真夜中オルタナティブ文学

『悪夢だとして』
 
「一緒に死のうよ」
 君が愛くるしくてたまらない笑顔で言った。
 暗い夜道に輝く笑顔は、世界で僕だけのもの。誰にも触れさせない。
「そうだね。それもいいかも」
「やったね」
 君がわざとらしくウィンクする。同時に、小麦の甘ったるい香りが鼻の奥をくすぐった。
 どうやら今日もパン工場は眠れないらしい。少し働かせすぎなんじゃないのか。
 僕は出来る限りの楽しい気分に努める。
「君がいてくれるなら怖いものなんてないよ。どんな風に死のうか?」
「どうしよっかなぁ」
 君は至極面白そうに呟いた。まるで、小さい子どもがこれから遊ぶおもちゃを選ぶときのように。
「とにかく、辛いのも痛いのもいやだ。綺麗なまま保存できたらいいな」
「ずいぶんわがままだこと」
「だって、君には可愛いって言って欲しいからね」
 君のいたずらっぽい笑み。冷凍保存したい。
「今のままでも充分可愛いし、これ以上ないくらい綺麗だよ」
「社交辞令って嬉しくないよね」
「残念ながら、社交辞令じゃない。君は世界で一番美しい」
「作為的すぎる言葉って、説得力なくなるよ。私に清楚さ求めても意味ないから」
「元々、清楚だと思ったことはないかも。綺麗だけど、清楚ではない」
 君が僕に半歩体を寄せたとき、ほのかに香った甘美な匂いを痛覚が打ち消した。思いっきり足を踏まれた。
「暴力に走るなんて可愛くないよ。それに、結構重たいね」
 君は本当に怒った表情になった。そして、もう一度、僕の片足に君の全体重が乗った。
 慌てて足を擦る。意味ないことは知ってるけど。
「ふざけんな」
「遺体の足だけ赤くなってたら、私のせいでいいよ」
「君だけ地獄に落ちてしまえばいい」
 僕はふざけたつもりだったけど、目の前にあったのは存外悲しげな顔だった。
「私たちはいつまでも一緒でしょ」
 僕は、彼女の真剣な瞳に語りかけた。
「不安がる必要はない。君が死んだら、躊躇なく僕も死ぬ。僕にとっては、この夜が世界のすべてで構わない。もし君が勝手に一人でいなくなったら、寂しさで死ぬ」
「うさぎかよ」
「なんだっていいでしょ。僕は自分自身と君を混濁してるんだ」
 高らかに彼女の命へと忠誠を誓った僕は、そのまま唇を奪った。
 苦みの中に、まるで夢のような柔らかい感触があった。
 君は本当に綺麗に笑っていた。綺麗以外の言葉はどうしたって馴染まなかった。
「ありがとう。今日も、少しだけ生きたいと思えた。出会ってから君には救われてばかりだね」
「こちらこそありがとう。愛してる」
「社交辞令ですか?」
 夜が、僕らを包む。オレンジ色した蝶が、僕らの周りを戯れていた。
 
 完