花を生けるはずが、恋が育ちました。〜幽霊部員だった俺が、部員二人の華道部で一軍男子に完全敗北するまでの話〜

 「……あいつ、また逃げた」

 誰もいなくなった理科室で、ぽつりと呟いてため息を吐く。

 机の上には、水を張っただけのデカい花器。
 結局、買ってきた花は一本も生けていない。

 このまま一人で生けていしまおうか。
 もともとこの部活、俺一人しかいないようなもんだったし。

 「ねぇ吾妻くん、なんで華道部選んでくれたの?」

 入部してすぐの頃、顧問にそう聞かれたのを思い出す。

 もともと花に興味があったわけじゃない。
 せっかく女子のいない男子校を選んだのに、1年生は部活に入部必須とかいうクソみたいな校則があったのは罠だと思う。
 運動部は無駄に大声を出さなきゃいけないから論外だし、美術部で絵を描けるほどの芸術性も持ち合わせていない。消去法で消していって、途方に暮れていた時に見つけたのが部活紹介で飾られていた生け花だった。

 「部活紹介の花、綺麗だったんで。あんな風に生けられるようになりたくて」

 「あら嬉しい! あれ私が生けたやつなの!」

 「……は? 先輩が生けたんじゃないんですか?」

 「違うわよ! 見ての通り、先輩たちなんて一回も来てなもの!」

 完全に騙された。
 いや、俺が勝手に勘違いしただけなんだけど、無性にムカついた。
 そのムカつきだけで、意地でも上手くなってやろうと毎回欠かさず参加しているだけだった。

 買ってきたままの状態のひまわりとデルフィニウムが机の上に並んでいる。
 他の花材もあるのに、その二つだけがやけに目に入る。

 さっさと生けて帰ろう。
 そう思ったのに、ひまわりに伸ばそうとした手が空中で止まる。

 ……やっぱり、だめだ。
 一人で完成させたら樹が「俺のひまわり勝手に生けた!」とか言って、拗ねる。あいつが拗ねたら面倒くさそうだし。

 ……ってそうじゃないだろ。
 面倒くさいなんて、嘘だ。本当は、ただ単にこれ以上あいつに逃げられたくないだけだ。


 ◇


 学校なんて、ただ通うだけの場所で、クラスのやつらとも、必要以上に群れる気はなかったはずなのに――。

 「吾妻、今日このあと駅前にラーメン食いに行くんだけど、一緒にどう?」

 「パス」

 「だ、だよなー! じゃあ、また明日な」

 話しかけられたら返す。それでも自分から話を広げるのは面倒だし、相手に興味もない。いつしか周りが勝手に俺のまわりに壁を感じて離れていく。それが当たり前で、それが一番楽だった。

 「柊珂! 昼飯食いに行こうぜ!」

 そんな俺の防壁を、跡形もなくぶち壊して突撃し続けてきたのが三雲樹だった。

 「今行く」

 「っしゃ! 購買の焼きそばパン、今日こそ勝ち取るからな! 柊珂、手長いから俺の分も取って!」

 「今日だけだからな」

 「マジで⁉ やったーー! 柊珂大好き!」

 うるさい。こいつのテンションは、いつも俺の予測の遥か上をいく。
 陽キャという生き物は、みんなこんなもんなのか?
 平気で大好きと言って、軽々しく肩を組む。
 こいつこそ絶対華道部ってキャラじゃないだろ。

 他のやつらなら、俺に話しかけるとき、いつもどこか遠慮がちで、俺の顔色を伺う。それか、俺の無愛想な一言で引き下がるのに、樹だけは最高の笑顔で、休み時間の度、昼休みの度、当たり前みたいに俺の席にやってくるようになった。

 いつの間にか、チャイムが鳴るたびに、教室の後ろの席から樹がこっちに歩いてくるのを、待っている自分がいた。

 樹の周りには、いつも自然と人が集まっていた。
 放課後のチャイムが鳴った瞬間、樹の周りをクラスメイトが囲む。

 「三雲、カラオケ行こうぜ。今日部活ないだろ?」

 「わりぃ! 今日は柊珂と限定ダンジョン回る約束あるから!」

 「は? また吾妻? 夜やればいいだろ。 カラオケは今しか行けねぇぞ」

 「今度はぜったい行くから! 柊珂! 行こうぜ!」

 部活をサボってでも誰かと遊びに行っていた樹が、クラスメイトからの誘いを断って、俺の隣を歩く。
 駅までの道、俺の歩幅に合わせて少し早歩きになるのが可愛いと思うようになったのはいつからだろう。
 樹のリュックで虚無顔パンダが揺れる。それを見る時間が心地よくて、俺の歩幅は気づけば緩まっていた。


