選抜リレーは午後一の応援合戦の後に行われる。元々俺は玉入れに出る予定だったけど、それは江川が代われることになったから、出場種目はリレーだけになった。
「航ー! ちゃんと応援してろよー!」
駆け足で入場門へ向かう千代野を、テントの中から手を振って見送る。今年のクラスTシャツは黒地に濃い赤のストライプが入ったデザインで遠目からでも分かりやすい。空も雲一つない絶好の体育祭日和だった。
「獅子井も午後までずっと暇だよな?」
「ああ」
隣のイスに座る獅子井は眩しそうに外を眺めている。キラキラ輝く金髪は、今日は一つにまとめられていた。
「——ねえ弥坂っ!」
俺も眠たい目をしばたたかせていると、獅子井がいない方の後ろから小さく名前を呼ばれる。
「あのさ、私たち獅子井くんと写真撮りたいんだけど……、ちょっと弥坂のほうから声掛けてみてくれない?」
「え、俺から?」
「うん。二人仲良いんでしょ? 私たちから言っても絶対断られちゃうからさ」
そうお願いしてくるクラスの女子は、いつもと違ってオシャレに髪型をセットしている。俺から見ても普通にかわいいと思うくらい。獅子井と並んだら、きっとお似合いで……。
(あ、まただ。またなんか、みぞおちの辺りがズキッと……)
「ねえちょっと、弥坂?」
俺の返事を急かすように女子の声も尖ってくる。けど、俺は素直に頷けなかった。あいまいに返そうとすると、急に横から肩を引っ張られる。
「——弥坂に何の用?」
獅子井の胸にぽすっと頭が収まる。
「えっ? あ、わ、私たち、弥坂に用っていうか……その、獅子井くんと写真撮りたいなーって、声掛けただけで……」
「写真? オレと?」
「う、うん……っ」
俺は咄嗟に獅子井のTシャツを握った。今は抱きしめられていることよりも、何故か獅子井の返事を聞くのが怖かった。
「……悪いけどオレ、写真嫌いだから」
「えっ、そうなの!?」
「ああ。だから他の奴にも無理って言っといて」
「あ……う、うん! 分かった、そうするね……!」
足音がそそくさと離れていくのが分かる。俺は安堵したのもつかの間、顎をぐっと持ち上げられた。肩に回された手はそのまま、至近距離で目が合ってしまい息が止まりかける。
「弥坂、」
「うわッ!?」
獅子井の胸元を押して離れた。——瞬間、”パンッ”と小気味いい音が鳴り渡った。グラウンドに視線をやると、六人くらいが一列になって同じ足を交互に動かしている。いつの間にかムカデ競争が始まっていた。
「お、応援しねえと」
俺は千代野を探すフリをしながらパタパタとTシャツを煽った。まだ体も動かしてないのに異様に暑い。獅子井が何か言いたげにこっちを見ていたけど、今反応してしまったら、この動悸に良からぬものが混ざりこんでると気づいてしまいそうで、俺は正面を見据えることしかできなかった。
***
午前中は難なく終わって、昼休憩。かなり順調に勝ち星を挙げてきた俺たちのクラスは、盛りに盛り上がっていた。教室の真ん中で千代野と数人の男どもがバカ騒ぎしているのを尻目に、俺は食べ終わった弁当をランチバッグにしまう。入れ代わりにバナナを取り出すと、前のイスに横座りしていた獅子井が「バナナ?」と呟くのが聞こえた。
「ああ、俺……運動前とか試合前に、よくバナナ食うんだよ。エネルギー補給になるし、あとなんか集中力も上がる気がしてさ」
「……好物じゃなかったのか?」
「え? いや好きかって言われると別にそこまでなんだけど……」
俺は言いながら、ふと思い出す。絵のモデルに初めて誘われた時から、獅子井はずっと『バナナミルク』を用意して渡してくれてたなってことに。
「も、もしかしてこれも美術室から見て知ってた?」
