僕が恋をしたのは――ひなたの恋と、春の影

 それからはとても幸せな日々だった。
 ――と言いたいところだけど、そう簡単ではない。

 というのも、宏明との関係がまだ元通りとはいかないからだ。

 あのキスの日から、彼には逃げられてばかりだった。
 視線が合えば思いきり逸らされて、ばったり会えばすぐに背を向けられる。話しかけようとした瞬間、まるでタイミングを見計らったみたいに別の人と話し始める。

 最近は、宏明の背中ばかりを見ている気がする。

 明らかに避けられている……。

 別に怒っているわけでも、責めたいわけでもない。
 ただ、話がしたいだけなのに。

 僕だって悪かったと思っている。ずっと彼の想いに気づかずにいたのだから。

 きっと、つらかったはずだ。
 それでも何でもない顔で、いつもそばにいて、笑いかけてくれていた。

 だからこそ、こうして避けられてばかりの今がじわじわと堪える。

 正直、ちょっとめげそうだった。


 そんな僕にとって、バイトに行く時間だけは変わらず楽しみだった。

 バイトに行けば、彼に会えるから。

 春哉さん。
 晴れて両想いになった、超絶優しくて格好いい僕の彼氏だ。

 お店に行けば、春哉さんは笑顔で迎えてくれる。
 仕事中も視界の隅には彼がいて、知らないうちにその姿を追ってしまう。

 目が合うたび、笑いかけてくれて……それだけでドキドキが止まらなくなる。

 落ち着かなくて、くすぐったくて、そんな時間がたまらなく好きだった。

 そばにいるだけで胸があたたかくなった。

 通り過ぎるとき、指先が触れ合う。すると鼓動が跳ねて、頬がぽっと熱くなる。
 帰り道には、二人で手を繋いで歩いた。

 ドラマで見たことのある憧れの場面が、まさか現実になるなんて。

 ああ、幸せ。
 好きな人がいるって、こんなにもうれしいことなんだ。

 そんな日々が、ただ愛おしくて。
 宏明のことは気がかりなままだったけれど、僕は春哉さんとの時間を大切にしていた。



 ところが、ある日のバイト中――。

「ねえ、君たちって、もしかしてデキてるの?」

 そう声をかけてきたのは、女性のお客さんだった。
 たぶん、いや、明らかに僕と春哉さんのことを聞いているのだとわかる。

「え……」

 頭が真っ白になって、なんて答えればいいのかわからない。
 だって、堂々と言えるようなことじゃないし、変なふうに思われたりしたら。

 そんな気持ちに支配され、動けずにいた。

「あ、あの」

「そうです。俺たち、付き合ってます」

 背後から、春哉さんの声。
 いつの間にかすぐそばにいて、女性客の前に注文の品を並べながら、いつもと変わらない笑顔を浮かべている。

「それがなにか?」

 にこにこと穏やかに微笑んでいるのに、どこか有無を言わせない空気があった。

 その場にぴんと緊張が走る。

「そ、そうなんですか。お似合いですねえ」

 二人組の女性客のうち一人が、気まずそうに視線を逸らした。

「へー、素敵」

 もう一人は、目をきらきらさせながら春哉さんを見つめている。

「では、ごゆっくりどうぞ」

 そう言うと、春哉さんは流れるような仕草で僕の肩を抱き、その場を離れた。

 急に、周りのお客さんの態度や視線が気になりはじめる。

 僕が過敏になっているだけかもしれない。
 ひそひそと耳打ちしながらこちらを窺う人たち。その反応は好意的に見えるものもあれば、悪意のように感じるものもあった。

 やっぱり世間では、僕たちみたいなカップルは受け入れてもらえないんだろうか。

 うつむいたまま、彼に連れられてバックヤードへと入った。


 誰もいない休憩室に入ると、春哉さんは僕を椅子に座らせ、同じ目線まで身をかがめる。

「だいじょうぶ。気にすることはないよ」

 にこりと微笑まれても、気持ちは少しも晴れなかった。

 どうしてこんな思いをしなくちゃいけないんだろう。
 ただ恋をした相手が同性だった。それだけのことなのに。

 これからも、同じように傷つくことがあるのかな。

 好きな人のことを堂々と好きだと言えなくて、人前では胸を張れないなんて。
 そんなのって、ないよ。

「……愛翔くん?」

 心配そうな声に、我に返る。

 気づかれちゃいけない。
 こんなふうに悩んでいるなんて、格好悪いし、気に病ませてしまう。

「な、なんでもありません。すみません、ちょっと体調が悪くて」

 誤魔化してみたけれど、たぶん、彼には全部伝わっている気がした。
 さっきのやり取りや僕の様子を見ていれば、一目瞭然だよね。

 目を見ることができず、そのまま黙り込む。

 今は何を言えばいいのか、わからなかった。

「そっか……無理しなくていいよ。今日はもう帰ってくれてもいいし」

 そう言って、優しく頭を撫でてくれる。その手の温もりにふっと力が抜けた。

 春哉さんは、大人だ。
 きっと僕よりずっとたくさん傷ついてきたんだと思う。でも、いつも平気な顔をして、みんなに心配をかけないように、大切なものを守ろうとしている。

 悔しいなあ。僕ももっと強くなりたい。

 じわりと涙が滲んだ。

「ね、今度デートしない?
 俺たち、まだちゃんと二人で出かけてなかったし。……いいでしょ?」

 急に明るく声をかけられ、戸惑う。
 ぽかんと目を丸くしていると、輝くような笑顔を向けられた。

「愛翔くんとのデート、楽しみだなあ」