花を生けるはずが、恋が育ちました。〜幽霊部員だった俺が、部員二人の華道部で一軍男子に完全敗北するまでの話〜

 「……もう無理」

 駅のホームのベンチにうなだれて、深いため息を吐こうとした時。

 ブブッ、ブブッ。

 ポケットの中のスマホが震えた。
 ポケットから引っこ抜いて見れば、画面には『柊珂』の二文字。

 「うわぁぁぁぁ!!」

 スマホを放り投げる寸前で思いとどまって、変な体制のまま叫んでしまった。
 通行人たちがチラチラと俺を見る。……最悪だ。恥ずかしすぎる。

 ってか、なんで電話!? 無理無理無理無理。俺まだ心臓治ってないんだけど!

 気づいてないフリして無視する? いやでも、ここで無視したら俺が怒ってるって思われる?
 てか、そのまま帰ってきちゃったし怒ってる!?
 ……あ!もしかして今夜のゲームどうするかって話だったりする!?

 ええい! もうどうにでもなれ‼
 画面が消えそうになったタイミングで通話ボタンをタップした。

 「……も、もし、もし?」

 『樹、 ──今、どこ』

 「えっ? あー、どこって……駅、だけど。お前から電話してくるなんて珍しくね? どうかした?」

 とりあえず怒ってなさそうなのはよかった。けど、スピーカーから柊珂の低い声が聞こえてきただけで、頭が真っ白になりそうになる。

 『……そこ、動くな』

 「え? ちょ、おい──」

 俺が言うより早く電話は切れていて、通話終了の文字が無情にも画面に表示されていた。

 ……え? は? いや、なんて? 動くなって言った? ここで? 待てってこと?

 スマホを握りしめたままベンチから立ち上がっては、また座る。
 パニックになって、その場であたふたしているうちに、自動改札の向こうから見慣れた長身が走ってきた。

 「……よかった、樹いた」

 柊珂は少しだけ肩で息をしながらまっすぐ俺を見ていた。
 いつもはサラサラの黒髪が今は無造作に乱れていて、それだけで無駄にかっこいいんだから本当にこの男は罪深い生き物だと思う。

 「お、お前が動くなって言ったんだろ」

 走ってきたのは柊珂の方なのに、俺の方が心臓がバクついてるんじゃないか?
 柊珂の顔をまともに見れなくて俯いていたら。

 「……ごめん」

 「……は?」

 いきなり頭上から降ってきた謝罪に意味が分からなくて、顔を上げる。
 柊珂は一度視線を逸らして、小さく息を吐いた。

 「……俺のせいで、怪我させた。マジで悪かった」

 「お前……、それ言うためにわざわざ?」

 「当たり前だろ」

 そんなにまっすぐ即答するのは反則だろ。
 いつもは冷めてるはずの切れ長の目が、今は見たことがないくらい真剣に俺だけを映していて、まともに視線を合わせていられない。

 「な、なんだよそれ! ばんそう貼ったからもう治ったんだって!」

 突き出した左手を、柊珂は一瞬だけ切なそうに見つめてから、少しだけ声を落とした。

 「……明日、放課後空いてる?」

 「え? 明日?」

 「文化祭、明後日だろ。だから明日しかチャンスがない」

 「……あ、そうじゃん」

 ここんとこ今日の花の買い出しと「共同作品」のことで頭がいっぱいで文化祭がいつかなんてすっかり忘れてた。

 「明日の放課後も理科室開けてもらえるように顧問に頼んで来たから。だから……明日、来てくれる?」

 「い、行くに決まってんだろ。……っていうか、お前、もう一人で生けちゃったのかと思ってた」

 あんな風に逃げちゃったから、呆れられて、全部柊珂が一人で終わらせて帰ったんだと思ってた。
 そしたら、あいつは少しだけ目を見開いて、それからいつものちょっと意地悪そうな顔で口角を上げた。

 「俺一人で完成させたら、樹が拗ねるから生けるわけないだろ」

 「はぁ⁉ 拗ねねーし! 俺そんな子供じゃないし!」

 「確実に向こう一週間は根に持つ」

 「持たねーよ! なんだよお前、俺のことなんだと思ってんの⁉」

 ムカついて思わず一歩詰め寄ったら、柊珂は「嘘」とだけ言って、今度は優しく笑った。

 「……共同作品だろ。お前がいないと意味ない」

 ……反則だろ。
 さっきまで焦りはもう感じられなくて。今の柊珂は花を見るときよりもずっと柔らかい表情をしていた。
 その顔があまりにも綺麗で、泣きそうになるくらい安心する。
 張り詰めていた胸の奥の塊が、すっと溶けていくみたいだった。

