「……やだ。行きたくない」
キングサイズのベッドの海へ深く沈み込み、MIUが毛布を被って抵抗する。
今日は二週間に一度の通院日。
精神科の、あの独特の消毒液の匂いと白い壁は、いつだって彼女の心を重くした。
「おい、駄々こねんな。ほら、起きろ」
「レンくん、無理やりはダメだよ。
……MIUちゃん、これ、俺のスウェット貸してあげるから。これ着て頑張って行こう?」
レンが足首を掴んで毛布から引きずり出そうとし、
カイが柔らかいグレーのスウェットを広げてなだめる。
ユウキは無言で、通院ポーチへ診察券とお薬手帳、それにMIUが落ち着くためのタブレット菓子を詰め込んでいた。
歌舞伎町の夜を彩る黒レースのミニドレスは、白昼の待合室には少し毒が強すぎる。
カイの大きめのスウェットに包まれたMIUは、まるで保護されたばかりの小動物みたいだった。
「……じゃあ、行ってくる」
レンが半分寝ぼけているMIUの肩を抱き寄せ、部屋を出る。
不器用ながらも「俺が連れていく」と名乗り出たレンの背中は、どこか誇らしげだった。
◇
残されたのは、山みたいな洗濯物と、カイとユウキ。
「さて……俺らも仕事すっか」
二人はあの巨大な青いビニールバッグへ四人分の洗濯物を詰め込み、一階に併設されたコインランドリーへ向かった。
昼下がりのコインランドリーには、誰のものでもない無機質な時間が流れている。
洗濯機が回り始めると、重い水音と柔軟剤の甘い香りが狭い室内へ満ちた。
二人は並んでプラスチックの椅子へ腰かけ、回転する洗濯槽をぼんやり眺める。
「……MIUちゃんの服、全然ないよな」
カイがぽつりと呟いた。
「ああ。あのドレス以外、まともな私服を持ってなかったからな。
今は俺たちの服を適当に着回してるが……」
「今度、みんなで買いに出かけてもいいよな。……あ、でも実はさ」
カイが少しだけ顔を赤くし、視線を泳がせた。
「俺、こないだ仕事の合間に、MIUちゃんに似合いそうなワンピース見つけて
……つい買ってきちゃったんだよね」
「ほう。どんなのだ?」
「いや、それがさ。……いざ買ってみたら、すっごい自分の趣味が出ちゃってて。
なんか渡すの恥ずかしくてさ。棚の奥に隠しちゃってるんだ」
ユウキは少しだけ口角を上げ、鼻で笑った。
「どうせすぐ見つかるぞ。洗濯物も、しまう場所も一緒なんだから。
……隠しておく方が余計に怪しまれる。今のうちに出しておけ」
「……そうだよな。どうせバレるよな」
洗濯機がガタガタと音を立て、脱水工程へ入る。
「まだ時間あるし、部屋戻って見せてみろよ。
センスが良ければ、俺からも渡すのを手伝ってやる」
「ちょ、ユウキくん! やめてよ、恥ずかしいって言ってるじゃん!」
「ほら、行くぞ」と立ち上がるユウキと、真っ赤になって拒むカイ。
洗濯が終わるまでの僅かな時間。
レンとMIUが不在の部屋で、二人の男は、これから贈る「新しい服」と、それを着て笑う彼女の姿を想像しながら、騒がしく階段を駆け上がっていった。
光を遮らないレースカーテンに囲まれた四人の生活は、少しずつ、けれど確実に、誰にも邪魔されない色へ染まり始めていた。
◇
──数時間後。
ユウキがBARの夜勤へ出掛け、部屋にはカイが一人、コインランドリーから回収したばかりの温かい洗濯物を畳んでいた。
そこへ、ガチャリと鍵の開く音がする。
「ただいまぁ、カイくん!」
玄関から聞こえてきたのは、予想に反して弾んだMIUの声だった。
通院の後はいつも、魂が抜けたみたいに泥のように眠るか、ひどく落ち込むのが常だった。
カイは驚いて手を止め、二人を出迎える。
「おかえり! ……えっ、MIUちゃん?
