歌舞伎町青宵ポリ

 レンが病院から戻った頃には、もう朝方に近かった。


 歌舞伎町のネオンは消えかけ、レースカーテン越しの部屋は、

 青白く死んだみたいに静まり返っている。


 レンはソファに座ったまま、一度も煙草に火をつけなかった。


 カイもユウキも、何を聞けばいいのかわからなかった。


 三日前。


 レンから「MIUが見つかった」とだけ連絡が来た。


 二人が病院へ駆けつけた時には、レンはもういなかった。


 入院になること。

 状態が悪いこと。

 しばらく会えないこと。


 聞けたのは、それだけだった。


 それから三日。


 レンは何も話さなかった。


 今日、病院で刑事と医師から聞かされた内容は、あまりにも酷かった。


 二人組による監禁。

 薬物。

 暴行。


 カイは、冷えた指先を強く握り込んだ。


「……警察、来てたぞ」


 重たい沈黙のあと、ユウキが低く言った。


「病院で聞いた。なにがあったか」


 レンは俯いたまま答えなかった。


 その代わり、掠れた声で呟く。


「……MIU、どうだった」


「……ちゃんと受け答えはしてた」


 ユウキの返答に、レンは目を閉じた。


「そうか……」


 安堵なのか、絶望なのか分からない息が漏れる。

 それからレンは、灰皿の縁を指でなぞりながら、ぽつりと言った。


「……俺、もうここ出るわ」


 カイが顔を上げる。


「……は?」


「警察来たんだろ。もう無理だ」


 レンは笑わなかった。いつもの軽薄さも、威圧感もなかった。


「……俺がダメになっても、MIUを一人にしねぇ形にしたかった」


 静かな声だった。

 けれどその言葉だけで、カイの喉が詰まった。


「……俺、いなくなるわ」


 レンの声には、もう、いつもの決定的な響きがなかった。


「三日あった」


 煙草を持つ手が震えている。

 レンは、ふらふらと立ち上がった。


「逃げる時間も、

 お前らに話す時間も」


 沈黙。


「……でも、どっちもできなかった」


 レンの肩が、小さく震えた。


「……あいつ、絶対そう思ってる」


 レンは掠れた声で言って、数歩前に出る。


「『私のせいだったんでしょ』って」


 ガァン!!!!


 突然、壁が揺れた。


「レンくん!?」


 ベッド脇の壁に、レンの拳が深くめり込んでいる。

 白いクロスが裂け、粉が床へぱらぱら落ちた。


 誰も、レンに触れられなかった。


 レンの拳から、ぽたぽたと血が落ちている。


 カイが何か言いかけて、結局、唇を閉じた。

 ユウキも、救急箱を出したが、持ったまま動けなかった。


 部屋には、換気扇の音だけが響いていた。


「……レンくん」


 カイの声にも振り返らず、レンはワードローブをじっと見つめる。

 乱暴に引き出しを開け、中から黒いジャージ、数枚のTシャツ、寝間着代わりのスウェットを引っ張り出した。


 それから煙草とライター。

 床に転がっていたスポーツバッグへ、それらを無造作に突っ込んでいく。


 ──それだけだった。


 レンは、一瞬だけ動きを止めた。


 視界の端では、ピンクのビーズクッションが潰れたまま転がっている。


 棚には、MIUがゲームセンターで取った安っぽいぬいぐるみ。

 カイが選んだワンピース。

 ユウキが買ったグラス。


 ごちゃついて見えていたこの部屋は、全部、MIUが笑うためのものだった。


 自分の物なんて、驚くほど少ない。


「……は」


 乾いた笑いが漏れる。


 レンはバッグを握ったまま、ゆっくりとうつむいた。


「なんも、ねぇな……俺」


 その声は、怒鳴り声よりずっと壊れていた。


 救急箱を持ったまま、ユウキが低く言った。


「……お前がいなくなったら」


 レンの背中が止まる。


「それこそ、MIUは死ぬしかなくなるだろ」


 静かな声だった。


 責めるでもなく、

 引き留めるでもなく。


 ただ、事実を確認するみたいに。


「お、俺……」


 カイの声が震える。


「レンくん失ったMIUちゃん、止められる自信ないよ……」


 ぽろ、と涙が落ちた。


「だって、MIUちゃん……レンくんいないと、ほんとに死にそうじゃん……」


 レンは何も言わなかった。

 血のついた拳で、スポーツバッグを雑に握りしめたまま、その場に立ち尽くしていた。


 換気扇の音だけが、やけに大きく響いている。


 結局、レンはその日、部屋を出ていけなかった。


 レンの灰皿は、いつにも増して山盛りだった。

 吸い殻が崩れ、灰がテーブルへ散っている。


 ユウキが丸テーブルに救急箱を置く。

 けれどレンは、一度もそちらを見なかった。


 拳から滲んだ血だけが、乾いて黒くこびりついている。


 カイはキッチンに背を預け、体育座りをしていた。

 いつもなら絶対に居座らない場所。


 ──この部屋で、ベッドから一番遠い場所だった。


 ユウキがバルコニーに出る。


 別に、何をしようでもなかった。


 遠くから救急車の音がする。


 誰も、それを聞かなかったことにした。