歌舞伎町青宵ポリ

 歌舞伎町の朝は、街が死んだみたいに静まり返る時間だ。


 薄い陽光がレースカーテンを透かし、回らないミラーボールに反射した朝の光が、キラキラと部屋の中へ砕け散っている。


 広いベッドの中で、MIUは肌に触れる複数の体温を感じながら目を覚ました。

 四人がかりでようやく収まるキングサイズのシーツ。


 右側にはレンの熱い身体。

 左側にはカイの柔らかな髪の匂い。

 足元には、半分身を起こしてスマホをいじっているユウキの脚の重み。


 かつて孤独に怯え、冷たい夜を彷徨っていたMIUにとって、この「誰かが隣にいる」という過剰なまでの重みこそが、自分を現世へ繋ぎ止める唯一の錨だった。


「……ん、みんな、おはよう」


 微睡みの中でMIUが呟くと、カイが「あ、MIUちゃん起きた? おはよ!」と弾んだ声を返し、そのままベッドから這い出していく。


 リビングでは、いつもの朝の風景が始まっていた。


 壁際のウォールシェルフには、『I♡歌舞伎町』の文字を象ったピンクのネオンライト。

 引っ越し初日にレンがどこからか掠めてきたそれは、昼夜を問わず二十四時間、毒々しくも鮮やかな光を放ち続けている。

 その光に照らされているのは、MIUがゲームセンターで釣り上げた山みたいなぬいぐるみや、安っぽいキーホルダーたちだ。


 かつては「隠さなければ捨てられる」と怯えていた戦利品。

 それらは今、この部屋の守り神みたいに壁際を埋め尽くしている。


 ふと、ベッド脇の壁に視線が止まった。

 そこには、MIUの入院中にレンが叩きつけた拳の痕。

 一部がひび割れ、今にも穴が開きそうな壁が、そのまま残されている。


 カイが「アートだから」と笑いながらぬいぐるみを飾って隠そうとした。

 けれどレンは、「そのままでいい」と拒んだ。


 それは、彼女がいなかった七日間の絶望を、この部屋から消さないための傷跡だった。


 カイが手際よくビーズクッションをローテーブルの周りへ集め、四人が沈み込むための「巣」を整えていく。


 キッチンでは、ユウキが豆を挽く静かな音とともに、深いコーヒーの香りを漂わせていた。

 そこへ、寝癖だらけのレンが、指に煙草を挟んだままふらふらと歩いてくる。


「……おいレン。火を点けるなら換気扇の前に行けと言ってるだろ。MIUの髪に匂いが移る」


「あー、わかってるよ。うるせぇな……」


 ユウキに鋭く牽制され、レンはぶつぶつ悪態をつきながらも、素直にバルコニー側へ歩いていった。


 その背中を、MIUはクッションに深く沈み込みながら見つめていた。


 淹れたてのコーヒーと、コンビニのパン。

 豪華ではないけれど、四人の性格がそのまま滲んだ食卓。

 ピンクのネオンが、マグカップの縁を淡く染めている。


 ふとした沈黙の隙間に、MIUの胸の奥からいつもの「癖」が顔を出した。


 幸せであればあるほど、その先にある終わりを予感して怖くなる。

 胸の奥がチリチリと焼け、出口のない空虚さが喉までせり上がってくる。


「……ねぇ。私、……死にたい」


 それは助けを求める叫びではなく。

 今日の天気を口にするみたいな、日常へ溶け込んだ独り言だった。


 一瞬だけ、部屋の空気が静止する。

 けれど、誰も顔を伏せたりはしなかった。


「……俺が先に死ぬから、待て」


 レンが紫煙を吐き出しながら、低く笑った。


「お前はその後だ。俺を待たせるなんて、死んでも許さねぇからな」


「俺が先だ。順番を守れ」


 ユウキがコーヒーカップを静かに置き、レンとMIUを交互にじろりと見た。


「一人で逝かせるほど、物分かりは良くない。

 俺が逝くのを見届けてからにしろ。レン、お前もだぞ」


「えー、二人ともずるいな~!」


 カイがMIUの隣へぴたりとくっつき、その手をぎゅっと握る。


「俺は四人一緒が理想だけど……。

 MIUちゃん、今日もかわいいね。最期の日も、俺にヘアメイクさせてね」


 突き放すみたいなレンの言葉。

 独占欲の強いユウキの論理。

 そして、無邪気なカイの献身。


 三者三様の「拒絶」が、MIUの「死にたい」を、優しく、

 そして強引にこの部屋へ繋ぎ止める。


 ピンクの光の中で、並んだぬいぐるみたちが彼女を見守っている。


(……ああ。やっぱり、勝てないや)


 MIUは小さく吹き出した。


 死にたい気持ちは消えない。

 傷跡も、過去の汚泥も、きっと一生背負っていく。


 けれど、この「順番待ち」の約束がある限り。


 死ねなかった夜の積み重なりが、ただ明日へ変わっていくだけ。

 そうやって、この地獄みたいで、けれど愛おしい街で生きていける。


「……わかった。じゃあ、順番待ち、してあげる」


 MIUがコーヒーを一口飲む。

 苦味のあとに、確かな熱が体温へ混ざった。


 窓の外では歌舞伎町が動き始めていて、

 止まったミラーボールが朝の光をばらばらに砕いている。


 壊れた壁も。


 消えないネオンも。


 趣味の悪いぬいぐるみも。


 四人のメカニズムコーピングは、今日もこの狭い部屋で、正しく、歪に機能し続けていた。


 溶け合う四人の日常は、これからもずっと、続いていく。