1.
花凜《かりん》は弁当箱の包みを解く。やっと昼休みだ。二時間目の世界史がとにかく長かった。
「ねぇ、花凜」
唐突に名を呼んだ紗絵《さえ》が、片方だけ広角を上げて笑った。嫌な予感。
「なに、紗絵」
尋ね返すと、紗絵はもう片方の口角も上げた。この友人は、表情筋がよく動く。
「とっておきの話を入荷しました」
「面白そうだね。今度聞かせて」
「ねぇ、ちょっとは興味持ってよ。取材するの大変だったんだよ」
「ご苦労なことだね。紗絵記者は。今って、炎上対策も大変なんでしょ」
「皮肉っぽいな。恋する高校二年生のくせに」
「うるさいな。ちょっと黙ってて」
紗絵は、咎めたのも気にもしない様子で煽るように笑った。
ウザすぎる。でも、紗絵の笑顔に救われている部分もあるんだよな。だからなにも言えない。 紗絵がいなかったら、今頃一人でお昼を食べていたかもしれない。
「大スクープだよ。花凜。心して聞きな」
「はいはい、分かりました。聞いてあげますよ」
「我が学年一の爽やか、一組の堀内《ほりうち》くんは、二組のおしとやか、宇田川《うたがわ》さんのことが好きらしい」
「もう少しちゃんと形容した方が分かりやすいかも」
「花凜、興味持ってよ。三日に渡って聞き込みしたんだから」
「紗絵、暇なの。今度の文化祭、英語の暗唱発表あるじゃん」
「どう花凜、大スクープでしょ」
「でも私、堀内くんは、三組の冴木《さえき》さんが好きだって聞いたことあるけどね」
紗絵が突然身を乗り出してきた。
唇に紗絵の髪が触れそうになって、花凜は背中を反った。この友人は、身体表現も豊かだ。
「花凜、誰から聞いたの」
「みんなが噂してた」
「みんなって誰か教えてよ。花凜、情報ソースを明示しないと正しい情報とは言えないし、ちゃんと引用文献に記載しないと剽窃になっちゃうよ。処分だよ。処分」
「なんでゴシップを論文みたいに扱いながら脅してくるのさ。別に怖くないよ」
紗絵はブンブンと頭を振った。犬かよ。花凜は思わず笑ってしまう。
「華のセブンティーンライフを送る私たちにとって、誰と誰が恋人なのかは知っておかなきゃいけない情報。あのね、恋愛は学校生活の全てだから」
「意味が分からない。紗絵、恋人いないじゃん」
「いなくない。いるんだよ。三ヶ月後、告白される未来が見えてる。だから、今は未来の恋人を前借りしてる。未来が確定してるんだから、今いるってことじゃん」
「妄想に縋るのはそろそろやめにしたら」
「妄想じゃないもんね。現実だもん」
「紗絵、私の腕しっぺして」
「なんで」
「いいから、お願い」
花凜は、シャツをまくり、腕を紗絵の前に突き出した。紗絵はよく分からないといった顔をしたまま、二本の指を腕に乗せた。次の瞬間、花凜の脳に痛みが突き刺さった。腕がこれでもかというぐらい赤く染まっている。この友人は、力加減もあまり知らない。
「紗絵、手加減してよ。夢じゃないじゃん。夢だったらよかったのに」
「現実だよ。呼吸してるからね」
紗絵の声は冷たかった。
冷静な言葉を受けて我に返る。振り返ると、時計の針はちゃんと動いていた。
「紗絵があまりに変なことばっか言うから、夢でも見てるんじゃないかと」
「失礼だな花凜、私、悪いけど勉強はできるからね」
「そこが悔しいというか、納得できないというか、頭分けてくれというか」
花凜は、つねられた部分を擦り、袖を元に戻した。
「嘘ついてるわけじゃないよね。私が仕入れた情報も嘘じゃないんだけど」
紗絵が困り眉で聞いてきた。
「聞いた話をそのまま口に出しただけ。なんだっけ、紗絵の情報では爽やかさんは、おしとやかさんを好きなんだっけ」
「爽やかな堀内くんが、おしとやかな二組の宇田川さんを好きなはずなんだよ。でも、花凜の噂によれば、堀内くんは三組の冴木さんが好きだってことになってる。おかしいな」
「二人とも好きなんじゃないの。堀内くんは思春期の男の子なわけだし、別に悪いことじゃない」
「いや、堀内くんに限って、二人の人を同時に好きなるなんて、絶対にないね」
