僕が恋をしたのは――ひなたの恋と、春の影

 もどかしい日々が過ぎていく。
 その日も、春哉さんに何も聞けないままバイトを終えた。

「さむっ」

 外に出ると、夜の風がひんやりと肌を撫で、僕は肩をすくめた。

「愛翔」

 横から聞こえた声に振り向く。

「……っ、宏明!?」

 壁にもたれて立っていたのは、宏明だった。

「びっくりした。ずっと待ってたの?」

 最近は迎えに来なかったから、正直かなり驚いた。

 そっと様子をうかがうと、宏明は気まずそうに視線をさまよわせてから、ぽつりと言った。

「ちょっと、いいか」

「う、うん」

 嬉しい。こうして面と向かって話すのは久しぶりだった。

 そのとき、背後でドアが開く。

「あれ?」

 出てきたのは春哉さんだった。
 僕たちを見て、少しだけ目を丸くしている。

「あ……そうか。
 お疲れさま。それじゃあ」

 にこりと微笑んで、歩きだす。
 いつもより、妙にそっけない。

 その背中を見送っているうちに、ふと気づいた。

 察してくれたんだ。
 あの一件があってから、帰りはずっと春哉さんが送ってくれていた。たぶん今日もそのつもりだったんだと思う。
 でも、僕と宏明が一緒にいるのを見て、何も言わずに帰ってくれた。

 もう、なんだかなあ。
 こういう優しさが、いちいち心を捉えて離さないんだよ。

 じっと春哉さんの後ろ姿を見つめていると、

「いくぞ」

 その一言に、はっとする。
 心の中でお礼を言ってから、僕は宏明と肩を並べて歩きだした。


 ……静かだ。

 たまに通り過ぎる車の音だけが、耳に届く。街灯の明かりが夜の道をぼんやりと照らしていた。

 少し先を歩く宏明の背中を見る。さっきからずっと黙ったままだ。
 声をかけるのもためらわれて、僕は彼が口を開くのを待った。

「……あのさ」

 宏明がぽつりと言った。

「最近はごめん。俺の態度、悪かったよな」

 急に立ち止まり、僕に向かって頭を下げた。

「え! ううん、そんなのいいよ……でも、よかった」

 ほっとして頬がゆるむ。

「ずっとこのままなんて、嫌だなって思ってたから」

 にこっと笑いかけると、宏明はふっと視線を逸らした。

「そっか。まあ俺も、おまえと気まずいのは嫌だしな」

 そう言って、明るく笑う。
 その笑顔に、張りつめていた空気が少しずつほどけていく。いつもの宏明が戻ってきたみたいで、じんわり嬉しさが広がった。

「でも、なんで怒ってたの? 僕、なんか変なこと言ったかな」

 正直な疑問だった。怒らせてしまった理由が、まだよくわかっていない。

「あー、いいんだよ。愛翔はわからなくて」

「なんだよ、それ」

 ぽかぽかと宏明を叩く。
 すると、彼はにやりと笑った。

「いたくねえ」

「もうっ」

 二人して笑い合う。

 ほんとに戻れたんだと、そのときようやく実感した。


 それからは、自然と言葉が続いた。
 彼に聞いてほしくて溜まっていたバイトや学校のことを、あれこれ話した。楽しい時間に戻れた、はずだった。

 なのに――また僕は、宏明の地雷を踏んでしまったのかもしれない。

「ねえ、ちょっと相談してもいい?」

「なんだよ」

「春哉さんのことなんだけど」

 そう言った途端、彼の表情が変わった。
 でも、その意味を僕はよくわかっていなかった。

「あのね……僕、春哉さんのことが好きかもしれない」

「……っ」

 宏明が、急に立ち止まる。

 振り返ると、彼は下を向き、拳を強く握りしめていた。
 肩がわずかに震えているように見える。

「どうしたの?」

「なんでだよ! なんで、俺にそんなこと言うんだよ!」

 突然声を荒らげられ、戸惑う。

「え? なに、どうしてそんなに怒ってるの」

 言い終わる前に宏明がこちらへ踏み込んできた。ぐっと肩を掴まれ、そのまま顔が迫ってくる。

「わかんないのかよ……俺は、俺はおまえが好きなんだ!」

 その表情は苦しそうで、声も張りつめている。

 時間が止まったみたいで、僕は目を瞬かせることしかできない。
 その間にも、宏明はさらに距離を詰めてきて――

 唇に、彼の唇が触れた。