「……まあ、好きで食べてるんだと思ってたくらいには」
ぼそっとこぼす獅子井は、静かに顔を逸らした。俺はバナナミルクが美味しいっていう新たな発見を得られたからよかったけど、勘違いで毎日渡してた側としては恥ずかしかったのかもしれない。
口から「ははっ」と、小さく笑い声が漏れる。
(俺、こういう時獅子井が照れんのけっこう好きかも。あんま顔色変わんないから、新鮮だし)
眉を寄せた獅子井がこっちをチラッと見たけど、俺は気にせずバナナの皮を剥いた。一口頬張ると、なめらかな食感と甘みが広がって、唇が緩む。いつもは淡々と食べるバナナも、今日はなんだか一段と甘い気がした。
机にふっと影が差す。
「——弥坂、そろそろ時間だ。早く食べ終えろ」
「え、もうそんな時間?」
隣を見ると、いつの間にか宇崎の姿が。
「ああ。あと十分で午後の部が始まる。俺たちは応援合戦の後すぐだから、もう行っておいた方がいい」
まじか。まだクラスの連中も半分くらいいたから全然時間気にしてなかった。
急いで飲み込もうとする俺の口元に、獅子井の指先が伸びる。
「ゆっくり食べろ。どうせ応援合戦なんて時間押すから」
「……は? おい獅子井、それは勝手すぎないか」
「別に、時間までに行けばいいんだろ。むしろここで慌てて、喉詰まらせる方が危ねえと思うけど」
飄々と言い放つ獅子井に、宇崎は眉間の皺を深くした。どっちも言ってることは正しいから、互いに譲る素振りもなかった。
でも本番前に険悪な雰囲気になるのだけはやめてほしい。獅子井も、俺の口拭いた指を自分の舌で舐め取るのはやめてほしい。
「も、もう行くから……! 宇崎は千代野呼んで先行っててくれ!!」
俺はとりあえずそう促した。宇崎は渋々って感じだったけど、こんなことしてる場合じゃないと我に返ったのか、時計を見ると千代野のもとへと歩いて行った。
それからなるべく急ぎつつ、しっかり咀嚼して食べ終えた俺は、獅子井と一緒にグラウンドへ戻った。「こっちこっちー!」と手を振る千代野に、人混みの間を縫って近づく。
「航! 調子大丈夫そうか?」
「……ああ、うん」
さっきはどうなることかと冷や冷やしたけど、体の調子はすこぶるよかった。
「応援合戦はあと十分くらいで終わるって」
「そうなんだ」
陽気なBGMが流れるグラウンドでは、チアガールのようなボンボンを持った女の子たちが踊っている。たまにガタイのいい奴が勇ましい声をあげてるところを見るに、どうやら男も混ざってるらしい。
「俺、ちょっと隅のほうでアップしてきていい?」
「おー、いいよ」
千代野に許可を取って移動する。宇崎はむっつりと黙ったまま、俺の後ろからは獅子井がついてきてるのが分かった。
この辺でいいかと人気が少なくなった所で立ち止まる。俺は手足をグルグルと回しながら、隣の獅子井に聞こえるか聞こえないか分からないくらいの声量で呟いた。
「今日までいろいろありがとな、獅子井」
獅子井がいなかったら、俺はきっとこの場には立ててなかったよ。
「……それはオレじゃなくて、全部お前が頑張ったおかげだろ」
「っあ、聞こえてた?」
獅子井が横目に俺を見る。
「オレはきっかけは作ってやれたかもしんねえけど、そっから挑戦するのを選んで、また走ろうって決めたのはお前自身だ。だからもっと自分を誇れ。お前は偉いよ」
「……っ!」
まさかそんなことを言ってもらえるとは思わなかったので、つい目頭が熱くなった。まだ走る前なのに、俺って最近涙もろくなったのかも。
「今日は思いっきり走れ。順位なんて気にせずな」
「……ん、ありがとう」