なんか今日、めちゃくちゃ機嫌よくない?」
「えへへ、わかる?」
MIUは何か大切な宝物を隠している子供みたいに、唇の端を吊り上げてにやついている。
隣に立つレンは「俺には何も教えてくれねぇんだわ」と、面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「なになに、なんかいいことあったの?」
「これ見て」
MIUが差し出してきたスマホの画面。
そこには、ユウキからのLINEが表示されていた。
『病院がんばったら、カイから特別なプレゼントがあるぞ。内容はカイにきいてみな』
「…………ッ!!!」
カイの顔が、一瞬で茹で上がったみたいに赤くなった。
やられた。
「あ、えっと、これは、その……!」
「おいカイ、お前、俺のいねぇ間に何準備してんだよ。見せてみろよ」
レンまでがニヤニヤしながら詰め寄ってくる。
もう逃げ場はなかった。
カイは観念したみたいにベッドの上へ正座し、横のワードローブの奥底から、大事に隠していた紙袋を取り出した。
「……あ、開けるよ?」
震える手で取り出したのは、
柔らかな肌触りの黒いオフショルタイプのニットワンピースだった。
袖口には繊細なレースがあしらわれ、ミニ丈の裾がカイの指先で揺れる。
「……かわいい!」
MIUの瞳が、ぱっと輝いた。
それは彼女が普段着ている「戦闘服」みたいな鋭いドレスとは違い、どこか柔らかくて、守りたくなるような温もりのある黒だった。
「MIUちゃん、秋冬物……あんまり持ってなさそうだったから。
俺の好みだけど、これなら絶対似合うと思って。……えっと、ごめん、勝手に買って」
「ううん、うれしい! ……ねえ、着てみてもいい?」
「ぜ、ぜひお願いします!」
突如として始まった、病院帰りの衣装合わせ。
カイとレンが見守る中、MIUはスウェットを脱ぎ捨て、新しいワンピースへ袖を通した。
オフショルから覗く白い肩。
ニットの柔らかな曲線。
「……どうかな?」
少し照れくさそうに首を傾げるMIUを見て、カイは言葉を失った。
レンは舌打ちをして、視線を逸らしながらも、満足そうに口元を緩めている。
病院の白い壁の記憶は、このワンピースによって、四人の家の色へ塗り替えられていく。
回らないミラーボールの下。
新しい服を纏ったMIUは、まるで暗闇に咲く一輪の毒花みたいに。
けれど、これまでで一番幸せそうに笑っていた。
キングサイズのベッドの海へ深く沈み込み、MIUが毛布を被って抵抗する。
今日は二週間に一度の通院日。
精神科の、あの独特の消毒液の匂いと白い壁は、いつだって彼女の心を重くした。
「おい、駄々こねんな。ほら、起きろ」
「レンくん、無理やりはダメだよ。
……MIUちゃん、これ、俺のスウェット貸してあげるから。これ着て頑張って行こう?」
レンが足首を掴んで毛布から引きずり出そうとし、
カイが柔らかいグレーのスウェットを広げてなだめる。
ユウキは無言で、通院ポーチへ診察券とお薬手帳、それにMIUが落ち着くためのタブレット菓子を詰め込んでいた。
歌舞伎町の夜を彩る黒レースのミニドレスは、白昼の待合室には少し毒が強すぎる。
カイの大きめのスウェットに包まれたMIUは、まるで保護されたばかりの小動物みたいだった。
「……じゃあ、行ってくる」
レンが半分寝ぼけているMIUの肩を抱き寄せ、部屋を出る。
不器用ながらも「俺が連れていく」と名乗り出たレンの背中は、どこか誇らしげだった。
◇
残されたのは、山みたいな洗濯物と、カイとユウキ。
「さて……俺らも仕事すっか」
二人はあの巨大な青いビニールバッグへ四人分の洗濯物を詰め込み、一階に併設されたコインランドリーへ向かった。
昼下がりのコインランドリーには、誰のものでもない無機質な時間が流れている。
洗濯機が回り始めると、重い水音と柔軟剤の甘い香りが狭い室内へ満ちた。
二人は並んでプラスチックの椅子へ腰かけ、回転する洗濯槽をぼんやり眺める。
「……MIUちゃんの服、全然ないよな」
カイがぽつりと呟いた。
「ああ。あのドレス以外、まともな私服を持ってなかったからな。
今は俺たちの服を適当に着回してるが……」
「今度、みんなで買いに出かけてもいいよな。……あ、でも実はさ」
