歌舞伎町青宵ポリ

 深夜のシェアハウス。


 ユウキはBARの夜勤に出かけ、カイは疲れ果てて奥の部屋で泥のように眠っている。


 リビングのソファに深く沈み、MIUは冷めきったココアのカップを両手で包んでいた。

 退院してからもずっと、彼女の頭の中には「死」という文字が、薄く、けれど決して消えない残像みたいに焼き付いている。


 その思考を断ち切るように、隣に座るレンが重い口を開いた。


「……MIU。嫌な記憶だろうが、聞いてほしい話がある。前の俺の部屋のことだ」


 MIUはビクッと肩を揺らし、レンを見つめた。


 レンの瞳は、歌舞伎町の夜の闇をそのまま映したみたいに濁っていて、けれどそこには、自分の内臓を引き摺り出すような覚悟が宿っていた。


「俺の仕事は、お前が病院で必死に抜いてきた『毒』を、この街にばら撒くことだ」


 レンは低く言う。


「俺はプッシャーだよ。お前をあんな目に合わせた奴らと同じ、救いようのねぇクズだ」


 レンはわざと吐き捨てるように言い、MIUの反応を待つみたいに視線を逸らさなかった。


 MIUの息が止まる。


「幻滅したか? それが正解だよ」


 レンは乾いた笑いを漏らした。


「俺はもう、お前に嘘をつくの、やめた。お前を救いたいなんて言いながら、

 裏ではお前を壊せるもんを売ってる。……今回の事件は、完全に俺のせいだ」


 レンの喉が、苦しそうに上下する。


「ごめん、MIU」


 普段なら「悪かったな」とぶっきらぼうに流すはずの男の、あまりに剥き出しな謝罪。


 MIUは煙草の煙に目を細めながら、レンの横顔をじっと見つめた。


「……でも、レンくんは助けてくれた」


 掠れた声で、MIUが言う。


「暗いところにいた私を、見つけてくれた。……あの時の人たちとは、全然違うよ」


「違わねぇよ。俺だって、お前をどうにでもできた」


 そこでレンの言葉が止まった。


 沈黙の中で、カチ、カチ……と、冷めたココアのカップが微かに震える音だけが響く。


 レンは吸い殻を灰皿に押し付け、逃げるみたいに視線を落とした。


「……お前と、ずっと一緒にいたかったからだ。それ以外の理由はねぇよ」


 心臓の鼓動が耳元まで跳ね上がった。


 レンは今まで、ユウキやカイに対しては

「あいつを愛そうぜ」なんて格好つけたことを言っていた。


 けれど、当の本人であるMIUには、一度もそんな言葉を向けたことはなかった。


 MIUが息を呑んで顔を上げると、レンの耳たぶまで、夜の薄暗がりの中でも分かるほど赤く染まっている。


 目が合った。

 そこには強気なプッシャーの顔はなく、ただ一人の、恋に無様な男の瞳があった。


「……あ。……いや、だからさ」


 レンは片手で乱暴に顔を覆い、バツが悪そうに声を絞り出した。


「だから何が言いたいかっていうと……俺は、自分の真っ黒なところも、

 こういうダセぇとこも、今全部見せた。だからお前も、もう隠すな」


 レンがMIUの細い肩を、壊れ物を扱うような手つきで引き寄せる。


「死にたい時は、死にたいって言え。

 ……いいか、『死ななきゃ』って思い込む前に、『死にてぇ』って俺に吐き出せ」


「でも……そんなこと言ったら、みんな困っちゃうよ」


 MIUの瞳から、堪えていた涙が溢れ出した。


「せっかく助けて、一緒にいてくれてるのに……」


 その言葉こそが、彼女を追い詰めていた「優しさという名の檻」だった。


 レンは鼻で笑い、彼女の頭を乱暴に、けれど温かく撫でた。


「困らせろよ。俺らはお前のために……違うな」


 レンは少しだけ目を伏せる。


「お前といたくて、わざわざこんな生活を選んだんだ。今さら綺麗事なんて求めてねぇよ」


 そして再び、MIUの目を真っ直ぐ見据えた。

 深い、深い決意を宿した瞳で。


「もしお前が、どうしても死にたくなったら

 ──その時は、『俺が先に死ぬから待て』って言ってやる」


「え……?」


「俺みたいな仕事してりゃ、いつ警察にパクられるか、裏で刺されるか分かんねぇ」


 レンは自嘲気味に笑った。


「お前より先に死ぬ自信ならある。だから、俺が死ぬまでは、お前は順番待ちだ」


 レンの手が、MIUの頬を伝う涙を親指で拭った。


「……俺が先に逝くその日まで、俺を待たなきゃいけないっていう、どうでもいい理由でいい。

 死ぬのは踏みとどまれ」


 MIUは、レンのジャージの袖を強く握りしめた。


「『死にたい』と思うなとは言わない。そんなの、お前の自由だ」


 レンの声は、どこまでも静かだった。


「でも、俺に黙って勝手に行こうとすんな。

 隠さないで、俺にその汚ねぇ気持ちを全部ぶつけろ。……いいな?」


 MIUは震える唇で、小さく息を吐く。


「……待ってれば、いいの?」


「ああ」


 レンは迷いなく答えた。


「俺が先に逝く。それまでは、俺の隣で順番待ちしてろ」


 レンの言葉は、決して彼女を光り輝く未来へ連れ出すものではなかった。


 けれど、共に地獄の底で「死の順番」を待つというその約束は、今のMIUにとって、どんな希望の言葉よりも深く、強く、彼女をこの世界に繋ぎ止める楔となった。