僕が恋をしたのは――ひなたの恋と、春の影

 ある休日。
 この日はバイトもなく、久しぶりにゆっくりできる日だった。

 それなのに朝から落ち着かない。用もないのに、気づけばスマホを手に取っていた。
 画面に春哉さんの名前があるだけで、胸がざわめく。

 バイトのことで一度だけ連絡をもらったきりで、やり取りをするような仲でもない。

 馬鹿だな……。
 連絡が来るはずないのに、どこかで期待している自分がいた。

 春哉さんのことを思うだけで鼓動が早くなる。
 最近はこんなことばかりだった。

 本当に、これはまずい。

 どうしてこんなに気になるんだろう。
 もう答えはわかっている気もするけど。

 でも、まだ認めきれていない。初めての気持ちにどう向き合えばいいのかわからなかった。

 それに、相手が相手だし。

 結論の出ないまま時間だけが過ぎていく。そんなとき、ふと宏明の顔が浮かんだ。

 宏明に相談してみよう。
 彼なら、なにかヒントをくれるかもしれない。昔から困ったことや悩みがあると、いつも話を聞いてもらっていた。
 けっこう的確な答えをくれるし、真剣に向き合ってくれる。

 よし、会いに行こう。

 そう決めると、さっさと出かける準備を済ませ、家を飛び出した。


 彼の家へ向かう途中、鼓動がやけにうるさかった。

 宏明はいったいなんて言うかな。驚くだろうか、それとも――。

 嫌な考えがよぎり、ぶんぶんと頭を振る。
 彼はそんなやつじゃない。きっと親身になってくれるはずだ。

 考えているうちに、いつの間にか宏明の家の前まで来ていた。

 玄関のチャイムを押すと、扉が開いて、可愛い女の子が顔を出した。

「あ! 愛翔くんだ。どうしたの?」

 宏明の妹の真子(まこ)ちゃんがにこりと笑う。
 確か、中一くらいだったかな? 明るくて元気な女の子だ。

「やあ、こんにちは。宏明いる?」

 そう聞くと、奥から声がした。

「よお、愛翔じゃんか。あがれよ」

 真子ちゃんの肩越しに宏明の姿が見えた。どうやら僕の声に気づいたらしい。
 聞いただけでわかるなんて、地獄耳なのかな。

「お兄ちゃん……愛翔くんのことになると、わかっちゃうんだよね」

 真子ちゃんが、あきれたようにぽつりとつぶやく。

「なっ、おまえ、余計なこと言うなよ!」

 妹を押しのけるように宏明が出てきた。

「おう、よく来たな。どうしたんだよ、俺の部屋で話そうぜ」

「もう、痛いなあ」
「うるせえ」

 真子ちゃんは兄をぽこぽこと殴って、ふんと顔を背けた。
 宏明はそんな彼女を見て、楽しそうに笑っている。

 いつも喧嘩ばかりしているけど、本当は仲が良いんだよね。
 そのやり取りに、僕まで少し気が抜けた。

「お邪魔します」

 僕は宏明に背中を押されるようにして、部屋へ案内された。

「待ってろよ。なんか飲みもん持ってくるから」

 そう言い残して、宏明はばたばたと駆けていった。
 すぐ向こうから話し声が聞こえてくる。どうやら真子ちゃんとまた言い合ってるみたいだ。

 兄妹喧嘩かな。
 いつも宏明は真子ちゃんを煙たがっているけど、兄妹のいない僕からしたらちょっと羨ましい。

 ふっと息をついてから部屋を見渡す。

 机にベッド、本棚には漫画本。
 少し散らかっていて、いかにも男の子の部屋って感じ。いつもと変わらない光景に思わず頬が緩む。

 そのとき、宏明が戻ってきた。

「で、どうしたんだ? なんか悩みごとか」

 宏明は僕にペットボトルを手渡すと、ベッドに腰を下ろした。

 あっけらかんと聞いてくるところが、いかにも宏明らしい。
 悩みがあることも、あっさり見抜かれてしまった。

「……うん」

