花は逃げない。
けど、花に罪もない。
もしかして、俺が今使わなかったらこの花たちって捨てられるんじゃないか?そう思ったら、なんだか申しわけなくて、目の前の花たちを手持ち無沙汰にいじることにする。
華道なんて、ぶっちゃけ用意された見本と同じように針山に花をぶっ刺すだけのイージーゲームだ。
他の部活みたいに「何時から何時まで」なんて地獄の拘束ルールは一切ないから、模造品を作って顧問のオッケーが出れば即帰れる。
週一のうえ、こんなイージータイムアタックが許されるなんて最高すぎないか?
俺は黒板の前に置かれた見本をチラチラ見ながら、迷いなくハサミで切って花を挿した。
ものの五分で、今日の模造品が出来上がった。
うん。見本そっくり。
これなら顧問もオッケー出してくれるな。まあ、あの顧問何でもオッケーくれるんだけど。
窓の外はまだ雨が激しく降っていてすぐには帰れそうにない。
それなら、存分に涼ませてもらおう。俺は、ポケットからスマホを引き抜いてログインボーナスを回収する。
「なんだ、できるのか」
低い、よく通る声がして、ビクッとして肩が跳ねた。
見ると、吾妻が手元のハサミを止めて、じっと俺の生けた花を見つめている。
「え? 何が?」
「華道」
「見たまんまやるだけじゃん」
「それができないんだけど」
一段と低く落とされた声。切れ長の目が、まっすぐに俺を捉える。
おい待て。喧嘩売られてんのか? もしかして、ディスられてる?
気まずさを誤魔化したくて、吾妻の生けている花を見た。まだ半分くらいしか花が刺さっていない。
「リンドウの角度がムズい……」
ハッとして顔を上げると、吾妻は手元の紫の花とハサミを交互に見ている。
本気で悩んでいるのか、小さくため息まで吐いた。
「それ、リンドウっていうのか……」
「……は? お前マジで花の名前知らないのか?」
「知らん」
「……なんだよ。それ」
吾妻はそう言ってふわりと柔らかい顔をして笑った。
おい。教室でのあの近寄りがたい無表情はどこ行った。「なんだよ。それ」って俺の方が言いたい。
今の吾妻の顔、女子だけじゃなくて全人類の心臓が止まってしまうんじゃないかってくらい顔が良すぎる。
それなのに、当の本人はすぐにいつもの顔に戻って、リンドウの切断個所を決めたのか、ハサミがすっと動く。
「あ!!」
俺の声に驚いたのか吾妻の手が止まる。
「そこだと、花がジャキジャキになる」
「は?」
「こうだって」
気づけば吾妻が握っていたハサミの上に、俺の手が重なっていた。
冷房でキンキンに冷えた部屋のはずなのに、触れた吾妻の手は、驚くほど熱い。
「ここをパツッと切ってさ、見本みたいにグイって倒すの。ほら」
重なった手ごと、吾妻の指を少しだけ動かして、リンドウを剣山にぶっ刺す。
「……なるほど」
至近距離。吾妻は手を振り払うでもなく、重なった手元をじっと見つめたまま、低くていい声で呟いた。
ハサミを握ったままの吾妻の指先が、ほんの少しだけピクリと動く。
「お前意味不明なのに生けるのは上手いのな」
「意味不明ってなんだよ! ノリと勢い! 大事だろ!」
俺がそう言うと、吾妻はまた、さっきみたいにふっと小さく笑った。
……いや待て。今さらだけど、距離が近すぎる。
だめだ。こんな造形美を間近で摂取し続けたら死ぬ。急に恥ずかしさが限界突破して慌てて手を離した。
やってしまった。こいつは松田たちとは違う。カースト最上位、住む世界の違う吾妻柊珂だ。馴れ馴れしく触って、キモがられたらどうしよう。
一気に冷や汗が吹き出す俺の前で、吾妻は、俺が教えた通りの角度に収まったリンドウを見つめて、また満足そうに小さく笑っている。
な、なんだよ……。怒ってねーのかよ……。
部屋は肌寒いくらいなのに、俺の耳の後ろだけが、さっきから妙に熱い。
沈黙。
気まずい。死ぬほど気まずい。
一刻も早くこの場から逃げ出したいのに、机の隅に置いたリュックで、あの虚無顔のパンダがのんきにブラブラと揺れている。
「あらぁ! 二人とも上手ねぇ!」
最高に気まずい沈黙を破ったのは顧問の声。ありがたい。今だけは天使の声に聞こえる。
