僕が恋をしたのは――ひなたの恋と、春の影

 とうとう、話は核心に迫ってきた。

 無意識に拳をぎゅっと握りしめていた。手のひらがじっとりと汗ばんでいるのに気づき、そっと力を緩める。

「別に、殺すつもりはなかったと思うわ。そんなことをすれば、国家のさらなる怒りや追及を招く。そこまでのリスクは負いたくなかったはずよ。
 だから、ちょっと脅しのつもりだった」

 淡々とした口調で、鞠さんは続ける。

「春哉の父親は、愛翔くんのご両親に追われている最中に、タイヤに発砲したの。
 ……ちょうどその先が崖になっていて、そのまま二人は」

 そこで言葉が途切れた。
 辛そうに顔を歪め、そっとこちらへ視線を向ける。

 僕は何も言わず、ただ見返した。

「でも、ひとつだけわかってほしいの。あれは不幸な事故だったってことを。
 まあ、そんなことを言っても、命を奪った事実は変わらないけど……。
 それから、あの人は変わったわ」

 壁にもたれたまま、彼女はわずかに表情を和らげた。

「あなたのご両親が亡くなったことを、深く思い詰めた。
 それからは仕事をすべて断って、ふさぎ込んでいたの。おかしいわよね。今までさんざん人を殺めてきたのに。
 でも……国家の諜報員を死なせてしまった。しかも、あんなに優しくて素晴らしい人たちを。
 その事実が彼を苦しめていたのね」

 ……あれ?
 今の話に、少し引っかかった。
 春哉さんの父親は、僕の両親のことを知っていたみたいだ。

 視線を向けると、鞠さんはまっすぐこちらを見つめて、静かに頷いた。

「知っていたのよ。彼らがどれだけ国家のために働き、身を粉にして人々のために尽くしていたか。
 とても愛情深く、優しいご両親だったのね。私は詳しくは知らないけど、あの人はよく知っていたみたい。
 彼だって根っからの悪人じゃない。良心はあったのよ」

 そんなことを言われても、わからない。
 良心があるなら、どうしてそんなことをしていたんだ。

「ふっ、あなたにはわからないでしょうね。
 普通の世界で生きていくのが、難しい人たちがいることを……」

 鞠さんの瞳が悲しげに揺らいだ。
 その表情に、なぜか胸がきゅっと痛む。彼女の感情が流れ込んでくるようだ。

「表では胸を張って生きていけない……そんな人たちの唯一の救いだったの。
 春哉の父親が作った、あの場所は。
 それは今でも変わらないわ。
 ただひとつ違うのは、春哉が治める今の組織は、とても真っ当なものになったってことかしら」

 彼女の表情が穏やかでやさしいものに変わる。

「あの事件をきっかけに、春哉の父親は組織を引退した。その後、春哉が跡を継いだの。
 彼自身、すごく葛藤したそうよ。組織なんて継ぎたくないって。
 でも……そうすると、困る人たちがたくさんいることを彼は知った。

 組織を存続させることで、世の中からはじかれた者が生きていける場所を守れる。
 それがウロボロスなんだって、理解したの」

 ふっと息をついた鞠さんは窓辺へ歩み寄り、外をじっと見つめた。
 何かを思い出しているのか、しばらく黙ったまま佇んでいたが、やがてぽつりと呟いた。

「……私も、その一人よ」

 その言葉には、彼女がこれまで抱えてきた重さが滲んでいるように思えた。

「まあ、私のことはいいわ。
 とにかく、今の組織は国家の味方よ。春哉が国に歩み寄って協力することで、今までのことは無罪放免にしてもらった。
 国家も組織の力は大いに役立つと判断したの。いわば、ウィンウィンの関係ってやつね。
 それ以降、ウロボロスは春哉をリーダーとして、国のために働いているの」

 鞠さんは少し誇らしげに笑った。
 組織のことを心から大切に思っていることが伝わってくる。

 でも、僕の心の中は複雑だった。

 突然知らされた真実に、まだ気持ちの整理がつかない。

「ごめんなさい。こんな話を聞かされて、納得しろっていう方が無理よね。
 でも、あなたには真実を知ってほしかったの。
 ……ここからは、最近の春哉について話すわ」

 鞠さんは窓辺を離れ、ゆっくりと僕の前まで歩み寄ると、かすかに微笑んだ。