「……マジか」
朝起きた瞬間に身体の異変を察する。鼻の奥の痛み、倦怠感と寒気という三要素。それで風邪を引いたのだと瞬間的に理解した。どうしてこうなったのか頭を巡らせていると。
「エアコンガンガンじゃんか」
やけに涼しいと思ったら、寝ている間にもずっとエアコンがついていたようだ。いつもなら切タイマーで止まっているのだけど、忘れてしまっていたらしい。
昨日はめちゃくちゃ暑くて冷房をガンガンにしていたのと、夏休みで昼夜逆転した生活をしていたのも原因だろう。
何にせよ目覚めたけれど、もうベッドから起き上がる気も起きない。俺は何もせず再び目を瞑った。
「……う、ん?」
再び、意識が浮上する。インターホンの音が鳴らされたらしく、その音で呼び起こされた。
でもその呼びかけに応じる事なんて、当然出来なくて。無視を決め込むことにする。
「……うるさ」
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーンと何度も何度も押される。もはや迷惑と何も考えていないその行為をする人物は、一人しか思いつかなかった。
「はい……何ですか……ココロ?」
「やっと出たわね。早く開けてよ」
「……わかった」
無視を決め込んでも永遠に繰り返されそうなので、インターホンに出てから、マスクをしつつ弱る身体にムチを打ってドアを開けた。
「やっと出たわね! 全く何を……ってどうしたの?」
開けた先にはボブショートの茶髪を揺らす、小柄な少女ココロがいた。幼さのある可愛らしい顔を不満そうにしかめていたが、俺を見ると段々心配そうにする。
「ごめん、ちょっと風邪引いて熱出ちゃって」
「そう……だったの。ごめんなさい、うるさくしちゃって」
「……それよりも何かあった?」
あれだけ鳴らしていたということは、何か緊急の用があったのだろう。
「ええと、いつもならあなたがお昼ご飯を持ってきてくれるのに来ないから、貰おうと思って」
「……あ」
自分の身体の事ばかりに意識が向いていて、完全に忘れていた。彼女の菓子パンやお菓子しか食べないというおかしな食生活改善のために、毎日俺が料理を作らなければならないのに。
ただ――
「ココロがそうやって求めてくれるようになってくれて嬉しいよ。少しは意が識変わったかな」
自ら変えるという意識はまだだけど、それでもかなりの前進だ。
「そ、そんなのじゃないわ。お節介でも、一応善意だから、無下にする気にならないだけよ」
「それなら、もっとやってあげなきゃだね」
「……今はそれどころじゃないでしょ」
一転してココロの方が保護者的な立場になる。心配そうにしつつも少し怒っている、そんな母親のような表情をしている。彼女は見た目こそ小学生のようだけど、仕草や喋り方の雰囲気はかなり大人っぽい。
「そんな表情していないわ。……とにかく、部屋に入るわよ」
「え、ちょ」
風邪に弱った俺には彼女を止める力なんかなくて、部屋に入られてしまう。
「マスク貰うわね」
「いや、というか何を?」
「決まっているでしょ、私が看病するのよ」
「え?」
全くの予想外な言葉が飛び出してくる。嬉しいとか安心するとか、そういう気持もあるにはある。でもそれ以上に、そんな事出来るのかという疑念が何より浮かんでいた。
「失礼ね! まず感謝とか喜ぶとかしなさいよ! 決めたわ、絶対看病する。そしてあなたの認識を改めさせるわ!」
ココロはビシッと俺を指差して看病するというのに何故かその相手に宣戦布告してくる。俺が思うのも何だけど、何で看病イベントでこんな展開になるのか。
「とりあえず、冷えピタとかないわけ?」
「……ない」
「いっつも、自分はちゃんとしていますよーって感じ出してくるくせに、甘いわね」
「そういうココロは持っているんだ」
「いえ、無いから今買ってくるのよ」
「……」
心の中ですらツッコむ気力がなかった。とりあえず、ココロがココロだのわかって安心する。
「そういえば病院は行ったの?」
「いや、面倒くさくて。でも、多分市販ので何とかなりそうだから」
「……じゃあ風邪薬も買ってくる。それと、何か食べたいものはある?」