 「……、俺が上手すぎて妬くなよ」

 「楽しみにしてる」

 ホームに滑り込んできた電車にいつも通りロングシートに並んで座った。
 電車の揺れに合わせて、柊珂の肩がときどき俺の肩に軽く触れる。
 さっきまでならその度に「うわあああ」って心臓が爆発しそうになってたはずなのに、今は不思議と、そのかすかな体温が心地よかった。

 「なぁ、ひまわりって、やっぱり真ん中にドカンっといきたいよな」

 「今回の主役だからな」

 「あの……お前っぽいって言った、青い花。あれも主役にしようぜ」

 「デルフィニウム?」

 「それそれ。それをなんか、ふわっとひまわりを囲むみたいにさ。そしたら絶対キレイじゃん」

 「俺"ら"の作品だもんな」

 真面目な顔でそんなことを言うから、またちょっと調子が狂う。
 それでも、明日生ける花のことを話しているだけなのに、なんだかすごく特別な、二人だけの作戦会議みたいで、胸の奥がずっとくすぐったい。

 いつもみたいなゲームの話は一切出てこなかった。それなのに俺たちの話は尽きなくて。
 最寄り駅なんて、まだ来なくていい。
 電車がもう少しだけゆっくり走ってくれたらいいのにと、本気で思った。


 ◇


 「三雲、今日こそカラ――」

 「行けねぇ!」

 「まだ言ってねぇ!」

 「……あ、」

 教室中が静まり返る。教室の前の方で柊珂が小さく肩を揺らしているのが見えた。
 ……柊珂が教室で笑ってる。
 それだけで俺の表情筋は仕事を放棄したんだと思う。

 「お前、今日朝からおかしくね?」

 「ずっとニヤけてる」

 「ニヤけてねぇよ!」

 松田と長瀬が俺の顔を覗き込んでくるから、慌てて口元を押さえる。
 いや違う。
 別にニヤけてるわけじゃない……はず。

 ただ、今日の放課後がちょっとだけ楽しみなだけで。
 一日のうちに何回時計を見たか分からない。

 授業の内容なんて、右の耳から左の耳へと綺麗に通り抜けていった。

 「柊珂行くぞ!」

 キーンコーンカーンコーン、と待ちわびた放課後を告げるチャイムが鳴った瞬間、俺は誰よりも早く席を立った。

 「あ、三雲──」

 「わりぃ、今日部活!」

 クラスメイトたちが「今日木曜日じゃねえぞ!」と野次を飛ばすのを全部置き去りにして、柊珂を引きずるようにして理科室に向かう。

 「走らなくてもいいだろ」

 「花が待ってる!」

 理科室の扉を開けると、机の上にはバカデカい花器が昨日のまま置いてある。その横には水に浸けられたひまわりとデルフィニウム。
 昨日より元気そうに見える。

 「っしゃ! やるぞ柊珂!」

 「樹、ちょっと待て」

 「なんだよ」

 「指、大丈夫なのか」

 柊珂が昨日と同じ顔をして俺の左手を覗き込んできた。
 意外と心配性だな。

 「見ろ。俺の渾身のなめパンダ!」

 ばんそうこうが貼ってある親指をピッと立てて見せる。

 「お前、これいつ描いた」

 「え? 授業中。似てるっしょ?」

 「……真面目にやれよ」

 柊珂は呆れたようにため息をついてから、「心配して損した」なんて、また優しく笑った。

 ……だめだ。
 このままだと本当に文化祭が終わるまで花一本生けられない。

 「よし!」

 「やる気だな」

 「ギリギリの方が燃えねぇ?」

 「わかる」

 「え、お前わかるの?」

 「樹ほどじゃない」

 「なんだよそれ!」

 「ほら、ひまわりから生けるんだろ」

 ん、とひまわりが差し出される。
 手を伸ばしかけて――止めた。

 「……ひまわりは柊珂が生けろ」

 「は? じゃあお前どうすんの?」

 「俺がデルフィニウム生ける」

 「……名前、覚えたんだ」

 ……柊珂の花だからな。なんて、言えるわけがない。

 「当たり前だろ! 何回聞いたと思ってんだ」

 「三回くらい」

 「もっと聞いてる! ……いいから早くやれ!」

 「暴君かよ」

 そう言って眉を下げて笑う柊珂。
 あー、もう本当にこいつの笑った顔はずるい。今日も結局、花より柊珂を見てしまう。

 パチン、と小気味いい音がして、柊珂が大輪のひまわりを花器の真ん中に挿した。
 迷いなんて一切ない、綺麗な手つきだった。

 「よし、次は俺の番な」

 俺はもう一つの主役――デルフィニウムを一本手に取って、ハサミを構えた。

 「樹、もう少し茎を長めに残した方が、全体のバランスがいい」

 「これくらい?」

 「いや、あと2センチくらい下。──ここ」

 柊珂の長い指先が、俺の手にかすかに触れる。
 一瞬、心臓がトクン、と大きく跳ねる。

 昨日だったら、この距離感だけで頭が真っ白になって、ハサミを放り出して脱兎のごとく逃げ出していた。
 でも今は、柊珂の指先から伝わるかすかな体温を、じっと皮膚の表面で受け止めている自分がいる。

 ……っていうか、柊珂、全然手を離さないんだけど。
 え、俺が意識しすぎなだけ?

