわっ、とドン引いたような声を上げた。

「顔、真っ赤なんだけど。あと、汗ヤベー」
「俺、そんなに顔真っ赤……?」
「鏡見てこいって。てか、本当に大丈夫?」
「うん……。大丈夫、一時的なものだから」

 熱くなった頬の熱を冷まそうと、パタパタと手で風を送る。だけど、そんな弱々しい風では天津によって与えられた熱からは逃れられなかった。