自分の身体に聞いてみるがお腹の虫は鳴いていないし、その予感すらなかった。
「わかったわ。とりあえず何か食べなきゃだから私が用意する。それじゃ行ってくるわ」
「ちょ、まっ」
「あなたはとりあえず寝ていなさい」
俺は無理やりココロにベッドに押し込まれて、毛布に布団をかけられる。そして彼女はそのまま部屋を出ていってしまった。
「……」
さっき寝た前よりも熱が上がった気がする。苦しさもダルさも一緒に上昇していてもいて。
一人暮らしをしてから何度か熱で寝込んだ事がある。その時、いつも不安でいっぱいだった。
「けど今は……」
目を瞑りココロの事を考える。風邪で動けなくても彼女がいるんだ、そう考えると、そう考えると。
「やっぱり不安だ」
「本当に失礼な人ね。私の事を馬鹿にしすぎよ」
「うわぁ!?」
いつの間にか帰ってきていたようだ。レジ袋を持っているココロが部屋に入ってくる。
「とりあえずはい。冷えピタ」
「あ、ありがとう」
「それとポカリも、ちゃんと水分を取りなさいよ」
「は、はい」
俺は言われるがままにココロのお世話を受け入れる。
「後は……お薬の前にご飯よね」
「い、いいよ。そこまで迷惑は……」
「私がしたいからするのよ」
「いや、ええと。それ以上に問題というか、不安というか……」
「言っておくけど、病人にメロンパンを食べさせる事はしないから」
その言葉にかなりの衝撃を受ける。だって、食べ物関係でココロからこんなまともな発言が出るだなんて信じられない。
「何を作ってくれるの?」
「おかゆを作るわ」
「おかゆって……あのおかゆ? 何かのお菓子の名前じゃなくて?」
「あなたが私をどう思っているのかスイートわかったわ。しっかりと看病するから、わかったらそのふざけた口を閉じて安静にしていなさい」
「は、はい」
一抹の不安は残るものの思ったよりも大丈夫そうだ。彼女の言葉に甘えようと、そう決めれば一気に力が抜けてきて、また横になり少し目を閉じた。
「……」
するとキッチンの方から料理をする音が聞こえてくる。それだけで何だか実家にいるような気持ちにすらなってきた。すると、どんどん外側の音が遠くなっていって。
「……きて」
「う、ん」
「起きて、出来たわよ」
揺さぶられて目を開ける。身体を仰向けから横に姿勢を変えると、背の低い机の上には食事が用意されていた。おかゆとサラダ、それにオレンジのゼリーがある。
「本当に……おかゆを作れたんだ」
「当たり前でしょ、このくらい。さぁ起きて食べて。それと飲み物もね」
ベッドから這い出て食卓につく。向かい側にココロも座って、彼女はミルクティーを飲む。
俺はそれにならってまず水分を取ってから、ゆっくりとおかゆを口に入れる。変な味とかはせず、思った通りの味が出てきて安心した。自分でも気づいていなかったのだけど、意外とお腹が空いていたらしく一瞬で平らげてしまう。
「どう? 私だってこれくらいは出来るのよ?」
「あはは……そうだね。おみそれしました」
「ふふん、わかればいいのよ」
ドヤ顔をする。何だか子供が頑張ってお手伝いしてくれたような感じがしてしまう。
「……まだ子供扱いするのね。面白いじゃない、その考え絶対変えてやるから」
何やら燃えている彼女を横目にオレンジのゼリーを食べて、用意してもらったものは完食する。
「ごちそうさまでした」
「お湯を沸かしておいたんだけど、それでお薬飲む?」
「う、うん」
そしてココロがコップを持ってきてそこに白湯を注いでくれる。
「あなたって猫舌よね……ふぅーふぅー」
「そ、そこまでしなくても」
息を吹きかけて白湯を冷ましてくれる。こんな事されたの小学生以来だ。
「あなたは大人しく私にお世話されてていいの。はい、少しは冷めたでしょ」
「あ、ありがとう」
流石に同い年の子にそこまでされると、照れるというか恥ずかしい。それを誤魔化すように俺は手早く薬を口に含んで白湯で流し込んだ。
「他に食べたい物とか欲しい物とかある?」
「特に無いかな。今はとにかく横になりたい」
「わかったわ。でも、何かして欲しい事が出来たらいつでも言って」
「うん、ありがとうココロ」
俺は覚束ない足取りで倒れ込むようにベッドに入る。そして掛け布団に埋もれて、俺は目を瞑った。
