僕が恋をしたのは――ひなたの恋と、春の影

 そのまま、二人で空き教室へ向かった。

 誰も残っていないことを確かめてから中へ入る。

 宏明はそばの机に浅く腰掛け、僕は立ったまま彼をじっと見つめた。

 やっと話せる。そのことがただ嬉しかった。
 最近はずっと話せていなかったし、会えば避けられてばかりだったから。こんなに長く言葉を交わさなかったのは、はじめてだった。

 夕暮れの光が窓から差し込み、教室はやわらかな色に包まれる。
 その静けさの中で、宏明はなかなか口を開こうとしなかった。

 勇気を出して、僕から切り出してみる。

「あのさ」

「ごめんな」

 口を開けたまま固まる。
 びっくりした。急に話し出すから。

「俺、おまえの気持ち無視して、その……あんなことを」

 宏明は顔をそっぽに向けたまま、ぼそぼそと話す。

 いつも自信満々な彼とは、まるで別人みたい。

「うん……驚いた」

 そう言うと、また静まり返った。

「驚いたけど、怒ってないよ。僕のほうこそ何も知らなくて。ごめん」

「おっ、おまえが謝ることじゃないだろ」

 宏明は拗ねたみたいに口を尖らせ、頭をくしゃりと掻きむしる。
 僕は彼を見つめたまま、小さく息を吸った。

「ずっと気まずいままで、話すこともできなくて……すごく寂しかった。このままは嫌だって思ったんだ」

 ようやく彼もこちらを向いた。

「俺だって、同じだ」

 照れくさそうに目元をゆるめる。それが嬉しくて僕も笑い返した。
 宏明はふぅと長い息を吐いたあと、口を開く。

「……愛翔のことが好きだ」

 まっすぐな想いが伝わってきて、純粋で綺麗な瞳に息を呑む。

 なんて返していいのか、言葉が見つからない。

「ずっと想ってた……。
 ただ、男同士ってことがブレーキになって、どうしても言えなかった。
 嫌われたくなかったし、離れていかれたらって思うと、さ」

 俯いて、悔しそうに顔を歪めながら笑う。その横顔に、胸がきゅっと痛んだ。

「その気持ち、わかるよ」

「え?」

「だって、僕もそうだったから。春哉さんのこと好きだって気づいてても、なかなか言えなかった」

「ああ……そういうことか」

 宏明は少し切なそうに瞳を揺らし、寂しげに笑った。

 僕がこんな顔をさせているんだと思うと、苦しくなる。
 ぎゅっと拳を握りしめて、想いを込めて言った。

「ちゃんと伝えてくれて、ありがとう。嫌だとか、離れたいとか、そんなことは絶対にない」

 そう伝えると、宏明は嬉しそうにくしゃっと笑った。

「ありがとう。でも……愛翔はあの人のことが好きなんだよな?」

「……うん」

 小さく頷く。それしかできなかった。

 二人の間にまた沈黙が落ちる。

「でも、宏明のことも大好きだよ。
 えっと、うまく言えないけど、恋愛とかじゃなくて大切なんだ」

 精いっぱいの気持ちを込めて言葉にする。

「わかってるよ。わかってる……」

 宏明は肩を落とし、あきれたように笑った。
 その姿がなんだかとても切なくて、見ているうちにじんわり涙が滲んできた。

「ねえ、もう元通りになれないのかな? 僕たち」

「お、おまえ、泣いてるのか?」

 宏明が目を丸くする。

「いやだよ。また楽しくおしゃべりしたり、遊んだり、一緒に過ごしたいよ」

 頬に涙が伝っていく。

 宏明は立ち上がり、ゆっくりと近づいてきた。そして、ためらうように僕を抱きしめた。
 頭を撫でられ、あたたかさと一緒に彼のやさしい鼓動が伝わってくる。

「泣くなよ……俺はおまえの涙に弱いんだから」

「う、うん。ごめん」

 すがりつくように、ぎゅっと抱き返した。

「もういいよ。愛翔の気持ちは痛いほどわかったから」

 なんだろう。少し戸惑ってる?
 そっと見上げると、宏明の頬が赤くなっていた。

「俺も、子どもっぽいことしてごめんな。避けたりして」

「ううん。もういいよ」

 見つめ合い、自然と笑い合う。

「なあ、ちょっとこの体勢きついわ。離れていい?」

「なんで?」

 首をかしげると、彼の顔が真っ赤になった。

「わかれよ! 好きな子にそんなにひっつかれてたら、その……いろいろ困るだろ!」

 そう言って、軽く押し返される。

「困るって、なにが?」

 素直に聞き返すと、大きくため息をつかれた。

「はあ……こりゃ、相手も苦労するな」

「なんだよ、その言い方。馬鹿にしてる?」

 何をどう馬鹿にされたのかはよくわからなかったけど、ぷくっと頬を膨らませた。

「はいはい、ごめんな」

 宏明は可笑しそうに笑って、軽く片目をつぶる。
 やっといつもの二人に戻れた気がして、胸がくすぐったくなる。

 二人で笑い合ったあと、宏明がぽつりとつぶやいた。

「これからもよろしくな、愛翔」

 差し出された手。

「よろしく」

 にこっと笑って、その手を取った。

「――ところで、愛翔たちってどうなってるんだ?」

「どうって?」

「だから、あの店長とだよ。もう付き合ってるのか?」

 宏明はどこか拗ねたように尋ねてきた。

 そうか。最近ちゃんと話してなかったから、その報告もまだだったんだ。
 彼は僕たちのことを何も知らない。

「……うん、付き合ってる」

 そう告げると、ほんの一瞬だけ間が空いた。

「なんだ、そっか。まあ、ふられないように気をつけるんだな」

 嫌味っぽい言い方に、つい口を尖らせる。

「なんだよ、それ」

「だって、あっちモテそうだし。ライバル多そうじゃん?」

 その言葉で、ふとある女性の姿が脳裏によみがえった。

 ――鞠さん。

 綺麗な人だったな。春哉さんといかにも仲良さそうで。

 あれからも店で見かけるたび、胸がざわついた。
 だって、とても親しそうなんだもん。どんな関係なんだろうって、やきもきしちゃう。

 それに彼女は、ときどき僕のほうを見て、妖艶に微笑むんだ。

 あんな女性が好きな人のそばにいたら、誰だって落ち着かないよ。

「あれ? なんか心当たりでもあるのかな?」

 ニヤつきながら、宏明が顔を覗き込んでくる。

「ち、ちがうよ! 春哉さんは、宏明みたいにへにゃへにゃしてない」

「なんだよ、そのへにゃへにゃって」

 可笑しそうに腹を抱えて笑う姿に、すっかり前みたいな空気に戻った気がしてほっとする。

「ま、何かあったら相談くらい乗ってやるよ。気軽に言ってこい」

 その優しい笑みに、じんわりと気持ちがあたたかくなる。
 憎まれ口をたたきながらも、いつも味方でいてくれるんだから。

「うん!」

「でも、そうだな。隙あらば俺も邪魔しようかな」

「は?」

「だって、俺は愛翔が好きだからな。店長とうまくいかなくなったら好都合ってもんだ」

 そう言って、僕の頭をくしゃりと撫でた。

 ……冗談だよね?
 そっとうかがうと、悪戯っぽく目を細められる。

「もう、宏明は」

 すぐそういうこと言うんだから。
 僕をからかって遊んでるんだ。

 でも、本当によかった。ちゃんと仲直りできて。

 照れくさくなって顔をそむけながら、僕は小さく笑った。