殺人動機は4の段

 塾の駐車場。
 雨に濡れるフロントガラス越しに、塾のエントランスをぼーっと眺めていた。
 ぼんやりと歪む、水の向こうの景色の中に、屈折した小さな影が、ちらちらと揺らめき始める。
 22時4分。
 車内の時計は、そう表示している。
 私はエンジンをかけ、ワイパーを動かす。
 開けた視界、多くの生徒の人だかりの中、小学校2年生になる息子は、ランドセルに押しつぶされるように、肩を落とし、塾の校舎から出てきた。
 雨に濡れないための前傾姿勢ではなく、雨に打たれたいための前傾姿勢。
 分かりやすく、落ち込んでいる。
 傘もささずに、ゆっくりゆっくりと歩き、ドアを開け、車に入った時には、ずぶぬれだった。
 後部座席で、かちっ、とシートベルトを閉める音がした。
 どんな言葉をかければ良いのか、分からなかった。
 ライトをつける。けれども車内は明るくならない。
 とりあえず、進もう。
 私はアクセルを踏んだ。
 
「ねえ、」
 と沈黙を割ったのは、息子からだった。
「ねえ、おじいちゃんって、若くして死んじゃったんでしょ?」
「えっ」
 雨の音が大きく、小さな息子の声は口曇《くぐも》り聞き取りづらかった。
「だーかーらーーー。お母さんのおじいちゃんって、お母さんが子どもの時に死んじゃったんでしょ」
「うっ、うん」
「なん才?」
「えっ?」
「だーかーらーーー。おじいちゃんって、なん才で死んじゃったの?」
 父は、私が8歳。母は、私を20歳で産んで、父は母より4歳年上。
「32歳」
「はーーーぁ。まぁじぃーーー?」
「おと、いや、おじいちゃんに来月の誕生日プレゼント何あげようかーって、おばあちゃんと相談してたら、事故で。今日みたいな、雨の日に。もうすぐ33歳だよねーって会話をおばあちゃんとしてたのにねー」
「32。32かー」
 バックミラーから息子の顔が消える。頭を抱えて、うなだれ悩んでいる。
「僕は、僕は死ぬんだー。死ぬんだー」
「ちょっ、ちょっと。死なない死なない。もう何ぃ? どうしたのっ?」
「だっ、だって、今日先生がぁ、」

 息子の聞いた先生の話とは、こういうものだった。
 人の寿命を計算できる公式がある。
 計算式は、
 自分のおじいちゃんおばあちゃんが死んだ年齢の合計÷4
 先生のおじいちゃんおばあちゃんは、
 82歳、88歳、84歳、86歳で死んだそうだ。
 すると、先生の寿命は、
 (82+88+84+86)÷4=85歳
 で、85歳ということになる。
 息子は、自分の寿命を計算しようとした。
 夫の父母はまだ二人とも生きていて、
 私の母もまだ生きている。
 つまり息子にとって、死んだおじいちゃんおばあちゃんは、
 私の父、32歳で亡くなった、おじいちゃんのみである。
 すると、式は、
 ( + +32+ )÷4=
        32÷4=8歳
 息子は今7歳で、来月誕生日を迎える。
 8歳になる日に、寿命を迎える。
 と結論づけたわけである。

「だぁいじょうぶ、大丈夫。死なない死なない。もうなぁにぃ。そんなことで悩んでたのー?」
「だってぇーー、先生がぁーー、すんっ、ひっ、ひっく」
「死なない死なない。もう、ほんっとっ、先生ったら余計なこと教えてー」
「ほんとに?」
「死なないって、大丈夫大丈夫。ほら、もう、家着いたよ、いい加減泣き止みなさい」
「すんっ、ひっ、うんっ」
 シャッターが開き、車庫の中のライトがつく。
 私は車を停める。
「ほらっ、もうっ、降りて降りてっ。早くお風呂入って、今日は、早く寝なさい」
「うん」
 息子を車から降ろし、手を繋いで、車庫から自宅に続く扉へと歩く。
「ただいまー」
 と息子は元気を取り戻し、家の中に入っていく。
 私はシャッターが閉まるのを確認し、車庫のライトを消した。



 25時2分。
 車内の時計は、そう表示している。
 後部座席に荷物を積むとき、私は時刻を確認した。
 後部の車のドアを閉める。
 車庫のシャッターの向こう側で、もう、雨の音は聞こえない。
 私は、トランクを開ける。
「お誕生日おめでとうございます。お義母様」