薬のおかげか風邪のせいか、それともココロの存在によるものか、すぐに眠気がやってきて一瞬で夢の中へと引き込まれた。
◇
「う……ん」
どのくらい寝たのだろうか。記憶にないが変な夢を見た気がして、そのせいで起きてしまった。身体の方は、少しだけ寒気と倦怠感が薄れているようだった。
「……こ、ココロ?」
目を開けるとココロが心配そうに俺を見つめていた。
「大丈夫? スイートうなされていたみたいだけど」
「あはは……大丈夫大丈夫。変な夢見てたと思うんだけど、もう忘れちゃった。心配かけてごめん」
「体調の方は大丈夫なの?」
「少し楽になったかな」
そんなやり取りをしている中でようやく意識がはっきりしてきて。ふと俺の右手に小さくて柔らかく、温かな感触がある事に気づく。
「手、握っててくれたんだ」
「……あなたが辛そうにしていたから仕方なくね」
「そ、そっか……ありがとう」
くすぐったい気持ちになる。照れくさいやら恥ずかしいやら、でも何より嬉しかった。
「そういえば、今って何時?」
「午後五時くらいよ」
そう答えながらココロは俺から手を離す。何だか急に温もりが消えてしまい寂しさすら感じる。けれど、微かに握られていた感覚は残り続けていた。
「もしかしてずっとこの部屋に居てくれたの?」
「当然でしょ。目を離した時に何かあったら、夢見が悪いもの」
「そんな長い時間……退屈じゃなかった?」
「大丈夫よ。スマホもあるし、それだけじゃなくてあなたの本をいくつか読んでいたから、退屈にはならなかったわ」
ココロは俺の本棚から取り出したのであろう本を一冊ひらひらと見せてくれる。どうやら、それは心理学についての本についてだった。
「ココロもその手の本に興味あったり?」
「いえ? 本は良く読むけれど、今日私がしていたのは、あなたが変な本を私に秘密で買っていないかチェックするためよ」
「……な、なるほど。でも、大丈夫だったでしょ」
彼女に食生活改善のために料理を作るように、ココロも俺が変な本を買わないようチェックしてくれていた。
「ええ。残念だったけれど」
ココロはパタンと本を閉じる。そしてふっと息を吐いた。
「熱、一応測って」
「う、うん」
体温計を受け取って、俺はそれを脇に当てた。本当に測れてるかなと不安になった頃に、ピピと音が鳴り、確認すると微熱程度になっている。
「おお、結構下がった」
「すぐに良くなったわね。本当にちょっとした風邪だったみたい」
「うん、変なウイルスとかじゃなさそうで良かった。ずっとココロにうつしたらって思って怖かったから」
そう言うとココロは肩をすくめて呆れたように微笑む。
「まったくもう。こんな時くらい自分の事だけ考えなさいよ。疲れないの?」
「そりゃあそうだけど。ココロの事を考えちゃうんだから仕方ないじゃん」
「……へ、変な事を言わないでくれる?」
「いや、そういう意味じゃなくて……普通に友達として心配というか」
急に顔が熱くなってくる。まさかまた熱が高くなって。
「そんなわけないでしょ。というかそんな恥ずかしがらないでくれる? こっちまで変な風になるじゃない」
「ご、ごめん」
「とにかく、まだ熱はあるんだから大人しくしておきなさい」
ココロは突然に俺の額をコツンと押してベッドに横たわらせてくる。
「でももう結構良くなったし、自分で――」
「いいえ、ここまできたら今日は最後まで付き合うわ。このままなら明日には良くなっていそうだしね」
「……」
絶対に譲らないという強い意志があって、どうにもならなそうだった。
「わかった、じゃあ寝るまではお世話になろうかな」
「ええ。任せて」
ココロはニッコリと微笑んだ。それを見ると自然と力が完全に抜けて、心も彼女に寄りかかる事に決めた。もう大丈夫だと理解したから。
「食欲のほうはどう? あるなら何か買ってくるけど」
「うん、お腹空いた。えーと、そばを食べたいかな。それと飲み物も、オレンジジュースとか」
「わかったわ。じゃあ買ってくるから待っていてね」
ココロはくるっと回って部屋から出て行こうとする。その彼女の後ろ姿を見て、ふともう一つ欲しい物を思いつく。
