午前零時を回った頃には、部屋はもう、めちゃくちゃだった。
床には飲み終わった缶チューハイが転がり、ポップコーンが散乱し、開きっぱなしのコスメポーチが放置されている。
白いレースカーテンの向こうでは、雨上がりの歌舞伎町がネオンを滲ませていた。
ベッドの真上では、壊れかけの回らないミラーボールが、鈍く煌めく光を反射している。
その光の下で、MIUはぼんやりと鏡の前に立ち尽くしていた。
「……え、これ、ほんとに私?」
白いドレスは、ウェディングドレスというより、
歌舞伎町の夜に似合うキャバドレスに近かった。
細い肩を見せるレース。
揺れるスカート。
ティアラには、小さなラインストーンがちりばめられている。
「いや、ほんとマジで天才。かわいすぎ」
背後で、カイが満足そうに頷いた。
ヘアアイロンを置きながら、何度も鏡越しにMIUを見ている。
「待って、ちょっと横向いて。……あーだめ、かわいい。
レンくん! ちゃんと見て! これ!」
「見てるっつーの」
ソファに座っていたレンが、煙草を咥えたまま顔を上げる。
その瞬間、ほんの一瞬だけ言葉を失った。
白いドレス。
露出した肩。
揺れる黒髪。
ネオンを映す瞳。
レンは視線を逸らすように煙を吐き出した。
「……やば」
「うわ、レンくん語彙死んでる」
「うるせぇ」
カイがゲラゲラ笑う。
キッチン側では、ユウキが静かにグラスへシャンパンを注いでいた。
テーブルの上には、小さなホールケーキ。
ロウソクは四本。
「写真撮る前に飲むなよ」
「えー」
「もう飲んでるだろ、MIU」
「ちょっとだけぇ……」
ユウキは呆れたように眉を下げながら、それでもスマホを構えた。
カシャ。
シャッター音。
その音に、MIUは少しだけ目を細める。
「ユウキくん、今日ずっと撮ってる」
「……忘れるから」
「なにそれ」
「後で見返せるだろ」
それだけ言って、またシャッターを切る。
本当は、失いたくないだけだった。
ミラーボールの光が、四人の髪をゆっくり滑っていく。
レンは煙草を揉み消しながら、ぼそりと呟いた。
「……誕生日くらい、派手でもいいだろ」
「レンくんが一番張り切ってたくせに」
「張り切ってねぇよ」
「いや、ウェディングっぽくしようって言い出したのレンくんじゃん」
「うるせぇ」
レンの耳が少し赤い。
カイは腹を抱えて笑いながら、ティアラの位置を直した。
「でも、大正解。普通の誕生日じゃつまんなくない?
MIUちゃん、人生でこういうのやる機会ないかもじゃん。……俺らのせいですけど」
その瞬間、部屋が少しだけ静かになった。
MIUは小さく瞬きをする。
人生で、こういう機会。
白いドレスで、ティアラをまとって。
人生で一番綺麗な姿を、大好きな人に見せて、誓いを交わす。
この四人には、ないかもしれない。
祝われる日。
愛される日。
“生まれてきてよかった”みたいな空気の日。
苦手だった。
なくなりそうで。
こんなふうに見られるのも。
笑いかけられるのも。
幸せそうだと言われるのも。
全部。
少し、怖かった。
でも。
ユウキがコーヒーを淹れて。
カイが髪を触って。
レンが煙草臭い指で頭を撫でる、この部屋だけは。
少しだけ。
生きていてもいい気がしてしまう。
「……幸せすぎて、死にたい」
ぽつり、とMIUが呟く。
カイが「重っ!」と笑い、ユウキが無言で写真を撮る。
レンだけが、少し目を細めた。
「俺が先に死ぬから、それまで待てよ」
「俺が先だ。順番守れ。レン、お前が一番守れ」
「なんでだよ」
「四人一緒に、でしょ」
カイが笑いながら、MIUの肩へ頬を寄せる。
「でも、今日もMIUちゃん、めっちゃかわいいね」
ミラーボールの光が揺れる。
ネオンが白いレースカーテンを透かしていた。
壊れたまま生きる四人だけの、小さな誓いみたいな夜だった。
◇
――歌舞伎町のはずれ、マンションの五階。
外から見た部屋は、レースカーテンがピンクのネオンに薄く染められ、春の風に揺れているようだった。
やがて、バルコニーに二つの影が落ちる。
MIUとレンだった。
MIUはドレスを脱ぎ、ユウキから誕生日プレゼントにもらった、ゆったりした白いワンピースへ着替えている。
病院へ行く時も、今までは借りた服やミニスカートだった。
だから、おばあちゃん達の視線が痛かった。
でも、これなら安心。
さっきのウェディングドレスは、カイからのプレゼント。
ティアラも、髪飾りも、リップまで全部くれた。
ドレスは今、ワードローブの中に掛けられている。
レンは「ん」とだけ言って、小さな白い紙袋を差し出した。