オッケーサインを無事貰って、今日のタイムアタックは強制終了。
外に出ると、豪雨もいつの間にか止んでいる。
「じゃあな」と校門で別れようとした、その時。
「俺もそっちだから」
吾妻が当然のように隣に並んできた。
マジかよ。こいつと二人きりで駅までウォーキングとか、何の罰ゲームだ。
気まずさに窒息しそうになりながら、俺は必死に話題を探した。
「……お前、花好きなの?」
「そうでもない」
「え、じゃあなんで毎回ちゃんと参加してんの?」
「別に」
それは答えになってないだろ。
あまりに淡泊な返答しか来ないから、もういっそこのまま走って駅まで行ってやろうかと思えてくる。
必死に話題を振り絞っても、すぐに会話は終わって、また沈黙。
俺は必死に脳内を検索して、共通の話題を引っ張り出した。
……あ、そうだ。
「そういやお前さ、いっつも休み時間『シャドウギア』やってるよな」
その瞬間、吾妻の脚がピタッと止まった。
切れ長の目が、驚いたように限界まで見開かれている。
「……あのゲーム知ってるのか?」
「お前が教室でやってんのチラッと見えてさ、イベント限定ボス倒してんの、マジでビビったわ。てか、SSR3体もってなかったか?」
「あれはガチャで、」
「もしかして課金勢⁉」
「石貯めまくった無課金勢」
「はぁっ? 無課金でSSR3体持ちとかやばくね? あのゲームSRすらあんま出なくね?」
そこからは、もう完全にバグだった。
さっきまでの淡泊さはどこへやら、吾妻は俺が見せたスマホ画面を真剣に覗き込んでいる。
「このパーティー編成だと、次のステージきつい」「ここ、スキルのタイミングずらした方がいい」とか、ガチなアドバイスをくれる。
こいつ、意外と喋るじゃん。っていうか、普通に良いやつじゃん。
「お前、普段全然喋らないくせに」
「……お前が話しやすいからだろ」
イケメンはさらっと恐ろしいセリフを平気で吐くものなんだろうか。今日だけで俺のHPが随分イカれたから、これ以上は本当にやめていただきたい。俺が女子なら完全に恋に落ちてたと思う。
「ふーん」と曖昧な返事をしつつ、吾妻から半歩離れる。
吾妻は特に気にする様子もなく、ゲームの隠しダンジョンの話をしていて、気付けば駅前のゲーセンの前まで来ていた。
自動ドアのすぐ近くに、あいつがいた。
俺を金欠にした元凶。『なめパンダ』の特大ぬいぐるみが、虚無顔なのにどこか挑戦的に俺を見ている。
思わず足が止まる。
この虚無顔と目が合うと、どうしても捕獲したくなる。
大爆死した財布の中身を思い出して虚しくなっていたら、ウィーン、と自動ドアが開く音がした。
ゲーセンの中に吸い込まれて行く吾妻を慌てて追うと、吾妻は『なめパンダ』の特大ぬいぐるみのクレーンゲームの前で止まった。
百円玉を投入したと思えば、手慣れた手つきでレバーを操作し、ウィーン、と動いたアームが、ぬいぐるみの重心を完璧に捉えた。
ゴトンッ。
一発。わずか数秒の出来事だった。
「わあああああ!? すげぇぇぇぇ!!!」
「声でか」
吾妻は取り出し口からパンダを引っ張り出しながら苦笑いした。
「クレーンゲームもチートとか聞いてないって!」
「やる」
「は?」
吾妻は、俺の胸元に特大の『なめパンダ』を押し付けてきた。
「まって、金払うわ。百円ならある」
急いでリュックから財布を出そうとしたとき。
「いい。……好きだろ、これ」
「な、なんで俺がこれ好きって知ってんの……?」
「……違った?」
吾妻の視線が、俺のリュックで揺れるちっこいマスコットに向く。
そんなの、見てたんだ。
そんなの、ずるい。
「……あり、がと」
けど、花に罪もない。
もしかして、俺が今使わなかったらこの花たちって捨てられるんじゃないか?そう思ったら、なんだか申しわけなくて、目の前の花たちを手持ち無沙汰にいじることにする。
華道なんて、ぶっちゃけ用意された見本と同じように針山に花をぶっ刺すだけのイージーゲームだ。
他の部活みたいに「何時から何時まで」なんて地獄の拘束ルールは一切ないから、模造品を作って顧問のオッケーが出れば即帰れる。
週一のうえ、こんなイージータイムアタックが許されるなんて最高すぎないか?
