僕が恋をしたのは――ひなたの恋と、春の影

 短い沈黙のあと、鞠さんが言った。

「……春哉ね。あなたのこと、本当に好きだって言ってた」

 好き。

 たったそれだけの言葉なのに、胸がきゅっと弾んだ。

 僕の顔を見て、彼女はくすりと笑った。

「彼、ずっとつまらなそうだった。
 組織のみんなのためにって自分を犠牲にして、気持ちを押し込めて……。何をしていても楽しくなさそうで、全てをあきらめてるみたいに見えたの。
 だから、心配だった」

 思い詰めたような表情と、静かな吐息。
 鞠さんが春哉さんを本気で案じていることが伝わってきた。

 もしかして、彼女は……。

「でも――愛翔くんに出会ってから、春哉は変わったわ」

 嬉しそうに笑うその顔はやわらかく、これまでの妖艶さとは違う、素直なかわいらしさがあった。

「雰囲気が違うっていうのかな。穏やかな表情をするようになって、よく笑うようになった。
 それが私たちには嬉しかったの。
 組織のみんなも、あなたたちのことを応援してたのよ」

 優しくウインクされて、戸惑う。

 僕の知らないところで、そんな噂になっていたなんて。

「うまくいけばいいって思ってた。――なのに」

 声が少し沈んだ。

「彼は、真実を知ってしまったの」

 それって。

 僕が目を見開くと、彼女は頷いた。

「そう。愛翔くんのご両親のことよ」

 やっぱり。
 春哉さんは僕の両親について何も知らなかったんだ。

「父親が、裏で犯罪に手を染めていたことは把握していた。でも、あの事件のことは知らなかったの。
 ましてや、それが……あなたのご両親だったなんて」

 鞠さんは苦しそうに俯く。

「真実を知った彼は、ひどく傷ついた様子だった。
 それまでだって、自分が組織の人間だからって悩んでいたのに。
 自分が近くにいると、愛翔くんに迷惑をかけるかもしれないって」

 そのまま、彼女は黙り込んだ。
 何を考えているのかはわからない。ただ、その横顔はひどく寂しげに見えた。

「組織のことはいずれ話すつもりだったと思う。でも、今回のご両親のことは相当ショックだったみたい。
 あなたのそばにいることに、耐えられなかったんでしょうね。
 だから……彼はあなたの前から姿を消した」

 両親の死、組織のこと、春哉さんの葛藤。
 それらが、ゆっくりとつながっていく。

 でも、それ以上に。

「すべてを聞いた今も、あなたの気持ちは揺らいでいない?
 それでも、春哉のことが好き?」

 鞠さんはまっすぐに僕を見つめた。

 こんな大切なこと、簡単に口にできるはずがない。
 きっと相当な覚悟で話してくれたんだと思う。

 視線を交わすだけで、彼女の優しさも、春哉さんへの想いも伝わってくる。

 僕も、視線を逸らさずに見つめ返した。

「気持ちは変わっていません。春哉さんが、好きです」

 心の奥で疼く傷よりも、彼を想う気持ちのほうが強かった。

 鞠さんの表情が、ほっとしたように和らいだ。

「よかった。まあ、あなたならそう言うと思ってたけどね。二人は似てるもの」

 そう言って笑う彼女は、どこにでもいる普通の女性に見えた。
 どこか妖艶で謎めいた印象だったけれど、今はただ、人を想う優しいひとりの女性だった。

 鞠さんは、また僕の手にメモを渡した。

「たぶん、春哉はここにいる。迎えに行ってあげて」

 ほほ笑む彼女の目には、光るものがにじんでいた。

「……はい」

 僕はメモをきつく握りしめ、勢いよく部屋を飛び出した。