 言葉を探すように視線を落とした。

 どう伝えればいいんだろう。男性を好きになったかもしれない、なんて。
 そんなこと。
 でも、こんな相談ができるのは宏明しかいないし。

 もじもじしていると、

「まあ、座れよ」

 宏明がやさしく隣をぽんぽんと叩く。
 促されるまま、僕はそこにちょこんと腰を下ろした。

 沈黙が落ちる。

「それで、なんだよ?」

 宏明が少し距離を詰めて、僕の顔を覗き込んでくる。

 ああ、緊張する。
 喉が渇いて、唾をごくりと飲み込んだ。

「えっと……変な相談かもしれないけど」

「変なって、おまえはいつも変だろ?」

「な、なんだよ!」

 けらけらと笑う宏明につられて、肩の力が少し抜けた。

「ほら、言ってみ?」

 促されて、やっとの思いで口を開く。

「最近、バイト先の店長のことが気になってて」

 一瞬、空気が変わった。部屋がしんと静まり返る。
 
 やっぱり引かれたかな。
 不安が押し寄せてきて、ぎゅっと目を閉じた。

「ふうん。どんなふうに?」

 その一言に少しだけほっとした。ちゃんと、話を聞こうとしてくれている。

「あの、なんていうか……つい目で追っちゃうんだ。話しかけられるとドキドキするし、触れられても、嫌じゃない」

 言いながら、顔が熱くなるのがわかった。
 それでも、いったん口を開くと止まらなくなって、言葉がこぼれていく。

「でも、春哉さんは男性で。そういうのってどうなのかなって。
 僕も初めてでさ、よくわからなくて」

 ちらりと宏明を見ると、その表情は曇っていた。

「……愛翔は、そいつのことが好きなのか?」

 な、なんか怒ってる?
 不機嫌そうな声に、空気まで張り詰めたような気がした。

「わ、わからない。ただ尊敬してるっていうか……人として、好きなのかも」

 少し黙り込んだあと、ぽつりとたずねた。

「ねえ、宏明。これって恋なのかな? どう思う?」

「知らねえよ!」

 びくっとする。
 部屋中に響くような、大きな声だった。

「それくらい自分で考えろよ。俺に聞くな」

 そう言い捨てて、宏明はそっぽを向いた。

 え……なんで? どうしよう。宏明を怒らせちゃったかな。

「ご、ごめん。変な話しちゃって」

 ぺこりと頭を下げると、少しして髪をやさしく撫でられた。

「俺こそ、ごめん。ちょっと……なんていうか」

 そう言いながら、宏明は俯いて頭を掻いた。
 はあと大きく息を吐くと、ベッドから立ち上がる。

「悩みはそれだけか?」

「え? う、うん」

「なら、もう帰れよ。それはおまえが考えろ」

 ぶっきらぼうに言って、宏明はそれきり口を閉ざしてしまった。



 帰宅してからも、宏明のことが頭から離れなかった。

 あんなふうに怒った姿を見るのは久しぶりだ。
 子どもの頃以来だろうか。いや、もしかしたら初めてかもしれない。

 ずっと、どこかピリピリしていた。

「なんなんだよ、もう」

 ベッドに体を投げ出す。
 仰向けになって、ぼんやりと天井を眺めた。

 それにしても、あの言葉。

 ――好きなのか。

 図星を突かれたみたいで、どきっとした。

 確かに、春哉さんを見ると胸が高鳴る。
 名前を呼ばれるだけで心が弾み、うれしくなる。あの笑顔を思い出すだけで、どうしようもなくときめいてしまう。
 これって……恋なのかな。

 でも、彼は男性だよ。そんなの変だよね?

 僕は今まで、女の子が恋愛対象だと思ってた。

 女の子と話しても、こんな気持ちになったことはない。
 なのに、春哉さんと接すると平常心ではいられない。

 うーん、悩みは尽きない。

 答えが出ないまま、夜は、ゆっくりと更けていった。