歌舞伎町青宵ポリ

 ユウキの職場のBARはシャッターが半分下ろされ、看板の灯りもついていなかった。


 カウンターの椅子へ座らされたカイは、ユウキから渡された氷嚢を頬へ当て、「痛たた……」と顔を歪めている。


 店内には、酒と消毒液の匂いが混じっていた。


「……すみません。あの人たち、俺の職場の先輩で。美容師っす」


 カイは腫れ上がった口角で、それでも無理に笑ってみせた。


「もう辞めますけど。あんなダサい奴らの下で働くの、もう御免なんで」


 レンはカウンターへ寄りかかり、値踏みするみたいにカイを見る。


「お前、弱すぎんだろ。あんな数人にボコられてさ」


「へへ、そうっすね。俺、強くないんで」


 カイはそこで一度言葉を切り、真っ直ぐ三人を見た。


 心配そうに自分を見つめるMIU。

 彼女を挟んで守るように立つ、レンとユウキ。

 その歪で、けれど完成された関係。


「……あの、さっきの二人、めっちゃ熱かったっす。あんなふうに守れたら……かっこよかったんすけど。すみません」


 カイは氷嚢を置き、MIUへ向かって深く頭を下げた。


「ほんとに、迷惑かけちゃってすみませんでした」


 MIUは慌てて両手を振る。


「なんともなかったし、大丈夫だよ。それに、君が悪いわけじゃないし……」


「えっと、俺……前に皆さんのこと、見たことあって。二人で彼女に、その、キスしてるとこ」


 カイの声が、少し震える。


「三人で恋人なんすよね……? たぶん」


 それから、勢いよく頭を下げた。


「……あの、俺も、彼女に惚れました。すみません!

 何番目の男でもいいんで、仲間に入れてくれませんか!」


 レンが一歩踏み出し、カイの襟首を掴み上げた。

 雨の残り香と、タバコの匂いが鼻を掠める。


「あぁ? それわかってて仲間に入れろってのは

 ……ふざけんな。お前みたいなガキが、MIUに触れる資格あんのかよ」


 レンの瞳には、容赦のない加害性が宿っていた。

 ユウキもメガネの奥の瞳を細め、獲物を解剖するみたいな冷たさで続ける。


「……MIUには、俺たちがいる。お前みたいな軽い奴が入る余地なんて、どこにもない」


 さらに襟首を高く引かれ、カイの顔が青ざめる。

 心臓は壊れそうなくらい脈打っていた。


 けれど。

 至近距離で浴びせられる二人の殺気は、この街の誰がくれる愛想笑いよりも“本物”に見えた。


 ──ああ。かっこいい……。


 自分をゴミみたいに扱う二人。

 その中心にいる、壊れそうなほど美しいMIU。


 あの日、クラブの影でスマホを構えることさえ忘れて見惚れた“地獄の完成形”が、今、目の前で剥き出しになっている。


 カイは震える手で、襟首を掴んだままのレンの手を握り返した。


「……軽く、ないっす。俺、あの日からずっと……探してたんです。ずっと……!」


 レンの手に力がこもる。

 喉が鳴り、呼吸が苦しい。

 それでもカイの瞳は、熱を帯びて二人を仰ぎ見ていた。


「やっと見つけて……お姉さん、一人で雨の中にいたから……

 俺も……同じだったから。放っておけなくて……!」


 レンが鼻で笑う。


「だから何だよ。似てるからって、勝手に踏み込んでいいわけじゃねぇだろ。消えろ」


 そのとき。


 MIUの指が、レンの手をぎゅっと握った。

 小さくて、でも確かな力だった。


「……やめて。……この人を、怖がらせないであげて」


 レンの手が、ぴたりと止まる。

 ユウキの眉が、わずかに動いた。

 MIUの瞳が、ネオンの名残に濡れて光っている。


「……この人、レンくんたちのこと……かっこいいって言ってたよ」


「だ、だからなんだよ」


「私の大好きな人たちだって言ったら、私より嬉しそうに笑ってくれたんだよ」


 MIUはカイを庇うように、その傷だらけの身体へ寄り添った。


 ボコボコにされて、泥水に塗れて。

 それでも必死に自分を逃がそうと手を伸ばしてくれた青年。

 その中に、MIUは自分たちと同じ“欠けた温もり”を見つけていた。


「……ずっと、守ろうとしてくれてた。ボロボロになっても

 ……手を、ずっと伸ばしてくれた」


 緊張がほどける。

 カイの目から、涙がぽたりと落ちた。

 自分を拒絶せず、その存在をレンたちの前で肯定してくれた。

 それだけで、これまでの孤独が少しだけ報われた気がした。


「この子は、すっごい、いい子なの……嬉しかったの。だから、いじめないで」


「……MIUがそう言うなら、仕方ねぇな」


 レンはようやく手を離す。


「……でも、いきなり仲間に入れろは納得できねぇ」


 ユウキは黙っていた。


「わ……」


 MIUは、少し目をそらす。


「私は、いいかなって、思った……けど」


 申し訳なさそうにうつむいたMIUの鼻の頭が赤くなり、瞳が潤み始める。

 レンが目を見開いた。

 その様子を、ユウキは静かに見ていた。


 レンの奥歯が、ぎり、と鳴る。


「……おい、ガキ。お前、本気なら証明しろ」


 ユウキが静かに言葉を重ねる。


「……俺たちは今、シェアハウスを探している。MIUの通院も始まるから、誰かが必ず付き添うことにした。夜も、彼女を一人にはさせない。……お前に、その覚悟があるか?」


 レンがにやりと笑って続ける。


「あと、歌舞伎町の家賃は高ぇんだよ。三等分でもキツい。

 お前、それくらいの覚悟……あるか?」


 カイの目が、ぱっと輝いた。


「……え!? シェアハウス……!?

 一緒に住めるんですか!?

 俺も、一緒に……!?」


 興奮で声が上ずる。

 カイはMIUの手を、両手で包み込んだ。

 まるで宝物を扱うみたいに。


「俺も守りたいです! あなたのこと!」


 MIUの唇が、わずかに微笑む。

 レンとユウキは視線を交わし、小さく頷いた。

 レンがカイの肩を、どん、と軽く叩く。


「……ま、ちょうどいい。試してみるか。

 でもよ、MIUを泣かせたらタダじゃおかねぇからな」


 カイは涙目のまま、満面の笑みを浮かべた。

 自分を殺し続けて笑う毎日より。

 この三人の輪の中にいるほうが、ずっと“人間”になれる気がした。


「……はい! 絶対、泣かせません……」


 そこで、カイははっとしたようにMIUを見た。


「MIU……ていうんだ。よ、よろしくお願いします!」


 レンはタバコをくわえ直し、小さく笑う。


「……名前も知らねぇで仲間に入れろとか言ってたのかよ」

「……俺はユウキ。こっちはレンだ。お前は?」


 カイの顔が、一瞬で真っ赤になった。


「あ、えっと……俺、カイです! カイって言います! よろしくお願いします!!」