俺は目から雫がこぼれないように空を見上げた。澄んだ青い空に昇る太陽が、チカッと瞬いて、俺を応援してくれているような、そんな気がした。
「航ー! ちゃんと応援してろよー!」
駆け足で入場門へ向かう千代野を、テントの中から手を振って見送る。今年のクラスTシャツは黒地に濃い赤のストライプが入ったデザインで遠目からでも分かりやすい。空も雲一つない絶好の体育祭日和だった。
「獅子井も午後までずっと暇だよな?」
「ああ」
隣のイスに座る獅子井は眩しそうに外を眺めている。キラキラ輝く金髪は、今日は一つにまとめられていた。
「——ねえ弥坂っ!」
俺も眠たい目をしばたたかせていると、獅子井がいない方の後ろから小さく名前を呼ばれる。
「あのさ、私たち獅子井くんと写真撮りたいんだけど……、ちょっと弥坂のほうから声掛けてみてくれない?」
「え、俺から?」
「うん。二人仲良いんでしょ? 私たちから言っても絶対断られちゃうからさ」
そうお願いしてくるクラスの女子は、いつもと違ってオシャレに髪型をセットしている。俺から見ても普通にかわいいと思うくらい。獅子井と並んだら、きっとお似合いで……。
(あ、まただ。またなんか、みぞおちの辺りがズキッと……)
「ねえちょっと、弥坂?」
俺の返事を急かすように女子の声も尖ってくる。けど、俺は素直に頷けなかった。あいまいに返そうとすると、急に横から肩を引っ張られる。
「——弥坂に何の用?」
獅子井の胸にぽすっと頭が収まる。
「えっ? あ、わ、私たち、弥坂に用っていうか……その、獅子井くんと写真撮りたいなーって、声掛けただけで……」
「写真? オレと?」
「う、うん……っ」
俺は咄嗟に獅子井のTシャツを握った。今は抱きしめられていることよりも、何故か獅子井の返事を聞くのが怖かった。
「……悪いけどオレ、写真嫌いだから」
「えっ、そうなの!?」
「ああ。だから他の奴にも無理って言っといて」
「あ……う、うん! 分かった、そうするね……!」
足音がそそくさと離れていくのが分かる。俺は安堵したのもつかの間、顎をぐっと持ち上げられた。肩に回された手はそのまま、至近距離で目が合ってしまい息が止まりかける。
「弥坂、」
「うわッ!?」
獅子井の胸元を押して離れた。——瞬間、”パンッ”と小気味いい音が鳴り渡った。グラウンドに視線をやると、六人くらいが一列になって同じ足を交互に動かしている。いつの間にかムカデ競争が始まっていた。
「お、応援しねえと」
俺は千代野を探すフリをしながらパタパタとTシャツを煽った。まだ体も動かしてないのに異様に暑い。獅子井が何か言いたげにこっちを見ていたけど、今反応してしまったら、この動悸に良からぬものが混ざりこんでると気づいてしまいそうで、俺は正面を見据えることしかできなかった。
***
午前中は難なく終わって、昼休憩。かなり順調に勝ち星を挙げてきた俺たちのクラスは、盛りに盛り上がっていた。教室の真ん中で千代野と数人の男どもがバカ騒ぎしているのを尻目に、俺は食べ終わった弁当をランチバッグにしまう。入れ代わりにバナナを取り出すと、前のイスに横座りしていた獅子井が「バナナ?」と呟くのが聞こえた。
「ああ、俺……運動前とか試合前に、よくバナナ食うんだよ。エネルギー補給になるし、あとなんか集中力も上がる気がしてさ」
「……好物じゃなかったのか?」
「え? いや好きかって言われると別にそこまでなんだけど……」
俺は言いながら、ふと思い出す。絵のモデルに初めて誘われた時から、獅子井はずっと『バナナミルク』を用意して渡してくれてたなってことに。
「も、もしかしてこれも美術室から見て知ってた?」
「……まあ、好きで食べてるんだと思ってたくらいには」