俺は黒板の前に置かれた見本をチラチラ見ながら、迷いなくハサミで切って花を挿した。
ものの五分で、今日の模造品が出来上がった。
うん。見本そっくり。
これなら顧問もオッケー出してくれるな。まあ、あの顧問何でもオッケーくれるんだけど。
窓の外はまだ雨が激しく降っていてすぐには帰れそうにない。
それなら、存分に涼ませてもらおう。俺は、ポケットからスマホを引き抜いてログインボーナスを回収する。
「なんだ、できるのか」
低い、よく通る声がして、ビクッとして肩が跳ねた。
見ると、吾妻が手元のハサミを止めて、じっと俺の生けた花を見つめている。
「え? 何が?」
「華道」
「見たまんまやるだけじゃん」
「それができないんだけど」
一段と低く落とされた声。切れ長の目が、まっすぐに俺を捉える。
おい待て。喧嘩売られてんのか? もしかして、ディスられてる?
気まずさを誤魔化したくて、吾妻の生けている花を見た。まだ半分くらいしか花が刺さっていない。
「リンドウの角度がムズい……」
ハッとして顔を上げると、吾妻は手元の紫の花とハサミを交互に見ている。
本気で悩んでいるのか、小さくため息まで吐いた。
「それ、リンドウっていうのか……」
「……は? お前マジで花の名前知らないのか?」
「知らん」
「……なんだよ。それ」
吾妻はそう言ってふわりと柔らかい顔をして笑った。
おい。教室でのあの近寄りがたい無表情はどこ行った。「なんだよ。それ」って俺の方が言いたい。
今の吾妻の顔、女子だけじゃなくて全人類の心臓が止まってしまうんじゃないかってくらい顔が良すぎる。
それなのに、当の本人はすぐにいつもの顔に戻って、リンドウの切断個所を決めたのか、ハサミがすっと動く。
「あ!!」
俺の声に驚いたのか吾妻の手が止まる。
「そこだと、花がジャキジャキになる」
「は?」
「こうだって」
気づけば吾妻が握っていたハサミの上に、俺の手が重なっていた。
冷房でキンキンに冷えた部屋のはずなのに、触れた吾妻の手は、驚くほど熱い。
「ここをパツッと切ってさ、見本みたいにグイって倒すの。ほら」
重なった手ごと、吾妻の指を少しだけ動かして、リンドウを剣山にぶっ刺す。
「……なるほど」
至近距離。吾妻は手を振り払うでもなく、重なった手元をじっと見つめたまま、低くていい声で呟いた。
ハサミを握ったままの吾妻の指先が、ほんの少しだけピクリと動く。
「お前意味不明なのに生けるのは上手いのな」
「意味不明ってなんだよ! ノリと勢い! 大事だろ!」
俺がそう言うと、吾妻はまた、さっきみたいにふっと小さく笑った。
……いや待て。今さらだけど、距離が近すぎる。
だめだ。こんな造形美を間近で摂取し続けたら死ぬ。急に恥ずかしさが限界突破して慌てて手を離した。
やってしまった。こいつは松田たちとは違う。カースト最上位、住む世界の違う吾妻柊珂だ。馴れ馴れしく触って、キモがられたらどうしよう。
一気に冷や汗が吹き出す俺の前で、吾妻は、俺が教えた通りの角度に収まったリンドウを見つめて、また満足そうに小さく笑っている。
な、なんだよ……。怒ってねーのかよ……。
部屋は肌寒いくらいなのに、俺の耳の後ろだけが、さっきから妙に熱い。
沈黙。
気まずい。死ぬほど気まずい。
一刻も早くこの場から逃げ出したいのに、机の隅に置いたリュックで、あの虚無顔のパンダがのんきにブラブラと揺れている。
「あらぁ! 二人とも上手ねぇ!」
最高に気まずい沈黙を破ったのは顧問の声。ありがたい。今だけは天使の声に聞こえる。
オッケーサインを無事貰って、今日のタイムアタックは強制終了。
