僕が恋をしたのは――ひなたの恋と、春の影

 そして――
 その後、僕は春哉さんに会えなくなった。

 お店にも姿を見せない。
 他の従業員に聞いてみても誰も詳しいことは知らなくて、返ってくるのは『わからない』という答えばかり。
 しばらく休む、とだけ言い残して、彼は忽然(こつぜん)と消えたらしかった。

 ……なんで急に? もしかして、組織と関係しているんじゃないか。
 そんな考えが浮かんで、不安が膨らむ。

 それでも心配だった。
 どうして何も言わず、いなくなるんだよ。

 この前は喧嘩別れみたいになったから、余計にもやもやする。

 仲直りしたい。組織のことだって、ちゃんと確かめたかった。

 そんな僕の気持ちをあざ笑うみたいに、時間だけが過ぎていった。


 彼の家まで訪ねてみたけれど、留守だった。
 連絡を取ろうとしても電話は繋がらず、メッセージにも返事はない。

 これ以上何をすればいいのかわからなかった。

 まさか何か事件に巻き込まれたんじゃないか。そんな不安が頭をよぎったあと、ふと気づく。

 っていうか。僕って春哉さんのこと、何も知らないんだな。
 居場所も、頼れる人がいるのかどうかもわからない。その消息を辿る術さえない。

 そういえば、家族や友人のことも聞いたことがなかった。
 どんな生活をしていて、どんな人たちと関わって生きているのか。何ひとつ知らないままだ。

 繋いでいたのは、あのお店だけだった。

「僕って……なんだったんだろう」

 ぽっかりとできた胸の隙間に、寂しさと虚しさが滲んでいく。

 春哉さんに会いたい。

 ねえ、どうして。
 なんでいなくなっちゃったんだよ。

 立ち尽くしたまま、僕は空を仰いだ。



 心に空いた穴を埋めるみたいに、学校とバイトに明け暮れる日々。

 その日もとにかく忙しくて、何かを考える暇もないくらい店の中を動き回っていた。

 ドアが開き、ベルが鳴る。

「いらっしゃいませ」

 顔を上げると、そこにいたのは鞠さんだった。
 思わず目を見張る。彼女は、春哉さんがいるときにしか来ないはずなのに。

 鞠さんは真剣な面持ちでまっすぐこちらへ歩いてくる。

 やがて僕の前で立ち止まった。

「あ、あの……なにか?」

 黙ったまま見つめられ、視線の置き場に困る。
 何を言われるのかと身構えた、そのとき。

「春哉のこと、知りたい?」

「え……?」

 驚いて、鞠さんの顔を見つめた。

 何か知っているの?
 問い返そうとしても声が出ない。そんな僕を見て、彼女はふっと笑った。

「ついてきて」

 それだけ言うと、くるりと背を向けて店を出ていく。

「え? あ、ちょっと!
 すみません、少し出てきます」

 近くにいた店員にそう告げて、僕は慌ててその背中を追った。


 鞠さんは店を出ると、建物の脇へ歩いていく。考える間もなく、そのあとについていった。

 店の裏手は、人通りのない細い通路だった。

 やがて鞠さんが足を止め、僕も少し離れたところで立ち止まる。
 鞠さんは振り返ると、何も言わずに目を伏せた。

「愛翔くん、だっけ?」

「は、はい」

 ぎこちなく頷くと、彼女はわずかに口元を緩めた。その笑みはどこか妖艶で、なぜかほんの少し敗北感を覚えてしまう。

 いやいや。僕は男だぞ、そんなことどうでもいいだろ。

 鞠さんはかすかな笑みを残したまま、僕を見た。

「春哉の恋人なんでしょう?」

 ああ、それは聞いてるんだ。
 春哉さんが話したのかな。やっぱり仲がいいんだろうか。二人はいったいどんな関係なんだろう。
 気になって仕方がなかった。

「そうですけど……あの、彼は今どこにいるんですか?
 知っているなら、教えてください」

 この人は、きっと居場所を知っている。
 根拠なんてないけど、そう思った。

 鞠さんは僕を見定めるように見つめた。

「あなた、真実を知る覚悟はある?」

 どういう意味だろう。

「それは……春哉さんのこと、ですか?」

 ごくりと唾を飲み込む。
 彼女は言葉を選ぶようにして答えた。

「ええ、そうね。春哉と――あなたの両親のことって言えばいいかしら」

 その一言に、心臓が大きく跳ねた。

 喉がきゅっと詰まり、声が出ない。
 ただ、目を見開いたまま彼女を見つめることしかできなかった。

「そりゃ驚くわよね。
 いいわ。あなたが本当に春哉を愛していて、すべてを受け止めるつもりがあるのなら……話してあげる」

 鞠さんは、僕の覚悟を確かめるように問いかける。

「どうなの?」

 鋭い視線がまっすぐ僕を射抜いた。

 ……ど、どういうことだ。彼女はいったい。
 というか、なんで僕の両親のことまで知ってるんだ。

 もしかして。

 彼女も、ウロボロスに関係しているのか。

 何も言わない僕に、鞠さんはさらに畳みかけてくる。

「あと、私から聞いた話は絶対に口外しないこと。墓場まで持っていくこと。
 それを守ってもらうわ。
 さあ、聞く覚悟はある?」

 ふざけているわけでも、からかっているわけでもない。
 そう感じさせる空気が、そこにはあった。

 彼女は、僕たちとは生きている世界が違う。そんな気がした。
 ……春哉さんも、そうなのかな。

 怖い。真実を知るのが。

 でも。

 僕はぎゅっと拳を握りしめた。

「……はい、約束します。絶対に口外しません。
 教えてください」

 両親のことももちろんだけど、それ以上に。
 
 春哉さんのことを知りたい。

 その気持ちだけは、はっきりしていた。