「あと……メロンパンが食べたいな」
「……! わかったわ! 行ってきます!」
そう聞くとココロは弾んだ声音と足取りで部屋を出ていった。それを見届けてから俺は天井を見つめて、それから再び目を瞑る。
眠りに落ちる寸前にココロが帰ってくる音がして俺は目を開けた。
「買ってきたわよ! 早速、食べる?」
「……うん」
何だか俺よりも食べたそうにしていて、少し笑ってしまう。俺は起き上がりココロと向き合う形で座った。机にはそばとオレンジジュース、そしてメロンパンが置いてある。さらにはそのセットはもう一つあって。
「ココロも同じのを買ったんだ。菓子パンを沢山食べるのかなって思ったんだけど」
「……あ」
ココロは今さら気づいたというような呆けた声を出して目をパチパチとさせる。
「うぅ……最近はあなたと同じ物を食べていたから、その流れでつい。スイート悔しいわ、沢山食べるチャンスだったのに」
「……そんなに後悔するなら、そば、食べなきゃいいんじゃない?」
「いいえ。もう買っちゃったのだし、消費期限も近いから食べるわ。それに、メロンパンを大量に食べたら、あなたがまた余計な事を考えそうだから」
「あはは……お気遣いありがとう」
そう少し残念そうにしながらもココロは、そばを食べ始めて、さっさとメインに行くように早食いをする。食べ切ると次はメロンパンへ向かい、かぶりつく。するといつもの事ではあるが、心底幸せそうな表情をする。それを見るとさらに食欲が刺激されて、俺も食べ始めた。
「……」
風邪のせいで味が微妙に分かりづらいけれど、何とか味を感じられるようにしながら食べた。メロンパンも同様で、少し損した気分になる。
「可哀想に、メロンパンの味がわからないなんて」
「……そんな深刻な問題じゃないからね」
「私だったらスイート絶望するわ」
その光景は容易に想像出来てしまい、少し笑ってしまう。
「笑い事じゃないのだけど……」
「ははっ、ごめんごめん」
「でも、その様子だとかなり元気になってきたみたいね」
「うん、かなり良くなってきたんじゃないかな」
再び熱を測るも、そこまで下がってはいないが身体の方はかなり平常時に近くなっていた。その間にココロが白湯を入れてくれて、俺は薬を飲んだ。
「……もう大丈夫そうね。ゴミを片して私は帰るわ」
「今日は本当にありがとう。おかげで寂しくなかったし、助かったよ」
「別に、私がしたくてしただけよ」
ココロはクールな感じで返答する。
「今度お礼じゃないけど、沢山お菓子とかプレゼントするよ」
「ほ、本当っ!」
一瞬でココロは子供みたいに喜んで瞳を光らせる。
「その時は、料理は作らないから好きなだけ食べていいよ」
「スイート嬉しい! あなたを看病して良かったわ! ふふっ、これからも風邪になったら助けるわ、お菓子のために!」
「ははっ、その時はよろしく」
そう言ってくれるのはとても嬉しく心強いが、お菓子目的だと少し複雑でもある。
ココロはるんるんと軽やかな足取りで鼻歌を歌いながら、片付けと洗い物を済ませる。
「そろそろ帰るわ。もし何かあったら呼んで」
「うん、ありがとうココロ」
俺はココロを見送るために玄関まで足を運んだ。
「約束、忘れないでね」
「もちろん」
「じゃ、お大事にね。」
パタンと優しくドアを閉めてココロは隣の部屋へと帰って行った。彼女のおかげで何もする事がないので、寝る準備をする。
「エアコンつけるか」
体調が良くなったからか正常に暑さを感じるので、エアコンのスイッチをオン。ちゃんと切タイマーをつけたのを確認してからベッドの上に横になった。そして身体を完全に回復させるために目を瞑り眠りを待つ。
「……」
そうしていると自分自身の感覚に意識が向いていく。もうダルさも寒気も、熱っぽさもほとんどなくなっている。明日には元気になれているだろう。
こんなに早く回復出来たのはココロのおかげで、彼女が隣にいてくれて良かったと改めて感じた。
「あったかい……」
熱は下がった。でもその代わりに俺の手に、心にココロの優しさという温もりが残っている。
そして、その温かさは俺の意識がなくなるまでずっと包み続けてくれた。
今日はココロとの夢を見れそうだ。
