歌舞伎町青宵ポリ

 MIUがようやく眠りについた頃。

 レンはベッドの横へ座り、金髪を掻き上げながらスマホを手に取った。


 あの絶叫みたいな暴走。

 近所の人間が警察を呼ばなかったのが救いだった。


「……どうしたらいいんだよ……MIUの、あれ……」


 検索窓へ言葉を打ち込む。


 絶叫の中へ滲んでいた断片。


 殴らないで。

 助けて。

 先生。

 やめて。

 お母さん。

 私は汚い。

 私が悪い。

 ごめんなさい。

 死にたい。


 断片的ではある。

 けれど、それだけで十分すぎるほど辛い記憶を想像させた。


 出てくる症状や状態を、レンは無意識みたいに追いかけていく。


『パニック発作』

『トラウマ』

『セックス依存症』


 関連項目へ並ぶ言葉が、目へ焼きついた。


 パートナーが『ただ抱きしめて温める』『発作時に現実へ戻す声かけ』を行うことで、依存の連鎖を断ちやすくなる。

 大切なのは、快楽だけじゃない。

『存在そのものを肯定する愛』

 ブルーライトが、レンの瞳を冷たく照らしていた。


「……ああ、クソ」


 喉の奥へ、苦い灰を飲み込んだみたいな感覚が広がる。

 既視感だった。


 MIUの震える肩。

 焦点の合わない瞳。


 それは、レンがとっくに捨てたつもりでいた、遠い記憶の底と重なっていた。


 狭くて薄暗いアパート。

 足の踏み場もないくらい散らかったゴミ。


 その中心で、父親が死んでいた。


 顔色はどす黒く、腕には、自分の息子でさえ一目で「それ」とわかる無数の注射痕。


「……父さん」


 呼んでも返事はない。

 薬品の嫌な匂いと、腐りかけた生活臭だけが鼻についた。


 父親は、あっち側の人間だった。

 文字通り薬へ溺れ、薬に食い殺された。


 葬儀とも呼べない集まりへ来ていた大人たちも、誰一人泣かなかった。


「レン、お前、行く宛てねぇんだろ」


 父親の弟分を名乗る男が、レンの細い肩へ手を置く。

 その手からも、父親と同じ薬品の匂いがした。


「親父さんのツケは、お前が体で払うか……こっちを手伝って稼ぐかだ。学校なんて行っても、どうせまともな人生は歩めねぇよ。俺たちが『居場所』を作ってやる」


 差し出されたのは、救いの手じゃなかった。


 その手を取ることは、父親を殺した呪いを受け継ぐことと同じだった。

 けれど、幼いレンには、それを拒んで生きていける世界なんて、どこにも用意されていなかった。


「……居場所、ね。笑わせんな」


 レンは自嘲気味に呟き、スマホをベッドへ放り出した。


 結局、自分はあの日の延長を、今も場所を変えて歩いているだけだ。

 薬で壊れた父親と何も変わらない。

 その薬で飯を食い、ギャンブルで金を溶かす。


 レンにとって、この街の空気は汚泥と同じだった。

 自分自身も含めて。


 だからこそ、MIUが眩しかった。

 彼女は、この汚泥の中へいながら、まだ「外側」の匂いをさせていた。


「お母さん」や「先生」に許しを乞い、誰かへ助けを求め、何かに傷つきながら、必死で人間らしく壊れようとしている。


 レンは、眠るMIUの頬へ節くれだった指先をそっと触れさせた。

 自分みたいな人間が、誰かの『居場所』になれるわけがない。


 ──それでも。


 せめて自分は、彼女が「外側」の人間として、ただの女の子として泣き喚ける場所だけは守りたかった。


「……MIU。……俺がなんとかする」


 それは、あの日誰にも助けを求められなかった自分自身への、遅すぎる誓いみたいでもあった。


 レンは、寝息を立てるMIUの黒髪を優しく撫でる。

 ネオンの光が静かに差し込み、二人の影をぼんやり包んでいた。


 今日のパチスロの負けなんて、もうどうでもよくなっていた。

 いや、忘れたわけじゃない。

 どうでもいい場所へ押し込まれているだけだ。


 指先へ残る感触をなぞるたび、頭の中のノイズが少しずつ消えていく。

 似てるわけねぇだろ、と思った。

 人間と台を一緒にするとか、頭がおかしい。

 でも、脳内へ焼きついている感覚は、あれと同じだった。


 たかが三時間。


 ハマりで天井へ到達したようなものだ。

 当たるかどうかもわからないのに、全部預けたくなる感覚だけが残っていた。


 ──ああ、これでいい。


「お前の壊れるところも、欲しがるところも……全部、離す気ねぇから」


 考えなくて済むなら、何を失ってもいい気がした。