ぼそっとこぼす獅子井は、静かに顔を逸らした。俺はバナナミルクが美味しいっていう新たな発見を得られたからよかったけど、勘違いで毎日渡してた側としては恥ずかしかったのかもしれない。
口から「ははっ」と、小さく笑い声が漏れる。
(俺、こういう時獅子井が照れんのけっこう好きかも。あんま顔色変わんないから、新鮮だし)
眉を寄せた獅子井がこっちをチラッと見たけど、俺は気にせずバナナの皮を剥いた。一口頬張ると、なめらかな食感と甘みが広がって、唇が緩む。いつもは淡々と食べるバナナも、今日はなんだか一段と甘い気がした。
机にふっと影が差す。
「——弥坂、そろそろ時間だ。早く食べ終えろ」
「え、もうそんな時間?」
隣を見ると、いつの間にか宇崎の姿が。
「ああ。あと十分で午後の部が始まる。俺たちは応援合戦の後すぐだから、もう行っておいた方がいい」
まじか。まだクラスの連中も半分くらいいたから全然時間気にしてなかった。
急いで飲み込もうとする俺の口元に、獅子井の指先が伸びる。
「ゆっくり食べろ。どうせ応援合戦なんて時間押すから」
「……は? おい獅子井、それは勝手すぎないか」
「別に、時間までに行けばいいんだろ。むしろここで慌てて、喉詰まらせる方が危ねえと思うけど」
飄々と言い放つ獅子井に、宇崎は眉間の皺を深くした。どっちも言ってることは正しいから、互いに譲る素振りもなかった。
でも本番前に険悪な雰囲気になるのだけはやめてほしい。獅子井も、俺の口拭いた指を自分の舌で舐め取るのはやめてほしい。
「も、もう行くから……! 宇崎は千代野呼んで先行っててくれ!!」
俺はとりあえずそう促した。宇崎は渋々って感じだったけど、こんなことしてる場合じゃないと我に返ったのか、時計を見ると千代野のもとへと歩いて行った。
それからなるべく急ぎつつ、しっかり咀嚼して食べ終えた俺は、獅子井と一緒にグラウンドへ戻った。「こっちこっちー!」と手を振る千代野に、人混みの間を縫って近づく。
「航! 調子大丈夫そうか?」
「……ああ、うん」
さっきはどうなることかと冷や冷やしたけど、体の調子はすこぶるよかった。
「応援合戦はあと十分くらいで終わるって」
「そうなんだ」
陽気なBGMが流れるグラウンドでは、チアガールのようなボンボンを持った女の子たちが踊っている。たまにガタイのいい奴が勇ましい声をあげてるところを見るに、どうやら男も混ざってるらしい。
「俺、ちょっと隅のほうでアップしてきていい?」
「おー、いいよ」
千代野に許可を取って移動する。宇崎はむっつりと黙ったまま、俺の後ろからは獅子井がついてきてるのが分かった。
この辺でいいかと人気が少なくなった所で立ち止まる。俺は手足をグルグルと回しながら、隣の獅子井に聞こえるか聞こえないか分からないくらいの声量で呟いた。
「今日までいろいろありがとな、獅子井」
獅子井がいなかったら、俺はきっとこの場には立ててなかったよ。
「……それはオレじゃなくて、全部お前が頑張ったおかげだろ」
「っあ、聞こえてた?」
獅子井が横目に俺を見る。
「オレはきっかけは作ってやれたかもしんねえけど、そっから挑戦するのを選んで、また走ろうって決めたのはお前自身だ。だからもっと自分を誇れ。お前は偉いよ」
「……っ!」
まさかそんなことを言ってもらえるとは思わなかったので、つい目頭が熱くなった。まだ走る前なのに、俺って最近涙もろくなったのかも。
「今日は思いっきり走れ。順位なんて気にせずな」
「……ん、ありがとう」
俺は目から雫がこぼれないように空を見上げた。澄んだ青い空に昇る太陽が、チカッと瞬いて、俺を応援してくれているような、そんな気がした。


