僕が恋をしたのは――ひなたの恋と、春の影

 休憩室や事務室、保管庫。
 バックヤードの隅々まで探したけど、その姿はどこにもなかった。

「どこへ行ったんだろう」

 廊下を見回してから、ふと思いついて裏口を覗く。

 ――いた。

 扉から少し離れた場所で、春哉さんが電話をしていた。壁にもたれるように立ち、真剣な表情で誰かと話している。

 声はぼそぼそしていて、ここからでははっきり聞き取れない。

 そっと近づこうと足を踏み出しかけた、そのとき、電話が終わった。

「どうしたの?」

 振り向いた春哉さんは、もういつもの柔らかい笑顔を浮かべていた。

 まるで、最初から僕が来ていることを知っていたみたいに。

「え? いや……その電話って、もしかして」

 気まずさを抱えたまま、僕はそろそろと近づいていく。

 春哉さんは困ったように笑って、軽くため息をついた。

「うーん、気づかれたか。
 まあ、もう隠してもしょうがないしな。そうだよ、仕事の電話。組織の」

 その言葉に、胸がどきりとした。

 やっぱり、そんな気がした。
 さっきの表情は、いつもの春哉さんとは少し違っていたから。

「組織の仕事って、危なくないの?」

「もしかして、心配してくれてる?」

 驚いたように見つめ返されて、僕はぐっと迫った。

「当たり前でしょう! 恋人なんだから当然だよ」

 言った瞬間、はっとして、顔が一気に熱くなる。

 ……恋人、なんだよね。今さらだけど。

 春哉さんが僕の腕をとり、そっと引き寄せた。
 近すぎる体温と匂いに、鼓動がうるさく鳴る。

「ありがとう、嬉しいよ。
 君に想われてるって思うだけで、百人力だよ。うん、がんばれそう」

 そう言って、にこりと微笑む。

 至近距離から見つめられて、心臓がちっとも落ち着かない。
 いつまで経っても慣れないままだ。

「ねえ……何か手伝えることって、ある?」

「え?」

「だって、春哉さんだけが危ない目に遭っているって思うと、居ても立ってもいられなくて。
 僕だって役に立ちたいよ」

 想いを込めて見つめると、春哉さんは一瞬目を丸くして、それからふっと目を細めた。

「……ありがとう。その気持ちだけでいい。
 もし君に何かあったら、俺は立ち直れないから。愛翔はただ待っていてほしいんだ。

 いつものように隣で笑っていてくれたら、それだけでいい」

「……春哉さん」

 自然と距離が近づく。

 あと少しで唇が触れそうになった、そのとき――

「仕事中に何やってんだ!」

 後ろから大声が響いた。

 振り向くと、宏明が険しい顔でこちらを睨んでいた。
 その後ろには、気まずそうに微笑む鞠さんの姿もあった。

「え? なんで二人が」

「なんで、じゃねえ! 油断も隙もねえんだから」

 宏明はずかずかと近づいてくると、僕の腕を掴み、ぐいっと引っ張った。
 そのまま今度は宏明の腕の中に閉じ込められる。

 視線の先には、困ったように笑う春哉さん。

「ごめんなさいねえ、邪魔して。止めようとしたんだけど……力、強くて」

 鞠さんが宏明を指さしながら肩をすくめる。

「鞠さん、わざとでしょ?」

 春哉さんが呆れたように見ると、彼女はとぼけた顔でウインクした。

「さて、なんのことかしら?」

「ちょっと、二人とも! いつまでサボってるんですか! お店、手伝ってくださいよ」

 裏口から木村さんが顔をのぞかせ、困ったように声を上げた。
 どうやら店が混んできたらしい。

 僕は春哉さんを見る。

 彼はいつもの優しい笑顔で、静かに言った。

「行こうか」