 「……ん、じゃあ、ここで切る」

 パチンッと切って、花器に手を伸ばしたとき名残惜しそうにゆっくりと柊珂の指先が離れた。

 ……ってなんで俺までがっかりしちゃってんだ。今は花!

 意識を花に集中して、ひまわりの隣に青を一本添えた。

 「次。俺が切るから、樹が挿せ」

 「ん」

 柊珂が切ったデルフィニウムを一本ずつひまわりのまわりに添えていく。
 花を受け取るとき、お互いの指先が触れる。そのたびに、お互いほんの少しだけ息が止まったのが分かった。
 でも、俺も、柊珂も、慌てて手を引くことはしなかった。

 「……いいじゃん」

 「おう。悪くない」

 主役二種を生けただけで、理科室の空気がパッと華やいだような気がする。――なんて大げさだろうか? いや、絶対大げさなんかじゃない。

 「めちゃくちゃキレイ。もうこれで完成でいいかも」

 「ダメ。全部生けるって言っただろ」

 柊珂はモンステラ(だった気がする)に手を伸ばした。

 「だよな」

 俺も別の草に手を伸ばす。名前は知らん。
 特別な会話なんて、無かった。
 ただ、パチン、パチン、と理科室に響くハサミの音が、不思議なくらい心地いい。

 「樹、そこ押さえて」

 「うぃ」

 「ありがとう」

 「え」

 「……なんだよ」

 「いや、柊珂ありがとうって言うんだな」

 「言うだろ」

 「なんかレア」

 「うるさい。それ早く生けろ」

 「暴君はどっちだよ。なぁ、最後の一本くらい一緒に生けようぜ」

 昨日の俺なら、絶対こんなこと言えなかった。触れられるだけで逃げ出してたくせに。
 ……人って、一日でこんなに変わるもんなんだな。

 「……生意気」

 そう言いながらも、柊珂は俺の手に自分の手を重ねた。

 「……すげぇ。本当にできた」

 ひまわりの黄色を囲むように、青いデルフィニウムが伸びている。
 俺一人じゃ絶対こうはならなかった。たぶん、柊珂一人でも。

 「これ、やばくね?」

 「……うん。やばい」

 柊珂は完成した花を見つめたまま、小さく頷いた。
 俺たちの語彙力は、この最高傑作の前に完全敗北して死亡したらしい。さっきから「やばい」しか言ってない。でも本当にやばいんだから仕方ない。

 っていうか、最後の一本を一緒に挿したときの、柊珂の手のひらの熱が、いまだに俺の手の甲に残っていて、それも地味にやばい。

 「明日、これいろんなやつに見られるんだよな。なんか変な感じ」

 「そうか?」

 「だって、俺らの、だし」

 自分で言っててちょっと恥ずかしくなって、そっぽを向く。
 柊珂はまだじっと花を見つめていたけど、ふ、と視線を落として、それからゆっくりと俺の方を振り返った。

 「樹」

 「ん?」

 「明日の文化祭、」

 柊珂はそこまで言って、黙り込んだ。視線が泳いで、なかなか続きを言う気配がない。
 俺がなんか言った方がいいやつ? でも、なんて?
 と、思っていたら真っ直ぐに視線が絡み合った。

 「樹と回りたい」

 「え? あー、みんなで? 松田たちも柊珂いたら喜ぶんじゃ――」

 「みんなじゃなくて」

 柊珂が、俺の言葉を遮るようにして、一歩、距離を詰めてきた。
 おい待て。その、いつも冷めてるはずの切れ長の目が、なんかめちゃくちゃ真剣なんですけど。

 「樹と二人で回りたい」

 「……マジ?」

 「ダメ?」

 ……ずる。反則。有罪。

 「……ダメじゃない、けど、」

 「けど?」

 「……焼きそばだけは絶対行くからな」

 「うん」

 「あと、わたがし」

 「うん」

 「……スーパーボールも」

 「うん。了解」

 嬉しすぎて顔が火傷しそうだ。どうしよう。明日、めちゃくちゃ楽しみすぎる。

 「明日、楽しみだな」

 「……ん」

 柊珂も同じなんだ。それがもっと嬉しくてたまらない。

 生けられたひまわりとデルフィニウムたちが、さっきよりもずっとずっと綺麗に見えた。
 その隣で笑う柊珂から、どうしても目が離せない。

 ――ああ俺、柊珂のことが好きなんだ。