君が教えてくれた故郷

 翌日の昼休み。

 神谷悠斗は窓際の自分の席でスマホを眺めていた。

 画面には動画投稿サイト。

 映し出されているのは都会の映像だった。

 高層ビル。

 巨大なショッピングモール。

 人で溢れる駅前。

 夜になっても眠らない街。

「やっぱ都会はすげぇな……」

 思わず呟く。

 動画のコメント欄には、

『住みたい』

『憧れる』

『都会最高』

 そんな言葉が並んでいた。

 悠斗も同じ気持ちだった。

 卒業したらこの町を出たい。

 もっと賑やかな場所へ行きたい。

 その考えは昔から変わらない。

「神谷くん!」

 元気な声が聞こえた。

 嫌な予感がする。

 顔を上げると案の定だった。

 水野美月。

 昨日、文化祭実行委員になった張本人である。

「うわ」

「その反応ひどくない?」

「何の用だよ」

「企画会議」

「まだやるのか」

「文化祭までやるよ」

 当然でしょ、と言わんばかりの顔。

 悠斗は深いため息をついた。

「面倒くさ」

「神谷くんって本当にやる気ないね」

「あるわけないだろ」

「どうして?」

「どうしてって……」

 悠斗は窓の外を見る。

 遠くに見える山並み。

 いつもの景色。

「紹介するものなんかないし」

 美月は眉をひそめた。

「またそれ」

「事実だろ」

「事実じゃない」

「じゃあ何があるんだよ」

「それは……」

 一瞬言葉に詰まる。

 悠斗は勝ち誇ったように笑った。

「ほら」

「うぅ……」

 美月は悔しそうに唸る。

 その様子が少し面白かった。



 放課後。

 空き教室。

 文化祭実行委員として与えられた場所だ。

 教室には悠斗と美月しかいない。

 窓から差し込む夕日が教室をオレンジ色に染めている。

 美月はホワイトボードを立てた。

「まずは候補を出そう!」

「元気だな」

「やるからには本気だもん」

「そうですか」

「神谷くんも考えて」

「無理」

「なんで!」

「紹介するものなんてない」

 美月がじっと見てくる。

「本気で言ってる?」

「本気」

 悠斗は椅子にもたれた。

「山。」

 指を一本立てる。

「川。」

 二本目。

「田んぼ。」

 三本目。

「以上。」

「以上じゃないよ!」

「いや、だいたいそうだろ」

「違う!」

 美月が机を叩く。

 教室に音が響いた。

「そんなことない!」

「じゃあ言えよ」

「えっと……」

 言葉が止まる。

 またしても沈黙。

「ほらな」

「だからいっぱいあるって!」

「説得力ゼロ」

 悠斗は笑った。



 しばらくして。

 美月が急に真面目な顔になった。

「神谷くん」

「ん?」

「そんなに中津川嫌い?」

 悠斗は少し考えた。

「嫌いじゃない」

「じゃあなんで」

「何もないから」

「だからそれ!」

 美月は頭を抱えた。

 悠斗は窓の外を見る。

「だってそうだろ」

「遊ぶ場所も少ないし」

「電車も少ないし」

「店も少ないし」

「都会みたいに何かあるわけじゃない」

 言葉は止まらなかった。

「テレビで紹介されることも少ないし」

「有名人が来るわけでもない」

「観光地だってそんなにない」

「だったら紹介することなんかないだろ」

 美月は静かに聞いていた。

 やがて小さく口を開く。

「それってさ」

「ん?」

「神谷くんが知らないだけじゃない?」

 悠斗は眉をひそめた。

「は?」

「中津川のこと」

「どれくらい知ってる?」

「地元だぞ?」

「じゃあ聞く」

 美月は指を立てる。

「馬籠宿行ったことある?」

「小学校の遠足」

「覚えてる?」

「……あんまり」

「苗木城跡は?」

「行ったことない」

「栗きんとんのお店は?」

「スーパーで買う」

「恵那山登ったことは?」

「ない」

「おいでん祭は?」

「小さい頃に一回」

 美月は腕を組んだ。

「ほら」

「何が」

「知らないじゃん」

 悠斗は言葉に詰まる。

「知らないのに」

「何もないって決めつけるのはずるいよ」

 その言葉だけは妙に刺さった。



「じゃあ調べよう」

 美月は突然そう言った。

「は?」

「実際に見て回るの」

「面倒」

「ダメ」

「即答かよ」

「文化祭だもん」

 美月はノートを開いた。

「候補を書いていくね」

 ペンを走らせる。

『駅前商店街』

「普通」

『栗きんとん』

「普通」

『木曽川』

「普通」

『馬籠宿』

 悠斗は少しだけ反応した。

「どうした?」

「いや」

「何か思った?」

「別に」

「怪しい」

 美月が笑う。

「馬籠宿ってさ」

「外国人観光客も結構来るんだよ」

「そうなのか」

「知らなかった?」

「知らん」

「ほら!」

 なぜか勝ち誇った顔。

 悠斗は少し悔しかった。



 その時だった。

「お、頑張ってるな」

 田辺先生が教室へ入ってきた。

「先生!」

 美月が立ち上がる。

「候補考えてます!」

「いいじゃないか」

 先生はホワイトボードを見る。

「馬籠宿か」

「有名ですよね」

「ああ」

 先生は笑った。

「神谷はどうだ?」

「別に」

「興味なさそうだな」

「だって紹介するものなんてないですし」

 先生は少し考える。

 そして意外なことを言った。

「じゃあ証明してこい」

「え?」

「中津川には何もないって」

 悠斗は目を瞬かせた。

「調べて」

「本当に何もなかった」

「それなら立派な成果だ」

「……」

「でもな」

 先生は窓の外を見た。

「案外、自分が知らないだけかもしれんぞ」

 それだけ言うと教室を出ていった。



 帰り道。

 空は夕焼けに染まっていた。

 悠斗は一人で歩く。

 ポケットからスマホを取り出した。

 何となく検索画面を開く。

 指が止まる。

 そして。

『中津川市』

 入力した。

 検索結果が表示される。

 最初に出てきたのは写真だった。

 石畳の坂道。

 古い町並み。

「馬籠宿……」

 次の写真。

 巨大な岩山の上にある城跡。

「苗木城?」

 さらに。

 恵那山。

 栗きんとん。

 木曽川。

 祭り。

 思っていたより多かった。

「へぇ……」

 思わず声が漏れる。

 もちろん。

 だからといって考えが変わったわけじゃない。

 まだ知らないだけかもしれない。

 それだけだ。

「まあ」

 悠斗はスマホを閉じる。

「どうせ大したことないだろ」

 そう呟く。

 けれど。

 土曜日の取材が少しだけ楽しみになっている自分がいた。

 認めたくはなかったが。

 ほんの少しだけ。

 本当に少しだけ。

 気になっていた。

 夕日に染まる恵那山が静かにそびえている。

 その姿を見上げながら。

 悠斗はゆっくりと家路についた。