「あんまり人のこと信じすぎないほうがいいよ。ダメな人に愛されて満足している顔が見える。紗絵が誰かと付き合う時は、必ず相談してね」
優しさのつもりだったけど、紗絵は聞く耳を持たなかった。鋭い眼光で睨んでくる。
「誰から冴木さんが好きだって話を聞いたの。名前を教えて。乗り込むから」
「誰ってか、本当にみんなだよ。知り合いみんな。とりあえず、このクラスではみんな噂してたかな」
紗絵は、目を丸くして自分を指差した。
「じゃあさ、花凜、なんで花凜は知らないの」
「知らないよ」
「酷いね。私、学級委員だよ」
「知ってる」
「四組の桑山《くわやま》さんに聞いたんだよ。堀内くんは宇田川さんが好きだって。彼女は情報通だから」
「どれぐらい信用できる人なの。その四組の桑山さんは」
「悟りを開いたって言われてる」
「信用できないんだけど。達観してるだけなんじゃないの」
「全てのことを知り尽くしてるってことだよ」
「紗絵は本当に可愛いよ」
花凜は紗絵に聞こえないよう呟いた。
「絶対正確な情報だと思うけどな」
紗絵は未だ諦められないといった様子だ。花凜は言う。
「じゃあさ、試すような真似して申し訳ないけど、堀内くんが宇田川さんを好きになった理由について教えてよ。全てのことを知ってるんでしょ。なにかを述べるときには根拠が必要だよ、根拠が」
「理由は聞いていけないことになってた」
「なんでよ」
「人を好きになるのに、他人を納得させるような理由は要らない。だから、理由が仮にあったとしても、わざわざ自分から口に出すことではないって桑山さんが」
「悟り開いてるわ」
「だから、桑山さんは真実を知ってるんだ」
「ガセ掴まされたんじゃないの」
「いや、桑山さんがガセネタをばらまくわけない」
じゃあ、最初っから恋の噂も流しそうにないじゃん。
「噂は所詮噂だからね。本人に聞いてみるのが一番早いんじゃない」
花凜が適当に話を切り上げようとしたところ、タイミングの悪い乱入者が来た。毛利《もうり》くんだ。同じクラスの彼は、紗絵との相性が非常にいい。いや、悪いのか。
花凜《かりん》は弁当箱の包みを解く。やっと昼休みだ。二時間目の世界史がとにかく長かった。
「ねぇ、花凜」
唐突に名を呼んだ紗絵《さえ》が、片方だけ広角を上げて笑った。嫌な予感。
「なに、紗絵」
尋ね返すと、紗絵はもう片方の口角も上げた。この友人は、表情筋がよく動く。
「とっておきの話を入荷しました」
「面白そうだね。今度聞かせて」
「ねぇ、ちょっとは興味持ってよ。取材するの大変だったんだよ」
「ご苦労なことだね。紗絵記者は。今って、炎上対策も大変なんでしょ」
「皮肉っぽいな。恋する高校二年生のくせに」
「うるさいな。ちょっと黙ってて」
紗絵は、咎めたのも気にもしない様子で煽るように笑った。
ウザすぎる。でも、紗絵の笑顔に救われている部分もあるんだよな。だからなにも言えない。 紗絵がいなかったら、今頃一人でお昼を食べていたかもしれない。
「大スクープだよ。花凜。心して聞きな」
「はいはい、分かりました。聞いてあげますよ」
「我が学年一の爽やか、一組の堀内《ほりうち》くんは、二組のおしとやか、宇田川《うたがわ》さんのことが好きらしい」
「もう少しちゃんと形容した方が分かりやすいかも」
「花凜、興味持ってよ。三日に渡って聞き込みしたんだから」
「紗絵、暇なの。今度の文化祭、英語の暗唱発表あるじゃん」
「どう花凜、大スクープでしょ」
「でも私、堀内くんは、三組の冴木《さえき》さんが好きだって聞いたことあるけどね」
紗絵が突然身を乗り出してきた。
唇に紗絵の髪が触れそうになって、花凜は背中を反った。この友人は、身体表現も豊かだ。
「花凜、誰から聞いたの」
「みんなが噂してた」
「みんなって誰か教えてよ。花凜、情報ソースを明示しないと正しい情報とは言えないし、ちゃんと引用文献に記載しないと剽窃になっちゃうよ。処分だよ。処分」
「なんでゴシップを論文みたいに扱いながら脅してくるのさ。別に怖くないよ」
紗絵はブンブンと頭を振った。犬かよ。花凜は思わず笑ってしまう。