MIUは受け取り、中から箱を取り出す。
「これ……」
箱の中には、銀色のリング。
小さな宝石が一粒だけ埋め込まれている。
「……ちゃんとチェーンある」
「ほんとだ……ありがと、レンくん」
「いや、別に大した意味ねぇけど」
「……レンくん、顔真っ赤」
「うるせぇ、貸せよ」
レンが後ろへ回り、ネックレスをつけてやる。
細いチェーンは目立たなくて、夜の光にだけ微かに反射した。
「……はじめて」
「そんなことねぇよ。ビーズクッションとか買ったろ」
「違うよ。こんなの、人生ではじめて」
レンはバルコニーの柵へ肘をつき、外を向いた。
「そうかよ」
その耳は、さっきより赤く見えた。
「ありがとう、レンくん」
MIUは微笑み、部屋を振り返る。
白いレースカーテンの向こう側。
『I♡歌舞伎町』のピンクのネオンライト。
お気に入りのぬいぐるみとキーホルダー。
バルコニーのすぐ近く、天井にはミラーボール。
キラキラした光を追いかけると、
キングサイズのベッドがあって、カイとユウキが眠っている。
今日は、きっといつもより重力が軽かった。
春の湿った空気は、ちょうどよくて、少し怖い。
今日が終わらないでほしい。
「レンくん」
レンが振り返る。
MIUは服の袖を、そっと掴んだ。
「あたためて……死ぬまで気持ちよくなろ」
レンは少しだけ目を細め、MIUの額を小突いた。
「縁起でもねぇこと言うな」
「だって、今日、終わっちゃう」
「終わんねぇよ。明日も似たようなもんだろ」
「それが怖いの」
レンは何も言わなかった。
代わりに、煙草の匂いが残るパーカーを、MIUの肩へ引っ掛ける。
部屋の中では、カイが寝返りを打って、
「MIUちゃん、お姫様みたい……」
と、寝言を漏らした。
ユウキはソファにもたれたまま眠っている。
手の中には、写真フォルダを開いたスマホ。
ミラーボールの光が、ゆっくりと天井を滑っていく。
レンは小さくため息を吐き、MIUを抱き上げた。
「ほら、風邪引く。戻るぞ」
「ん」
――歌舞伎町のはずれ、マンションの五階。
外から見た部屋は、レースカーテンがピンクのネオンに染められ、
春の風に少しだけ狂い始めていた。
(歌舞伎町青宵ポリ・おわり)
床には飲み終わった缶チューハイが転がり、ポップコーンが散乱し、開きっぱなしのコスメポーチが放置されている。
白いレースカーテンの向こうでは、雨上がりの歌舞伎町がネオンを滲ませていた。
ベッドの真上では、壊れかけの回らないミラーボールが、鈍く煌めく光を反射している。
その光の下で、MIUはぼんやりと鏡の前に立ち尽くしていた。
「……え、これ、ほんとに私?」
白いドレスは、ウェディングドレスというより、
歌舞伎町の夜に似合うキャバドレスに近かった。
細い肩を見せるレース。
揺れるスカート。
ティアラには、小さなラインストーンがちりばめられている。
「いや、ほんとマジで天才。かわいすぎ」
背後で、カイが満足そうに頷いた。
ヘアアイロンを置きながら、何度も鏡越しにMIUを見ている。
「待って、ちょっと横向いて。……あーだめ、かわいい。
レンくん! ちゃんと見て! これ!」
「見てるっつーの」
ソファに座っていたレンが、煙草を咥えたまま顔を上げる。
その瞬間、ほんの一瞬だけ言葉を失った。
白いドレス。
露出した肩。
揺れる黒髪。
ネオンを映す瞳。
レンは視線を逸らすように煙を吐き出した。
「……やば」
「うわ、レンくん語彙死んでる」
「うるせぇ」
カイがゲラゲラ笑う。
キッチン側では、ユウキが静かにグラスへシャンパンを注いでいた。
テーブルの上には、小さなホールケーキ。
ロウソクは四本。
「写真撮る前に飲むなよ」
「えー」
「もう飲んでるだろ、MIU」
「ちょっとだけぇ……」
ユウキは呆れたように眉を下げながら、それでもスマホを構えた。
カシャ。
シャッター音。
その音に、MIUは少しだけ目を細める。
「ユウキくん、今日ずっと撮ってる」
「……忘れるから」
「なにそれ」
「後で見返せるだろ」
それだけ言って、またシャッターを切る。
本当は、失いたくないだけだった。
ミラーボールの光が、四人の髪をゆっくり滑っていく。
レンは煙草を揉み消しながら、ぼそりと呟いた。
「……誕生日くらい、派手でもいいだろ」
「レンくんが一番張り切ってたくせに」
「張り切ってねぇよ」
「いや、ウェディングっぽくしようって言い出したのレンくんじゃん」
「うるせぇ」
レンの耳が少し赤い。
カイは腹を抱えて笑いながら、ティアラの位置を直した。
「でも、大正解。普通の誕生日じゃつまんなくない?
