「デート、してぇー……」
思わず口から出た呟きに、しまった、と口元に手をやる。「コイツ」の隣でそんなこと言うと、やたら絡まれて厄介なのだ。
「いいよ。どこ行きたいの、優弥」
やっぱり始まった。
俺の正面で嬉しそうに笑う同級生、榊󠄀 渚を俺は睨んだ。
「だーかーらァー、渚とデートしたってしょうがねぇだろ!」
「そうなの?まぁ、とにかく、コレ終わらせなきゃ、どこにも行けないね」
「クソ―!」
涼しい顔の渚に指摘されて、俺は叫びながら白紙のプリントを前に、後頭部をガシャガシャと掻いた。
1学期末の定期考査の結果を見れば「カノジョ」も「デート」もだいぶ霞んでしまう。黒板に書かれた「居残り補習」の文字を俺は睨み付けた。
「──優弥、デート行きたいって言うけどさ」
「なぁ、もういいよ、その話題」
「あれ?なんで?」
「課題もやらなきゃだし、渚と『こーいう話』すると、なんか……めんどい」
「えー、めんどいの?俺は面白いんだけど」
ちらりと俺は、渚の顔を見た。渚は目線をあげず、長い足を組んで、文庫本を読んでいる。
イケメンの渚は頭も良い。担任が「忙しいから渚に補習見てもらえ!」なんて俺を託すぐらい、教師にも信用されてるのだ。
学校の勉強だけじゃない。頭の回転も速いし、弁も立つ。
なんで、渚は──いつも、俺なんかと一緒にいるんだろう。
(俺ともできることをカノジョとするために、わざわざカノジョ作んの、優弥は?)
(じゃあカノジョ、今は作る必要ないね)
『カノジョ欲しい』話をコイツとした時もそうだ。俺の反論はどれも一発K.Oで、俺はすっかり渚に言いくるめられてしまったのだ。あげくの果てに、ハ……ハグまでしやがって……
今回もどういうわけか、難癖つけて『カノジョ』や『デート』を遠ざけるのだろう。
その手には乗らない。俺は黙々と……真っ白な回答欄を睨み付けた。
俺の視線に気づいたのか、頬杖つきながら文庫本を読んでいた渚が、おもむろに口を開いた。
「教えよっか」
「いい」
「素直じゃないなぁ、俺、教えるの上手だよ?」
シャーペンを止めたまま、俺は渚の顔を見た。
「ん?」
渚の余裕ぶった表情がムカつく。ムカつくのに……なぜか、ちょっとだけ安心するのがもっとムカつく。
「渚さ、俺のことバカにしてるだろ」
「してないよ」
即答かよ。
「してるだろ、絶対」
「してないってば」
「頭も悪くて身長も低い俺に、カノジョもデートも出来ないって思ってるんだ……」
そこでようやく、渚は文庫本から顔を上げた。
「自虐的だね、急に」
「うるさい」
「機嫌も悪いじゃん」
「渚のせいだ」
「──へぇ」
渚はペン先で俺のプリントを軽くつついた。
「さっきから一問も進んでないけど、大丈夫そ?」
「うるせぇ……今やろうとしてたんだよ」
「ふーん」
興味なさそうな返事のくせに、目だけはこっちを見てる。俺の考えを見透かすような視線が、ヒリヒリと感じられて、なんだか落ち着かない。
出来ることは、ただ黙って、怒ったように仏頂面をしているしかできない。
「優弥」
「なんだよ」
「デートしたいならさ」
「うん」
「まず、誰と行くか決めた方がいいと思う」
「……だからカノジョだろ」
言い切ったのに、渚はちょっとだけ首を傾げた。
「優弥に必要なのは『カノジョ』じゃなくて、『好きな人』だと思うよ」
「一緒だろ、どっちも」
「大体、優弥が急にカノジョ欲しい欲しいって言い出したのはさ。山田と桜井にカノジョができたからでしょ」
「ヴッ……!」
俺の脳裏に、最近、カノジョができた二人のクラスメイトの顔が浮かんだ。
「羨ましくなったとか、焦りだしたとか、そんな理由で『カノジョ』欲しくなっちゃったんだね」
「……みんなそういうもんだろ」
「『みんな』ねぇ……」
渚は、わざとらしく、その言葉を軽く繰り返したあと、また本に視線を戻した。
「じゃあ、優弥は、『みんな』のためにカノジョ欲しいんだ」
「べ、別にそういうわけじゃねぇよ!……大体、どんな理由でも悪くねえだろ」
即答したつもりだが、我ながら歯切れが悪い返答だ。
渚は、長い指で、ゆっくりとページをめくる。
「俺だったら、『みんなに自慢するカノジョ』よりも『自分の好きな人』と一緒にいたいな」
その一言に、動きが止まってしまった。
ペンも、手も、思考も。
渚はそんな俺を見て、ニコッと笑った。
「夏祭りも、ゲーセンも、コンビニもさ。
何気ない場所も、『自分の好きな人』と一緒だから特別で、一番楽しいんじゃない?」
「それは……そうだけど」
「でしょ?」
違う、って言いたいのに、違う理由が出てこない。
渚は少しだけ椅子を引いて、俺の机に肘を置いた。
距離が近い。
近いのに、いつも通りの顔をしてるのが腹立つ。
「優弥さ」
「……なに」
言った瞬間、自分の声が少し弱くなった気がした。
渚は、少しだけ黙ったあと。
「今、楽しくない?」
その一言で、部屋が一瞬だけ静かになった気がした。
エアコンの音がやけに大きい。
シャーペンの芯が机に転がる音が、やけに響く。
俺は渚を見た。
渚は、さっきと同じ顔をしてる。
ふざけてるわけでも、真面目ぶってるわけでもない顔。
ただ、答え待ってるだけの顔。渚のこの顔を見てると、嘘もごまかしもきかないから、まいってしまう。
「……楽しいに決まってんだろ」
そう言った瞬間、胸の奥が少しだけ引っかかった。
渚は、ふっと笑った。
「俺も」
渚は椅子に戻って、本を閉じた。俺のプリントを軽やかに奪うと、シャープペンをさらさらと走らせた。
「じゃ、続きやろ。優弥、ほらプリント貸して。俺が埋めるから」
「おい!不正だろ、それ!」
「センセイが何で俺に監督命じたのか分かってないの?馬鹿正直だなぁ、優弥は」
「バ、バカって言うな!」
「夏休み中、家で勉強みてあげるから、ササッと埋めて……はい、おしまい」
「……これじゃぜんぜん意味わかんねぇままじゃん」
小さく不満を呟くと、ぐいっと腕を掴まれた。
骨ばった長い指が、俺の手首を柔く、強く捕まえて。
渚の低い声が、吐息とともに耳元で囁く。
「あとでいくらでも教えてあげるよ、俺が」
「ーーーッ!!バ、バカッ!なに、言って」
反射で飛び退いて、椅子がガタンと音をたてた。
俺を見上げる親友の顔が、悔しいぐらいに意地悪で、かっこよくて、優しくて、胸の奥がキュンと小さく痛んだ。



