僕が恋をしたのは――ひなたの恋と、春の影

 そして、次の日曜日。
 バイトも入っていないし、特に予定もない。

 春哉さんとデートしたかったなあ、とぼんやり考える。

 まあ仕方ないよね。用事があるんだもん。

 そう思い直して、とりあえず家事を一通り済ませた。
 けれど、そのあとも何もすることがなく、出かけることにした。


 行くあてもないまま、ぶらぶらと街中を歩く。
 雑踏の中にいると、ふいに寂しさがこみ上げてきた。

 視線の先では、仲良さそうなカップルたちが寄り添っている。
 その姿を見ているうちに、胸のあたりがじわっと重くなり、気分までずーんと沈んでいった。

 だめだ。もう帰ろう。

 そう思って踵を返しかけた、そのときだった。
 足がぴたりと止まり、鼓動が早くなる。

 え――

 前方の一点から、目が離せなかった。

 僕の視界に映ったのは、春哉さんと……鞠さん。

 なんで。

 だって、僕の誘いは断ったじゃないか。彼女と約束があったってこと?
 僕よりあの人を選んだ?

 っていうか、二人の関係ってどうなってるんだ。

 気づけば、二人のあとを追っていた。

 少し距離を取りながら、物陰からそっと様子をうかがう。
 不意に鞠さんの視線がこちらに向いた気がして、反射的に身を引いた。

 あ、危ない。見つかるのは避けたいんだよね。あとで気まずくなるの嫌だし。

 バレてないかな。鞠さんってなんだか鋭そうだけど。

 息を整えてから、ふたたび覗き込む。

 いた。

 春哉さんと鞠さんは並んで歩きながら、楽しそうに笑い合っている。

 表情がいつもより柔らかく見えて、胸がちくりとした。
 まるで心を許しているみたいだ。

 どうしよう。このまま後をつけようか。
 でも、もし決定的な瞬間を見てしまったら……きっと立ち直れない。

 そんなことを考えているうちに、二人の姿は人波に紛れて見えなくなってしまった。

 どこへ行った?
 慌てて辺りを見回しても、もう姿はない。

 大きなため息が漏れた。

 もう、いいや。これ以上踏み込むのはやめよう。
 知らなくていいことまで知ってしまいそうで怖い。

 ……帰ろう。

 肩を落とした僕は、くるりと踵を返し、来た道をとぼとぼと歩きだした。


 * * *


 その日は、ちょっとだけイライラしていた。

 僕にしては珍しい。けっこう温和だと言われることが多いのに。
 原因は自分でもわかっていた。

 春哉さんのことだ。

 日曜日に見てしまったあの光景が、どうしても頭から離れない。
 胸がざわついて、もやもやと気分が悪くなる。
 こんな感覚は初めてだった。

 そのせいか、春哉さんにだけそっけない態度を取ってしまった。

 そんなつもりはなかったのに、言葉が勝手にきつくなる。他の人にはそうでもないし、家で祖父母に当たったりもしていない。

 ただ彼に対してだけはうまくできなかった。
 いつの間にか、眉間に力が入ってしまう。

「これ、六番テーブルにお願いね」

 差し出されたコーヒーを受け取ると、春哉さんはいつも通り笑いかけてくる。

「……はい」

 またそっけなく返してしまう。
 春哉さんは何か言いかけたみたいだったけど、その視線から逃れるように、さっとその場を離れた。

 今日はこんなことばかりだ。
 きっと気づいてるよね。僕が不機嫌なこと。

 でも、その理由まではたぶんわかっていない。

 本当は前みたいに笑い合いたい。それなのに、心と態度はちぐはぐで。

 はあ……このままどんどん泥沼にはまっていきそう。

 悩みは尽きないけど、今は仕事に集中しなくちゃ。
 そう自分に言い聞かせて、なんとか目の前のことに打ち込もうとした。


 結局、春哉さんとまともに話せないまま、仕事を終える時間になっていた。

 終業と同時に、僕はさっさと着替えて店を出る。
 いつもなら春哉さんを待つんだけど、今日は顔を合わせたくなくて、先に帰ることにした。

「愛翔くん、待って!」

 すぐ後ろから、声が追いかけてくる。
 逃げようかとも思ったけど、そこまでするのも悪い気がした。

 春哉さんがためらいがちに隣へ並んだが、僕は振り向かずに歩き続ける。

「ねえ、なにか怒ってる?」

 その言葉に、ぴたりと足を止める。
 彼も慌てたように立ち止まった。

 短い沈黙のあと、僕は口を開く。

「わからないんですか?」

「え……う、うん」

 本当にわからないらしい。
 まあ、そりゃそうか。見られてたなんて知らないんだから。

「日曜日、誰といました?」

 じろりと睨みつけると、彼の目がわずかに見開かれた。

「あ、そうか」

 どこか腑に落ちたようにうなずく姿を見て、かっと熱くなる。

「なんで!」

 苦しくて、息が漏れた。

「どうして、鞠さんと会ってたの? 僕の誘いは断ったくせに」

 言葉を重ねるうちに、視線が下がっていく。
 怒りよりも先にこみ上げてきたのは、どうしようもない悲しさだった。

「いや、別に。あれは……」

 そこで、春哉さんは言葉に詰まる。

 ……なに?
 黙るってことは、なにか後ろめたいことがあるってこと?

「ひどいよ! 嘘ついてたの?」

 顔を上げると、彼と目が合った。
 その瞳が、戸惑うように揺れた。

「ごめん。決して嘘をついたとか、ごまかしているとか、そんなんじゃない。俺は――」

「この間からずっとそうだよ。誘っても断られるし、付き合いも悪かった。僕とは会う時間がなくても、鞠さんとは会う時間を作れるってことじゃん!」

 もういや。僕、嫌なやつだ。
 春哉さんだって、きっとあきれてる。これじゃ、ただのわがままだ。

「愛翔くん……ごめん、ごめんね」

 そう言って、春哉さんは僕を抱きしめた。
 ぎゅっと力を込める腕から必死さが伝わってくる。でも、彼はなにも言わない。

 僕は理由を知りたいだけなのに。
 鞠さんといた理由を、どうして言ってくれないの。

「ねえ、なんで? なんで鞠さんといたの?」

「……」

 まただんまりだ。
 言えないんだ。僕には話せないんだ。

「もういい!」

 思いきり春哉さんを突き飛ばす。

 彼は何か言いたげに唇を開いたものの、結局何も言わずに目を伏せた。

 なんなんだよ。僕は、ただ教えてほしかっただけなのに。

 どうしていいかわからず、背を向け、駆け出した。
 今は、きっと酷い言葉しか出てこない。

「愛翔くん!」

 背後から声が追ってくる。

 それでも振り返らず、そのまま走り続けた。