僕が恋をしたのは――ひなたの恋と、春の影

 うきうきした気分のまま、僕はバイト先へ向かった。

 早く春哉さんに伝えたかった。宏明と仲直りできたってことを。
 すごく心配してくれていたから、一番最初に報告したいって思って……。

 なのに、お店に入った瞬間に足が止まった。

 まただ。

 ――鞠さんがいた。

 カウンターの前で、鞠さんが軽やかに笑っている。その向かいには、楽しげな春哉さん。

 ズキズキと胸が痛む。
 理由はうまく説明できないけど、彼女の前にいる春哉さんは、僕といるときとは少し違う気がする。
 気を許しているというか、信頼しているというか。そんな空気があった。

 立ち尽くしている僕に、同僚が声をかけてきた。

「どうしたの? そんなところで」

 その声に反応するように、二人の視線がこちらへ向いた。
 慌てて目を逸らす。

「いえ、なんでもないです」

 そそくさとバックヤードへ向かった。

 着替えている間も、胸のざわつきは消えなかった。さっき見た春哉さんの笑顔が浮かんでは消える。
 それを振り払うように頭を振った。

 気にしない、気にしない。そう唱えてみてもうまくいかない。

 鏡を見ると、浮かない顔の自分が映っていた。

「しゃんとしろ!」

 気合いを入れるように両手で頬を叩く。

 それから仕事に取りかかったけれど、やっぱり意識してしまって、だめだ。
 目は勝手に二人を追い、そのたびに胸がちくりと疼いた。


 その日は、いつもより失敗が多かった。

「お疲れさま。……もしかして、調子悪い?」

 仕事を終えて着替えた僕のもとへ、春哉さんがやってくる。

「……いえ」

 少しそっけない返事になってしまった。視線もろくに合わせられない。

 だって春哉さん、ずっと鞠さんの相手をしてたんだもん。
 仲良さそうに微笑み合っちゃってさ。僕がいるのに。……って、すごい嫉妬だな。

「どうしたの?」

 そっと顔を覗き込まれて、慌てて口を開く。

「あの、今度の日曜日、またデートしてください」

 そんなことを口走ってしまった。
 自分でもよくわからない。鞠さんに対抗してるのかもしれない。

「うーん……困ったなあ」

 本当に悩んでいるようだった。

 ちらりと横目でうかがうと、眉をひそめて腕を組む姿が目に入った。

「ちょっと用事があって」

 言いにくそうにぼそぼそと話す。

「なんの用事なんですか?」

 むっとすると、彼は穏やかに微笑んだ。
 いつも通りのやわらかい笑みだったけれど、なぜかごまかされているような気がした。

「それは……」

 そこで言葉が止まり、ちょうど着信音が鳴った。

「あ、ちょっとごめん」

 春哉さんはスマホを手にスタッフルームを出ていった。

 気になってそっと後を追う。

 わざわざ裏口へ向かい、周囲を気にするように外へ出ていく。
 ……怪しい。よほど聞かれたくない話なのかな。

 胸に小さな疑いが芽生える。

 ドアの隙間に耳を寄せて、息をひそめた。

「……そんな。でも……わかった。こちらからも……ああ……」

 断片的にしか聞こえない。相手は誰なんだろう、何の話をしているんだ。

 もしかして――鞠さん?

 そう思った瞬間、目の前のドアが開いた。

「あれ、愛翔くん。どうしたの?」

 少し驚いた様子で、春哉さんが薄く笑う。その表情は妙に冷静だった。

 もしかして、僕がここにいることに気づいてた?

「えっと……誰からですか?」

 じっと見ると、瞳がほんの一瞬だけ揺れた。
 でもすぐにまっすぐこちらを見返してくる。後ろめたさは感じられなかった。

「仕事関係の電話だよ。愛翔くんが心配するようなことじゃない」

 にこりといつもの笑顔を向けられる。
 やっぱりごまかされているような気がした。でも、それ以上追及する勇気もない。

 納得はできなかったけど、その日はそのまま帰ることになった。


 帰り道、春哉さんはいつも通りだった。歩く速さも、話し方も、向けてくれる笑顔も、何も変わらない。

 それなのに、心の中のもやもやは消えてくれなかった。

 春哉さんは何かを隠している。そんな疑いが、どうしても拭えずにいた。