朝起きた瞬間に身体の異変を察する。鼻の奥の痛み、倦怠感と寒気という三要素。それで風邪を引いたのだと瞬間的に理解した。どうしてこうなったのか頭を巡らせていると。
「エアコンガンガンじゃんか」
やけに涼しいと思ったら、寝ている間にもずっとエアコンがついていたようだ。いつもなら切タイマーで止まっているのだけど、忘れてしまっていたらしい。
昨日はめちゃくちゃ暑くて冷房をガンガンにしていたのと、夏休みで昼夜逆転した生活をしていたのも原因だろう。
何にせよ目覚めたけれど、もうベッドから起き上がる気も起きない。俺は何もせず再び目を瞑った。
「……う、ん?」
再び、意識が浮上する。インターホンの音が鳴らされたらしく、その音で呼び起こされた。
でもその呼びかけに応じる事なんて、当然出来なくて。無視を決め込むことにする。
「……うるさ」
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーンと何度も何度も押される。もはや迷惑と何も考えていないその行為をする人物は、一人しか思いつかなかった。
「はい……何ですか……ココロ?」
「やっと出たわね。早く開けてよ」
「……わかった」
無視を決め込んでも永遠に繰り返されそうなので、インターホンに出てから、マスクをしつつ弱る身体にムチを打ってドアを開けた。
「やっと出たわね! 全く何を……ってどうしたの?」
開けた先にはボブショートの茶髪を揺らす、小柄な少女ココロがいた。幼さのある可愛らしい顔を不満そうにしかめていたが、俺を見ると段々心配そうにする。
「ごめん、ちょっと風邪引いて熱出ちゃって」
「そう……だったの。ごめんなさい、うるさくしちゃって」
「……それよりも何かあった?」
あれだけ鳴らしていたということは、何か緊急の用があったのだろう。
「ええと、いつもならあなたがお昼ご飯を持ってきてくれるのに来ないから、貰おうと思って」
「……あ」
自分の身体の事ばかりに意識が向いていて、完全に忘れていた。彼女の菓子パンやお菓子しか食べないというおかしな食生活改善のために、毎日俺が料理を作らなければならないのに。
ただ――
「ココロがそうやって求めてくれるようになってくれて嬉しいよ。少しは意が識変わったかな」
自ら変えるという意識はまだだけど、それでもかなりの前進だ。
「そ、そんなのじゃないわ。お節介でも、一応善意だから、無下にする気にならないだけよ」
「それなら、もっとやってあげなきゃだね」
「……今はそれどころじゃないでしょ」
一転してココロの方が保護者的な立場になる。心配そうにしつつも少し怒っている、そんな母親のような表情をしている。彼女は見た目こそ小学生のようだけど、仕草や喋り方の雰囲気はかなり大人っぽい。
「そんな表情していないわ。……とにかく、部屋に入るわよ」
「え、ちょ」
風邪に弱った俺には彼女を止める力なんかなくて、部屋に入られてしまう。
「マスク貰うわね」
「いや、というか何を?」
「決まっているでしょ、私が看病するのよ」
「え?」
全くの予想外な言葉が飛び出してくる。嬉しいとか安心するとか、そういう気持もあるにはある。でもそれ以上に、そんな事出来るのかという疑念が何より浮かんでいた。
「失礼ね! まず感謝とか喜ぶとかしなさいよ! 決めたわ、絶対看病する。そしてあなたの認識を改めさせるわ!」
ココロはビシッと俺を指差して看病するというのに何故かその相手に宣戦布告してくる。俺が思うのも何だけど、何で看病イベントでこんな展開になるのか。
「とりあえず、冷えピタとかないわけ?」
「……ない」
「いっつも、自分はちゃんとしていますよーって感じ出してくるくせに、甘いわね」
「そういうココロは持っているんだ」
「いえ、無いから今買ってくるのよ」
「……」
心の中ですらツッコむ気力がなかった。とりあえず、ココロがココロだのわかって安心する。
「そういえば病院は行ったの?」
「いや、面倒くさくて。でも、多分市販ので何とかなりそうだから」
「……じゃあ風邪薬も買ってくる。それと、何か食べたいものはある?」
自分の身体に聞いてみるがお腹の虫は鳴いていないし、その予感すらなかった。
