歌舞伎町青宵ポリ

薄暗いシェアハウスのソファ。


 昨日のMIUのOD事件は、一晩なんとか俺らで温めて、次の日の朝、病院へ連れて行った。

 今日もレンが付き添った。


 そのレンは今、ソファの前に仁王立ちしている。


 背もたれに置かれた「それ」は、まだレンの掌の熱を宿したまま、ぷるんと柔らかく揺れていた。


 シリコン特有の、ほんのり人工的な甘い匂いが、部屋の空気にじわじわと溶けていく。

 だがその表面は、まるで本物の肌みたいに、触れると体温を返してきた。


 最初に手を伸ばしたのはユウキだった。


 震える指先が、そっと下から持ち上げるように触れる。


「……っ、あったかい」


 吐息が漏れた。


 柔肉が指の腹に沈み込んで、ゆっくり元の形に戻ろうとする感触。

 まるでMIUの胸を遠くから思い出させるような、甘く切ない弾力。


「けっこう……いいぞ、これ」


 ユウキの声が低く掠れ、レンの耳に届く。

 レンはニヤリと笑って、ユウキの隣に腰を下ろした。


「だろ? 俺も帰りに店でこれ見つけた瞬間、MIUの代わりにはならねぇけど……って思っちまったぜ」


 カイはソファの反対側で、膝を抱えて固まっていた。

 レンはユウキ越しにカイを覗き込む。


「カイ」

「……うん」

「怒鳴っちまって悪かったな」

「ううん。だって……俺が……」


 ユウキは柔らかいそれを触ったまま、静かに言った。


「カイ。それは違う」


 声だけが、部屋へ静かに響く。


「俺たち三人だから、なんとかできるんだ」

「そういうこと。これからは俺でもユウキでも、すぐ電話しろ。絶対なんとかするから」


 カイは言葉を返せなかったが、強く頷いた。


「……そういうことだ」


 レンは、シリコンを指先で軽く弾いた。


「ほら今はこっちだ。『今夜だけでも埋め合わせしてやろう』って思っちまった」

「これは、かなりいい。これがなかったら俺は今夜、枕濡らしてたかもな」


 カイは少し嬉しそうに、それでいて呆れたみたいに笑った。


「MIUちゃんが一日だけ検査入院だからって……限界突破するの早すぎでしょ」


 ユウキはシリコンの先端をつまみ、強く引っ張った。

 それを見て、レンとカイは吹き出す。


「やめて、ユウキくん」

「そんな乱暴すんじゃねぇよ!」


 カイの顔にも、ようやく笑顔が戻った。

 レンはカイの隣へ座り直し、肩に腕を回す。


「ほら、カイも味わえよ」

「えぇー……」


 そう言いながらも、その視線はもう質感に釘付けだった。


「……あったけぇ、やわらけぇって……マジかよ」


 呟きながら、ゆっくり手を伸ばす。

 指が沈む瞬間、カイの喉から「あっ……」と小さな声が漏れた。

 カイはシリコンを両手で抱き込む。

 その柔らかさがMIUを思い出させ、指が勝手に沈む。


 だが、昨日見たMIUの震える指先、青白い唇、掠れた「カイくん……」という声が、どうしても頭から離れなかった。


「おいおい、気持ちよすぎてイッちまったのか?」


 レンはからかうように、カイの耳へ熱い息を吹きかける。

 カイの体がびくりと跳ね、声が裏返った。


「待って待って! そんなすぐ気持ち切り替えできないよ!

 MIUちゃんの……あのパニックみたいなの、昨日初めてちゃんと見て……俺、怖かった」


 ユウキが眼鏡の奥から静かに見つめる。


「逃げなかったな。それだけで十分だ」

「それな。俺らだって怖ぇーよ」


 カイの目に、また涙が滲んだ。

 指がシリコンを強く握りしめ、その形が歪む。


「俺……昨日みたいなことにまたなったら、どうしたらいいか……焦っちゃうよ」


 レンは落ち込み気味のカイを見ると、すかさず腰を掴んだ。

 自分の身体を、背後からグリグリと押しつけるように擦りつける。


「ほら、カイ。安心しろ。MIUがいない分、俺たちが熱くしてやるからさ」

「ギャーッ! 俺には無理っす! ケツの開発ゼロです!」


 カイは悲鳴混じりに逃げようとするが、レンの腕はがっちり腰を固定していて、逃げ切れない。

 レンはわざとカイの体に手を這わせる。


「こっちは全然柔らかくねぇな……男の脚じゃ、MIUの代わりには程遠い」


 そこで、ユウキが静かに呟いた。


「……こういうことも、あるのか」


 どこからか取り出した小さな黒いバイブと、透明なローションのボトル。

 バイブはまだパッケージに包まれている。


 ローションのキャップを外すと、ねっとりした甘い匂いが一気に広がった。


「おまえ! いつの間にそんなもん持ってんだよ!」


 レンとカイが同時に吹き出す。

 ユウキは無表情のまま、けれど瞳の奥だけを熱く燃やしていた。


「誰か……開発しておくのは、ありかもしれないな」


 カイの笑い声が急に上ずる。


「待って待って待って! 俺は無理! 絶対に!!」


 だがレンはカイの腰を離さず、逆にユウキの方へ押しやった。


「ユウキ、お前が見本見せろ。その結果が良ければ採用してやる」


 ユウキは一瞬だけ目を細め、それから小さく肩をすくめた。


「……なんちゃってな」


 その言葉に、レンとカイが同時に吹き出した。


「お前、顔がマジなんだよ!」

「怖い怖い怖い!」


 三人の笑い声が、薄暗い部屋へ響く。


 けれど。


 キングサイズのベッドの奥には、MIUのいない空白だけが、静かに残っていた。


 四人で暮らし始めて、まだほんの数日。


 それなのにもう、あの黒髪の体温がない夜を、長く感じ始めている自分たちがいた。