 ◇


 「せんせー、これでいっすか?」

 「三雲くん今日も上手ねぇ! はい合格!」

 部活の度、樹は「タイムアタック!」とか言って見本そっくりの花をたった数分で生け終わる。
 終わったら、帰ればいいのになぜか絶対に先に帰ろうとしなかった。

 「お前、もう帰っていいだろ」

 「ログインボーナス回収してないから」

 そんなのいつでもできるだろ。とは言えなかった。

 自由すぎる顧問はいつの間にかいなくなっていて、俺がパチン、と茎を切る音と、隣の机から樹がスマホをタップする小さな音だけが放課後の理科室に響く。

 ふと、視線を感じて横を見ると、樹がゲームの手を止めて、俺の手元と俺の顔を交互に見ていた。

 「なに」

 「いや……柊珂が花持ってる時、なんか普段より優しそうな顔すんなと思って」

 「……してない」

 「あ! ほら、今もちょっと口角上がってるし。イケメンが花生けてるとか、マジで絵になりすぎてムカつくわー」

 ケラケラと笑うあいつの顔が、夕暮れの理科室の光に照らされて、やけに綺麗に見えた。

 「……お前の方が」

 「え? なに?」

 「……なんでもない」

 言えるわけがなかった。
 たまに樹が部活に来ても、俺は自分の花を生けるのに手いっぱいだったし、何よりあいつに興味なんてなかった。
 それなのに、あいつが花を生ける姿を初めて見た時、あいつが俺の手に触れてきた時。あの時から、俺の中の何かが変わっていた。

 「柊珂、これなんて名前の花?」

 「ゼラニウム」

 「柊珂は何でも知ってるな」

 「顧問がさっき説明してただろ」

 「そうだっけ? 柊珂から聞くと忘れないんだけどなー」

 そんなことを言ったり、花を生けながチラチラ俺の顔を見てきたりするのは本当にずるい。そういうの、あいつはきっと全部無意識にやってるんだから、テロリストなんじゃないかと思う。
 そもそも、花を生けて絵になるのは、あいつの方だって言ってやりたい。

 最初は、ただの興味だったはずなのに。
 気づいた時にはあいつが俺の名前を呼ぶ度に俺の中の何かがぐちゃぐちゃにかき乱されて。

 ――樹と初めて話したあの日から、花なんて見てなかった。

 本当は、樹が他のやつらと楽しそうに話してるのを見るのも、俺以外のやつと遊びに行くのも、全部嫌だ。俺だけを見ていてほしい。
 いつしかそんな重すぎる感情を抱いていた。
 でも、そんな独占欲は重すぎて、樹に嫌がられたくないから、必死に隠して自制していた。

 なのに、月曜日からいきなり避けられた。
 目が合えば音速で逸らされ、声をかけようとしても逃げられる。何か気に障ることしたのか?
 自分から他人にぐいぐい話しかけたことなんて一度もないから、どうしていいか本気で分からなくて、ここ数日まともに寝られないくらいには焦って、傷ついていた。


 ◇


 「……樹、行くぞ」

 今日の放課後、あいつに声をかけるとき心臓が爆発しそうなくらい緊張していた。もし拒絶されたら、その場で立ち直れなくなるかもしれないと本気で思ったくらいだ。

 「あ、あぁ、うん! 行く行く! もう放課後かー! 早いな! いやー、なんか曜日感覚バグっててさ! 今日が木曜日ってこと完全に忘れてたわ!」

 立ち上がりながら、裏返った声でよく喋る。お粗末すぎる言い訳だった。

 でも、安心した。嫌われたわけじゃなかった。
 そう分かった瞬間、視界のモヤがすっと晴れていった。ひまわりが「樹っぽい」なんて柄にもないことを言ったのは妙な全能感のせいだ。……樹にデルフィニウムが俺っぽいと言われたのの仕返しも少しはある。
 真っ赤になった樹は、俺の理性をぶち壊すのには十分すぎた。

 それなのに、あいつのほうから「やるか!」と距離を詰めてきてくれたのが、素直に嬉しかった。嬉しくて、ここ数日の飢餓感のせいか、ずっと理性で抑え込んでいた衝動のタガが外れた。

 包み込んだ樹の身体は思ったより細くて、あたたかくて、離したくないと思った。
 思ったのに――俺のせいで樹に怪我をさせた。

 あいつの手から血が流れた時、死ぬほど焦った。
 掴んだあいつの左手は小さく震えていて、さっきまでの全能感は罪悪感で塗りつぶされていた。

 「……なんでそんな焦ってんの」

 蛇口から流れる水の音にかき消されそうな樹の掠れる声が聞こえた時、胸が締め付けられた。

 「だって、これくらい別に……」

 「樹だからだろ」

 樹だから大切にしたかったのに。近づきたかった。もっと触れたかった。
 その欲のせいで傷つけた。怖がらせた。

 ……最低だ。
 頭を抱えて、深くため息を吐く。

 「ばんそうこう貼れば一瞬で治るわ!」なんて真っ赤な顔で強がって、嵐みたいに逃げていった樹の残像が、脳裏に焼き付いて離れない。

 樹の指を包んだハンカチをギュッと握りしめる。

 あいつは俺のことだだの友達だって思ってるんだろう。
 でも、俺はもう……、樹をただの友達として見ることはできない。

 とりあえず明日の朝謝ろう。
 いや、それじゃ遅い。

 ポケットからスマホを取り出す。

 『樹』

 画面に表示された名前を見つめて、一度だけ深く息を吐いた。

 ……謝らないと。

 通話ボタンを押した。