「わかったわ。とりあえず何か食べなきゃだから私が用意する。それじゃ行ってくるわ」
「ちょ、まっ」
「あなたはとりあえず寝ていなさい」
俺は無理やりココロにベッドに押し込まれて、毛布に布団をかけられる。そして彼女はそのまま部屋を出ていってしまった。
「……」
さっき寝た前よりも熱が上がった気がする。苦しさもダルさも一緒に上昇していてもいて。
一人暮らしをしてから何度か熱で寝込んだ事がある。その時、いつも不安でいっぱいだった。
「けど今は……」
目を瞑りココロの事を考える。風邪で動けなくても彼女がいるんだ、そう考えると、そう考えると。
「やっぱり不安だ」
「本当に失礼な人ね。私の事を馬鹿にしすぎよ」
「うわぁ!?」
いつの間にか帰ってきていたようだ。レジ袋を持っているココロが部屋に入ってくる。
「とりあえずはい。冷えピタ」
「あ、ありがとう」
「それとポカリも、ちゃんと水分を取りなさいよ」
「は、はい」
俺は言われるがままにココロのお世話を受け入れる。
「後は……お薬の前にご飯よね」
「い、いいよ。そこまで迷惑は……」
「私がしたいからするのよ」
「いや、ええと。それ以上に問題というか、不安というか……」
「言っておくけど、病人にメロンパンを食べさせる事はしないから」
その言葉にかなりの衝撃を受ける。だって、食べ物関係でココロからこんなまともな発言が出るだなんて信じられない。
「何を作ってくれるの?」
「おかゆを作るわ」
「おかゆって……あのおかゆ? 何かのお菓子の名前じゃなくて?」
「あなたが私をどう思っているのかスイートわかったわ。しっかりと看病するから、わかったらそのふざけた口を閉じて安静にしていなさい」
「は、はい」
一抹の不安は残るものの思ったよりも大丈夫そうだ。彼女の言葉に甘えようと、そう決めれば一気に力が抜けてきて、また横になり少し目を閉じた。
「……」
するとキッチンの方から料理をする音が聞こえてくる。それだけで何だか実家にいるような気持ちにすらなってきた。すると、どんどん外側の音が遠くなっていって。
「……きて」
「う、ん」
「起きて、出来たわよ」
揺さぶられて目を開ける。身体を仰向けから横に姿勢を変えると、背の低い机の上には食事が用意されていた。おかゆとサラダ、それにオレンジのゼリーがある。
「本当に……おかゆを作れたんだ」
「当たり前でしょ、このくらい。さぁ起きて食べて。それと飲み物もね」
ベッドから這い出て食卓につく。向かい側にココロも座って、彼女はミルクティーを飲む。
俺はそれにならってまず水分を取ってから、ゆっくりとおかゆを口に入れる。変な味とかはせず、思った通りの味が出てきて安心した。自分でも気づいていなかったのだけど、意外とお腹が空いていたらしく一瞬で平らげてしまう。
「どう? 私だってこれくらいは出来るのよ?」
「あはは……そうだね。おみそれしました」
「ふふん、わかればいいのよ」
ドヤ顔をする。何だか子供が頑張ってお手伝いしてくれたような感じがしてしまう。
「……まだ子供扱いするのね。面白いじゃない、その考え絶対変えてやるから」
何やら燃えている彼女を横目にオレンジのゼリーを食べて、用意してもらったものは完食する。
「ごちそうさまでした」
「お湯を沸かしておいたんだけど、それでお薬飲む?」
「う、うん」
そしてココロがコップを持ってきてそこに白湯を注いでくれる。
「あなたって猫舌よね……ふぅーふぅー」
「そ、そこまでしなくても」
息を吹きかけて白湯を冷ましてくれる。こんな事されたの小学生以来だ。
「あなたは大人しく私にお世話されてていいの。はい、少しは冷めたでしょ」
「あ、ありがとう」
流石に同い年の子にそこまでされると、照れるというか恥ずかしい。それを誤魔化すように俺は手早く薬を口に含んで白湯で流し込んだ。
「他に食べたい物とか欲しい物とかある?」
「特に無いかな。今はとにかく横になりたい」
「わかったわ。でも、何かして欲しい事が出来たらいつでも言って」
「うん、ありがとうココロ」
俺は覚束ない足取りで倒れ込むようにベッドに入る。そして掛け布団に埋もれて、俺は目を瞑った。
