この話はテストに出ない

 夏が始まりそうな話
 
 1.
 
 もう、無理だ。もう、頑張れない。
 引き返したいのに、足が止まらない。どうやってこれ以上頑張ればいいんだろう。
 頑張ったんだって叫びたい。なのに、さ。どうせ、足りないって言われるんでしょ。
 逃げなきゃ、逃げなきゃ。でも、どこに行けば守ってくれるんだろう。
 湊《みなと》は全速力で階段を駆け上がる。そして、廊下を走った。全速力で。つんのめりそうになっても走った。一度止まってしまったら最後、魔物に取り憑かれてしまうような恐怖を背中に感じていた。
 目の前に現れた扉を開ける。うなだれて息を整える。私は、逃げてきてしまった。
 怖い。もう、戻れないのかな。口からゼーゼーと息が漏れる。肺がヒーヒーと音を立てた。
「大丈夫、ですか? 」
 湊は慌てて視線を上げた。そこには、ジャージ姿のクラスメートが怪訝そうな目でこちらを見ていた。髪が長くて、あまり学校に来ない彼。
 なにか喋りたいのに、口からは息が漏れる。
「ゆっくり呼吸するよ。ゆっくり数を刻むから、カウントに従って下さい」
 トン、と静かに置くような声音だった。言われるがまま従う。
「シ、ゴ、ロク、ナナ……」
 ゆっくりとした柔らかい声に、胸の辺りがじんわりと温かくなる。
 落ち着くのと同時に、目の辺りが熱くなってきた。嫌だな。
 鼓動がまだバクバクと心の先を走っている。しばらくカウントを続けてもらい、やっとのことで息を整えた。涙はギリギリ出なかった。
「ごめんね、どうもありがとう。秋人《あきと》くん」
「どうしたんですか。湊《みなと》さんですよね」
「ありがとう。名前覚えていてくれたんだね」
「いや、名前とかどうでもいいんで。何があったんですか」
 秋人は、少し苛立っているように見えた。
「ちょっと、部活がね。色々あってさ」
「湊さん、吹奏楽部でしたっけ」
「そうだよ。今日も部活だったんだけど、気づいたらこの教室にいた。無意識に自分のクラスに逃げちゃったのかも。他に行くところないし」
「ふぅん。大変そうですね」
 秋人は、急に興味なさそうに言い捨て、窓際に移動した。窓を開け、風を浴びている。突き放されたようで、寂しくなる。
「秋人くんは、どうして教室にいるの」
「夏休み、先生たちが教室開放するとか言ってたじゃないですか。昨今の夏休みにおける家庭の負担がどうたらとか、適当な批判取り上げて。だから教室にいるんですよ。電気代の節約になりますしね。僕の部屋、空調がないんですよ」
「なるほど。暑い家に籠もってるよりずっといいかもね」
「人のいない学校は、居心地悪くないなと思ってたら、すごい足音と、けたましいスピードで走ってきて、異次元の勢いで扉を開ける乱入者のせいで世界が壊されました。折角、図書館で借りた本の面白さに気づき始めてきたところなのに、損をしました」
「それは、ごめん」
「謝らなくていいですよ。どうせ、本を読んだところで役に立つわけじゃないですから。大体、本を呼んだら賢くなるとか言う大人達って狂ってますよね。言葉をたくさん知ったところで適切に使えないと、意味がない。多分、思い出を貯蔵しておいて、思い出を眺めながら一生を過ごすんですよ。ああいう人たちは。キラキラの過去ばかりじゃないって教えたいところですよね。本当に」
「あの、隣、行ってもいいかな。今、絶賛背中と会話してるんだよね」