外に出ると、豪雨もいつの間にか止んでいる。
「じゃあな」と校門で別れようとした、その時。
「俺もそっちだから」
吾妻が当然のように隣に並んできた。
マジかよ。こいつと二人きりで駅までウォーキングとか、何の罰ゲームだ。
気まずさに窒息しそうになりながら、俺は必死に話題を探した。
「……お前、花好きなの?」
「そうでもない」
「え、じゃあなんで毎回ちゃんと参加してんの?」
「別に」
それは答えになってないだろ。
あまりに淡泊な返答しか来ないから、もういっそこのまま走って駅まで行ってやろうかと思えてくる。
必死に話題を振り絞っても、すぐに会話は終わって、また沈黙。
俺は必死に脳内を検索して、共通の話題を引っ張り出した。
……あ、そうだ。
「そういやお前さ、いっつも休み時間『シャドウギア』やってるよな」
その瞬間、吾妻の脚がピタッと止まった。
切れ長の目が、驚いたように限界まで見開かれている。
「……あのゲーム知ってるのか?」
「お前が教室でやってんのチラッと見えてさ、イベント限定ボス倒してんの、マジでビビったわ。てか、SSR3体もってなかったか?」
「あれはガチャで、」
「もしかして課金勢⁉」
「石貯めまくった無課金勢」
「はぁっ? 無課金でSSR3体持ちとかやばくね? あのゲームSRすらあんま出なくね?」
そこからは、もう完全にバグだった。
さっきまでの淡泊さはどこへやら、吾妻は俺が見せたスマホ画面を真剣に覗き込んでいる。
「このパーティー編成だと、次のステージきつい」「ここ、スキルのタイミングずらした方がいい」とか、ガチなアドバイスをくれる。
こいつ、意外と喋るじゃん。っていうか、普通に良いやつじゃん。
「お前、普段全然喋らないくせに」
「……お前が話しやすいからだろ」
イケメンはさらっと恐ろしいセリフを平気で吐くものなんだろうか。今日だけで俺のHPが随分イカれたから、これ以上は本当にやめていただきたい。俺が女子なら完全に恋に落ちてたと思う。
「ふーん」と曖昧な返事をしつつ、吾妻から半歩離れる。
吾妻は特に気にする様子もなく、ゲームの隠しダンジョンの話をしていて、気付けば駅前のゲーセンの前まで来ていた。
自動ドアのすぐ近くに、あいつがいた。
俺を金欠にした元凶。『なめパンダ』の特大ぬいぐるみが、虚無顔なのにどこか挑戦的に俺を見ている。
思わず足が止まる。
この虚無顔と目が合うと、どうしても捕獲したくなる。
大爆死した財布の中身を思い出して虚しくなっていたら、ウィーン、と自動ドアが開く音がした。
ゲーセンの中に吸い込まれて行く吾妻を慌てて追うと、吾妻は『なめパンダ』の特大ぬいぐるみのクレーンゲームの前で止まった。
百円玉を投入したと思えば、手慣れた手つきでレバーを操作し、ウィーン、と動いたアームが、ぬいぐるみの重心を完璧に捉えた。
ゴトンッ。
一発。わずか数秒の出来事だった。
「わあああああ!? すげぇぇぇぇ!!!」
「声でか」
吾妻は取り出し口からパンダを引っ張り出しながら苦笑いした。
「クレーンゲームもチートとか聞いてないって!」
「やる」
「は?」
吾妻は、俺の胸元に特大の『なめパンダ』を押し付けてきた。
「まって、金払うわ。百円ならある」
急いでリュックから財布を出そうとしたとき。
「いい。……好きだろ、これ」
「な、なんで俺がこれ好きって知ってんの……?」
「……違った?」
吾妻の視線が、俺のリュックで揺れるちっこいマスコットに向く。
そんなの、見てたんだ。
そんなの、ずるい。
「……あり、がと」