MIUちゃん、人生でこういうのやる機会ないかもじゃん。……俺らのせいですけど」
その瞬間、部屋が少しだけ静かになった。
MIUは小さく瞬きをする。
人生で、こういう機会。
白いドレスで、ティアラをまとって。
人生で一番綺麗な姿を、大好きな人に見せて、誓いを交わす。
この四人には、ないかもしれない。
祝われる日。
愛される日。
“生まれてきてよかった”みたいな空気の日。
苦手だった。
なくなりそうで。
こんなふうに見られるのも。
笑いかけられるのも。
幸せそうだと言われるのも。
全部。
少し、怖かった。
でも。
ユウキがコーヒーを淹れて。
カイが髪を触って。
レンが煙草臭い指で頭を撫でる、この部屋だけは。
少しだけ。
生きていてもいい気がしてしまう。
「……幸せすぎて、死にたい」
ぽつり、とMIUが呟く。
カイが「重っ!」と笑い、ユウキが無言で写真を撮る。
レンだけが、少し目を細めた。
「俺が先に死ぬから、それまで待てよ」
「俺が先だ。順番守れ。レン、お前が一番守れ」
「なんでだよ」
「四人一緒に、でしょ」
カイが笑いながら、MIUの肩へ頬を寄せる。
「でも、今日もMIUちゃん、めっちゃかわいいね」
ミラーボールの光が揺れる。
ネオンが白いレースカーテンを透かしていた。
壊れたまま生きる四人だけの、小さな誓いみたいな夜だった。
◇
――歌舞伎町のはずれ、マンションの五階。
外から見た部屋は、レースカーテンがピンクのネオンに薄く染められ、春の風に揺れているようだった。
やがて、バルコニーに二つの影が落ちる。
MIUとレンだった。
MIUはドレスを脱ぎ、ユウキから誕生日プレゼントにもらった、ゆったりした白いワンピースへ着替えている。
病院へ行く時も、今までは借りた服やミニスカートだった。
だから、おばあちゃん達の視線が痛かった。
でも、これなら安心。
さっきのウェディングドレスは、カイからのプレゼント。
ティアラも、髪飾りも、リップまで全部くれた。
ドレスは今、ワードローブの中に掛けられている。
レンは「ん」とだけ言って、小さな白い紙袋を差し出した。
MIUは受け取り、中から箱を取り出す。
「これ……」
箱の中には、銀色のリング。
小さな宝石が一粒だけ埋め込まれている。
「……ちゃんとチェーンある」
「ほんとだ……ありがと、レンくん」
「いや、別に大した意味ねぇけど」
「……レンくん、顔真っ赤」
「うるせぇ、貸せよ」
レンが後ろへ回り、ネックレスをつけてやる。
細いチェーンは目立たなくて、夜の光にだけ微かに反射した。
「……はじめて」
「そんなことねぇよ。ビーズクッションとか買ったろ」
「違うよ。こんなの、人生ではじめて」
レンはバルコニーの柵へ肘をつき、外を向いた。
「そうかよ」
その耳は、さっきより赤く見えた。
「ありがとう、レンくん」
MIUは微笑み、部屋を振り返る。
白いレースカーテンの向こう側。
『I♡歌舞伎町』のピンクのネオンライト。
お気に入りのぬいぐるみとキーホルダー。
バルコニーのすぐ近く、天井にはミラーボール。
キラキラした光を追いかけると、
キングサイズのベッドがあって、カイとユウキが眠っている。
今日は、きっといつもより重力が軽かった。
春の湿った空気は、ちょうどよくて、少し怖い。
今日が終わらないでほしい。
「レンくん」
レンが振り返る。
MIUは服の袖を、そっと掴んだ。
「あたためて……死ぬまで気持ちよくなろ」
レンは少しだけ目を細め、MIUの額を小突いた。
「縁起でもねぇこと言うな」
「だって、今日、終わっちゃう」
「終わんねぇよ。明日も似たようなもんだろ」
「それが怖いの」
レンは何も言わなかった。
代わりに、煙草の匂いが残るパーカーを、MIUの肩へ引っ掛ける。
部屋の中では、カイが寝返りを打って、
「MIUちゃん、お姫様みたい……」
と、寝言を漏らした。
ユウキはソファにもたれたまま眠っている。
手の中には、写真フォルダを開いたスマホ。
ミラーボールの光が、ゆっくりと天井を滑っていく。
レンは小さくため息を吐き、MIUを抱き上げた。
「ほら、風邪引く。戻るぞ」
「ん」
――歌舞伎町のはずれ、マンションの五階。
外から見た部屋は、レースカーテンがピンクのネオンに染められ、
春の風に少しだけ狂い始めていた。
(歌舞伎町青宵ポリ・おわり)