薬のおかげか風邪のせいか、それともココロの存在によるものか、すぐに眠気がやってきて一瞬で夢の中へと引き込まれた。
◇
「う……ん」
どのくらい寝たのだろうか。記憶にないが変な夢を見た気がして、そのせいで起きてしまった。身体の方は、少しだけ寒気と倦怠感が薄れているようだった。
「……こ、ココロ?」
目を開けるとココロが心配そうに俺を見つめていた。
「大丈夫? スイートうなされていたみたいだけど」
「あはは……大丈夫大丈夫。変な夢見てたと思うんだけど、もう忘れちゃった。心配かけてごめん」
「体調の方は大丈夫なの?」
「少し楽になったかな」
そんなやり取りをしている中でようやく意識がはっきりしてきて。ふと俺の右手に小さくて柔らかく、温かな感触がある事に気づく。
「手、握っててくれたんだ」
「……あなたが辛そうにしていたから仕方なくね」
「そ、そっか……ありがとう」
くすぐったい気持ちになる。照れくさいやら恥ずかしいやら、でも何より嬉しかった。
「そういえば、今って何時?」
「午後五時くらいよ」
そう答えながらココロは俺から手を離す。何だか急に温もりが消えてしまい寂しさすら感じる。けれど、微かに握られていた感覚は残り続けていた。
「もしかしてずっとこの部屋に居てくれたの?」
「当然でしょ。目を離した時に何かあったら、夢見が悪いもの」
「そんな長い時間……退屈じゃなかった?」
「大丈夫よ。スマホもあるし、それだけじゃなくてあなたの本をいくつか読んでいたから、退屈にはならなかったわ」
ココロは俺の本棚から取り出したのであろう本を一冊ひらひらと見せてくれる。どうやら、それは心理学についての本についてだった。
「ココロもその手の本に興味あったり?」
「いえ? 本は良く読むけれど、今日私がしていたのは、あなたが変な本を私に秘密で買っていないかチェックするためよ」
「……な、なるほど。でも、大丈夫だったでしょ」
彼女に食生活改善のために料理を作るように、ココロも俺が変な本を買わないようチェックしてくれていた。
「ええ。残念だったけれど」
ココロはパタンと本を閉じる。そしてふっと息を吐いた。
「熱、一応測って」
「う、うん」
体温計を受け取って、俺はそれを脇に当てた。本当に測れてるかなと不安になった頃に、ピピと音が鳴り、確認すると微熱程度になっている。
「おお、結構下がった」
「すぐに良くなったわね。本当にちょっとした風邪だったみたい」
「うん、変なウイルスとかじゃなさそうで良かった。ずっとココロにうつしたらって思って怖かったから」
そう言うとココロは肩をすくめて呆れたように微笑む。
「まったくもう。こんな時くらい自分の事だけ考えなさいよ。疲れないの?」
「そりゃあそうだけど。ココロの事を考えちゃうんだから仕方ないじゃん」
「……へ、変な事を言わないでくれる?」
「いや、そういう意味じゃなくて……普通に友達として心配というか」
急に顔が熱くなってくる。まさかまた熱が高くなって。
「そんなわけないでしょ。というかそんな恥ずかしがらないでくれる? こっちまで変な風になるじゃない」
「ご、ごめん」
「とにかく、まだ熱はあるんだから大人しくしておきなさい」
ココロは突然に俺の額をコツンと押してベッドに横たわらせてくる。
「でももう結構良くなったし、自分で――」
「いいえ、ここまできたら今日は最後まで付き合うわ。このままなら明日には良くなっていそうだしね」
「……」
絶対に譲らないという強い意志があって、どうにもならなそうだった。
「わかった、じゃあ寝るまではお世話になろうかな」
「ええ。任せて」
ココロはニッコリと微笑んだ。それを見ると自然と力が完全に抜けて、心も彼女に寄りかかる事に決めた。もう大丈夫だと理解したから。
「食欲のほうはどう? あるなら何か買ってくるけど」
「うん、お腹空いた。えーと、そばを食べたいかな。それと飲み物も、オレンジジュースとか」
「わかったわ。じゃあ買ってくるから待っていてね」
ココロはくるっと回って部屋から出て行こうとする。その彼女の後ろ姿を見て、ふともう一つ欲しい物を思いつく。