カイが少しだけ顔を赤くし、視線を泳がせた。
「俺、こないだ仕事の合間に、MIUちゃんに似合いそうなワンピース見つけて
……つい買ってきちゃったんだよね」
「ほう。どんなのだ?」
「いや、それがさ。……いざ買ってみたら、すっごい自分の趣味が出ちゃってて。
なんか渡すの恥ずかしくてさ。棚の奥に隠しちゃってるんだ」
ユウキは少しだけ口角を上げ、鼻で笑った。
「どうせすぐ見つかるぞ。洗濯物も、しまう場所も一緒なんだから。
……隠しておく方が余計に怪しまれる。今のうちに出しておけ」
「……そうだよな。どうせバレるよな」
洗濯機がガタガタと音を立て、脱水工程へ入る。
「まだ時間あるし、部屋戻って見せてみろよ。
センスが良ければ、俺からも渡すのを手伝ってやる」
「ちょ、ユウキくん! やめてよ、恥ずかしいって言ってるじゃん!」
「ほら、行くぞ」と立ち上がるユウキと、真っ赤になって拒むカイ。
洗濯が終わるまでの僅かな時間。
レンとMIUが不在の部屋で、二人の男は、これから贈る「新しい服」と、それを着て笑う彼女の姿を想像しながら、騒がしく階段を駆け上がっていった。
光を遮らないレースカーテンに囲まれた四人の生活は、少しずつ、けれど確実に、誰にも邪魔されない色へ染まり始めていた。
◇
──数時間後。
ユウキがBARの夜勤へ出掛け、部屋にはカイが一人、コインランドリーから回収したばかりの温かい洗濯物を畳んでいた。
そこへ、ガチャリと鍵の開く音がする。
「ただいまぁ、カイくん!」
玄関から聞こえてきたのは、予想に反して弾んだMIUの声だった。
通院の後はいつも、魂が抜けたみたいに泥のように眠るか、ひどく落ち込むのが常だった。
カイは驚いて手を止め、二人を出迎える。
「おかえり! ……えっ、MIUちゃん?
なんか今日、めちゃくちゃ機嫌よくない?」
「えへへ、わかる?」
MIUは何か大切な宝物を隠している子供みたいに、唇の端を吊り上げてにやついている。
隣に立つレンは「俺には何も教えてくれねぇんだわ」と、面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「なになに、なんかいいことあったの?」
「これ見て」
MIUが差し出してきたスマホの画面。
そこには、ユウキからのLINEが表示されていた。
『病院がんばったら、カイから特別なプレゼントがあるぞ。内容はカイにきいてみな』
「…………ッ!!!」
カイの顔が、一瞬で茹で上がったみたいに赤くなった。
やられた。
「あ、えっと、これは、その……!」
「おいカイ、お前、俺のいねぇ間に何準備してんだよ。見せてみろよ」
レンまでがニヤニヤしながら詰め寄ってくる。
もう逃げ場はなかった。
カイは観念したみたいにベッドの上へ正座し、横のワードローブの奥底から、大事に隠していた紙袋を取り出した。
「……あ、開けるよ?」
震える手で取り出したのは、
柔らかな肌触りの黒いオフショルタイプのニットワンピースだった。
袖口には繊細なレースがあしらわれ、ミニ丈の裾がカイの指先で揺れる。
「……かわいい!」
MIUの瞳が、ぱっと輝いた。
それは彼女が普段着ている「戦闘服」みたいな鋭いドレスとは違い、どこか柔らかくて、守りたくなるような温もりのある黒だった。
「MIUちゃん、秋冬物……あんまり持ってなさそうだったから。
俺の好みだけど、これなら絶対似合うと思って。……えっと、ごめん、勝手に買って」
「ううん、うれしい! ……ねえ、着てみてもいい?」
「ぜ、ぜひお願いします!」
突如として始まった、病院帰りの衣装合わせ。
カイとレンが見守る中、MIUはスウェットを脱ぎ捨て、新しいワンピースへ袖を通した。
オフショルから覗く白い肩。
ニットの柔らかな曲線。
「……どうかな?」
少し照れくさそうに首を傾げるMIUを見て、カイは言葉を失った。
レンは舌打ちをして、視線を逸らしながらも、満足そうに口元を緩めている。
病院の白い壁の記憶は、このワンピースによって、四人の家の色へ塗り替えられていく。
回らないミラーボールの下。
新しい服を纏ったMIUは、まるで暗闇に咲く一輪の毒花みたいに。
けれど、これまでで一番幸せそうに笑っていた。