「華のセブンティーンライフを送る私たちにとって、誰と誰が恋人なのかは知っておかなきゃいけない情報。あのね、恋愛は学校生活の全てだから」
「意味が分からない。紗絵、恋人いないじゃん」
「いなくない。いるんだよ。三ヶ月後、告白される未来が見えてる。だから、今は未来の恋人を前借りしてる。未来が確定してるんだから、今いるってことじゃん」
「妄想に縋るのはそろそろやめにしたら」
「妄想じゃないもんね。現実だもん」
「紗絵、私の腕しっぺして」
「なんで」
「いいから、お願い」
花凜は、シャツをまくり、腕を紗絵の前に突き出した。紗絵はよく分からないといった顔をしたまま、二本の指を腕に乗せた。次の瞬間、花凜の脳に痛みが突き刺さった。腕がこれでもかというぐらい赤く染まっている。この友人は、力加減もあまり知らない。
「紗絵、手加減してよ。夢じゃないじゃん。夢だったらよかったのに」
「現実だよ。呼吸してるからね」
紗絵の声は冷たかった。
冷静な言葉を受けて我に返る。振り返ると、時計の針はちゃんと動いていた。
「紗絵があまりに変なことばっか言うから、夢でも見てるんじゃないかと」
「失礼だな花凜、私、悪いけど勉強はできるからね」
「そこが悔しいというか、納得できないというか、頭分けてくれというか」
花凜は、つねられた部分を擦り、袖を元に戻した。
「嘘ついてるわけじゃないよね。私が仕入れた情報も嘘じゃないんだけど」
紗絵が困り眉で聞いてきた。
「聞いた話をそのまま口に出しただけ。なんだっけ、紗絵の情報では爽やかさんは、おしとやかさんを好きなんだっけ」
「爽やかな堀内くんが、おしとやかな二組の宇田川さんを好きなはずなんだよ。でも、花凜の噂によれば、堀内くんは三組の冴木さんが好きだってことになってる。おかしいな」
「二人とも好きなんじゃないの。堀内くんは思春期の男の子なわけだし、別に悪いことじゃない」
「いや、堀内くんに限って、二人の人を同時に好きなるなんて、絶対にないね」
「あんまり人のこと信じすぎないほうがいいよ。ダメな人に愛されて満足している顔が見える。紗絵が誰かと付き合う時は、必ず相談してね」
優しさのつもりだったけど、紗絵は聞く耳を持たなかった。鋭い眼光で睨んでくる。
「誰から冴木さんが好きだって話を聞いたの。名前を教えて。乗り込むから」
「誰ってか、本当にみんなだよ。知り合いみんな。とりあえず、このクラスではみんな噂してたかな」
紗絵は、目を丸くして自分を指差した。
「じゃあさ、花凜、なんで花凜は知らないの」
「知らないよ」
「酷いね。私、学級委員だよ」
「知ってる」
「四組の桑山《くわやま》さんに聞いたんだよ。堀内くんは宇田川さんが好きだって。彼女は情報通だから」
「どれぐらい信用できる人なの。その四組の桑山さんは」
「悟りを開いたって言われてる」
「信用できないんだけど。達観してるだけなんじゃないの」
「全てのことを知り尽くしてるってことだよ」
「紗絵は本当に可愛いよ」
花凜は紗絵に聞こえないよう呟いた。
「絶対正確な情報だと思うけどな」
紗絵は未だ諦められないといった様子だ。花凜は言う。
「じゃあさ、試すような真似して申し訳ないけど、堀内くんが宇田川さんを好きになった理由について教えてよ。全てのことを知ってるんでしょ。なにかを述べるときには根拠が必要だよ、根拠が」
「理由は聞いていけないことになってた」
「なんでよ」
「人を好きになるのに、他人を納得させるような理由は要らない。だから、理由が仮にあったとしても、わざわざ自分から口に出すことではないって桑山さんが」
「悟り開いてるわ」
「だから、桑山さんは真実を知ってるんだ」
「ガセ掴まされたんじゃないの」
「いや、桑山さんがガセネタをばらまくわけない」
じゃあ、最初っから恋の噂も流しそうにないじゃん。
「噂は所詮噂だからね。本人に聞いてみるのが一番早いんじゃない」
花凜が適当に話を切り上げようとしたところ、タイミングの悪い乱入者が来た。毛利《もうり》くんだ。同じクラスの彼は、紗絵との相性が非常にいい。いや、悪いのか。