「あと……メロンパンが食べたいな」
「……! わかったわ! 行ってきます!」
そう聞くとココロは弾んだ声音と足取りで部屋を出ていった。それを見届けてから俺は天井を見つめて、それから再び目を瞑る。
眠りに落ちる寸前にココロが帰ってくる音がして俺は目を開けた。
「買ってきたわよ! 早速、食べる?」
「……うん」
何だか俺よりも食べたそうにしていて、少し笑ってしまう。俺は起き上がりココロと向き合う形で座った。机にはそばとオレンジジュース、そしてメロンパンが置いてある。さらにはそのセットはもう一つあって。
「ココロも同じのを買ったんだ。菓子パンを沢山食べるのかなって思ったんだけど」
「……あ」
ココロは今さら気づいたというような呆けた声を出して目をパチパチとさせる。
「うぅ……最近はあなたと同じ物を食べていたから、その流れでつい。スイート悔しいわ、沢山食べるチャンスだったのに」
「……そんなに後悔するなら、そば、食べなきゃいいんじゃない?」
「いいえ。もう買っちゃったのだし、消費期限も近いから食べるわ。それに、メロンパンを大量に食べたら、あなたがまた余計な事を考えそうだから」
「あはは……お気遣いありがとう」
そう少し残念そうにしながらもココロは、そばを食べ始めて、さっさとメインに行くように早食いをする。食べ切ると次はメロンパンへ向かい、かぶりつく。するといつもの事ではあるが、心底幸せそうな表情をする。それを見るとさらに食欲が刺激されて、俺も食べ始めた。
「……」
風邪のせいで味が微妙に分かりづらいけれど、何とか味を感じられるようにしながら食べた。メロンパンも同様で、少し損した気分になる。
「可哀想に、メロンパンの味がわからないなんて」
「……そんな深刻な問題じゃないからね」
「私だったらスイート絶望するわ」
その光景は容易に想像出来てしまい、少し笑ってしまう。
「笑い事じゃないのだけど……」
「ははっ、ごめんごめん」
「でも、その様子だとかなり元気になってきたみたいね」
「うん、かなり良くなってきたんじゃないかな」
再び熱を測るも、そこまで下がってはいないが身体の方はかなり平常時に近くなっていた。その間にココロが白湯を入れてくれて、俺は薬を飲んだ。
「……もう大丈夫そうね。ゴミを片して私は帰るわ」
「今日は本当にありがとう。おかげで寂しくなかったし、助かったよ」
「別に、私がしたくてしただけよ」
ココロはクールな感じで返答する。
「今度お礼じゃないけど、沢山お菓子とかプレゼントするよ」
「ほ、本当っ!」
一瞬でココロは子供みたいに喜んで瞳を光らせる。
「その時は、料理は作らないから好きなだけ食べていいよ」
「スイート嬉しい! あなたを看病して良かったわ! ふふっ、これからも風邪になったら助けるわ、お菓子のために!」
「ははっ、その時はよろしく」
そう言ってくれるのはとても嬉しく心強いが、お菓子目的だと少し複雑でもある。
ココロはるんるんと軽やかな足取りで鼻歌を歌いながら、片付けと洗い物を済ませる。
「そろそろ帰るわ。もし何かあったら呼んで」
「うん、ありがとうココロ」
俺はココロを見送るために玄関まで足を運んだ。
「約束、忘れないでね」
「もちろん」
「じゃ、お大事にね。」
パタンと優しくドアを閉めてココロは隣の部屋へと帰って行った。彼女のおかげで何もする事がないので、寝る準備をする。
「エアコンつけるか」
体調が良くなったからか正常に暑さを感じるので、エアコンのスイッチをオン。ちゃんと切タイマーをつけたのを確認してからベッドの上に横になった。そして身体を完全に回復させるために目を瞑り眠りを待つ。
「……」
そうしていると自分自身の感覚に意識が向いていく。もうダルさも寒気も、熱っぽさもほとんどなくなっている。明日には元気になれているだろう。
こんなに早く回復出来たのはココロのおかげで、彼女が隣にいてくれて良かったと改めて感じた。
「あったかい……」
熱は下がった。でもその代わりに俺の手に、心にココロの優しさという温もりが残っている。
そして、その温かさは俺の意識がなくなるまでずっと包み続けてくれた。
今日はココロとの夢を見れそうだ。



